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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第3章
118/203

117. 留まっていたい場所

ひんやりと冷たい風が吹いた。

昼間はあんなに暑かったのに、ひどい変わりようだ。

辺りに建物が少ないからか、輝く星が空一面に見える。


『睡蓮、何見てるの? 風邪引いちゃうよ?』


鼓膜の内側で、柔らかな声が再生される。

母さんと行った旅行はあれが最後だったな。

そんなことを考えながら、夜空に広がる無数の星を眺める。

あの時母さんに教えてもらったオリオン座の姿は見えない。当たり前だ。あれは冬の正座で、今は夏なのだから。


そんなことは分かっているのに、私はどの季節でも夜空を見上げるたびその星座を探してしまう。


「里宮さん、何してるの? 風邪引くわよ?」


振り返ると、そこに立っていたのは黒いジャージ姿で不思議そうな顔をした辻野 美桜だった。




* * *




強化合宿1日目の夜。

昼間の練習は順調に進み、事前に予定していたメニューもそつなくこなすことが出来た。普段と違う場所での練習が気分転換になったのか、部員たちもいつも以上に生き生きしているように見えた。辻野の登場で一度はざわついた部員たちだったが、食堂では黒沢のカレーに夢中で誰も辻野の存在に怯えてはいなかった。


その様子を見て、私は少し安心していた。何を隠そう、辻野が合宿に参加することになった最大の原因は私なのだ。

まぁ、細かく言えば養護教諭の美山が参加できなくなったせいでもあるのだが……。


誰かが怪我をした時のため、運動部の合宿には養護教諭が付き添うことになっているのだが、今年はバスケ部の合宿とバレー部の合宿の日程が被ってしまったらしく、美山はバレー部の方に付き添うことになったのだ。というのも、バスケ部には先月から黒沢というマネージャーが加わっていたからである。


つまりテーピングやある程度の怪我の手当てなどを日々勉強して身につけている黒沢がいるなら大丈夫だろう、ということになったのだ。おかげで男だとか女だとかいう私の面倒臭い問題が露呈してしまった訳だが。

正直“問題”と呼ぶまでもなくどうでも良いことだと思うのだが、学校側はそういう訳にもいかなかったらしい。


こうして結果的に辻野が付き添うことになった訳だが、練習には特に害はなかったので不都合だったことは何もない。

……強いて言えば、どうせ居るなら居るべき場面にしっかり居てくれたっていいのでは? ということくらいで。


大部屋とはいえ7人が定員の部屋に20人ほどが集まり、何がおかしいのか枕を掲げはしゃいでいる部員たちに冷めた視線を送りながら、そんなことを考える。


「お前らうるせぇわ! さっさと寝ろ!」


ほとんど懇願するような岡田っちの怒声には誰ひとり耳を貸さない。この場に居るのが辻野だったなら声を出さずとも目線だけで部員たちを黙らせることが出来ただろうが、生憎辻野は風呂に行っている。


窓を開け放って星を見ていた私に、“風邪を引く”と軽く注意を入れ、自分は風呂に行くが先に寝ていろとだけ言って辻野は部屋を出て行った。確かに一日中動き回った身体には疲れが溜まっていたが、普段より早い時間ということもあり中々眠る気にはなれなかった。そこで部員たちの様子を見に来てみた訳だが……どうせ馬鹿なことをしているんだろうとは思っていたが、予想以上の光景だった。


おかげで普段は部活に顔を出すこと自体珍しい岡田っちは慣れない1日に随分体力を消耗しているようだった。疲れ切った様子で深いため息を吐く姿はいつも以上に老けて見える。

堪えきれずに小さく笑っていると、岡田っちがキッと睨みつけてきたので知らない振りをしておく。


「里宮?」


名前を呼ばれ反射的に振り返ると、そこには不思議そうな顔をした高津が立っていた。


「来てたのか。……ってか、あいつら何してんの?」


呆れを隠す様子もなく高津が部屋を指さして言う。部屋では未だ部員たちがはしゃぎ回っていた。


「寝れないから枕投げしてるんだと」


「はぁ? ほんとアホだな」


そう言いながらも可笑しそうに笑う高津はいつも以上に機嫌が良さそうだった。


「てか、高津どこ行ってたの?」


「あぁ、鷹の手伝いしてたんだよ。皿洗い」


なるほど、そういえば食堂を出る時に黒沢と高津が話してるの見たな。黒沢が皿洗いしてるなんて全然気付かなかった。

そもそも食堂に洗い場なんてあったのか。そんなことを考えているうちに、思わず小さく吹き出してしまう。

きっと誰も気付いていない事だった。

それでも、この男は気付くのだ。


「え、何? 俺なんか変なこと言った?」


笑われている理由が分からないのか、目を点にしている高津も面白くて余計に笑ってしまう。


「いや、高津らしいなと思って」


「そうか……?」


いまいちピンと来ていないようだったが、それも含めて高津の良い所だ。周りをよく見ていて、誰かに手を差し伸べることの多い高津だが、何か見返りを求めて行動している訳じゃないのだ。そんなところも密かに尊敬しているのだが、きっと高津は気付いていないだろう。


「そういえば黒沢は?」


「あぁ、鷹はこれから風呂。俺たちが風呂入ってる時、カレー作ってくれてたから」


「あー、あれは美味かった」


「だよなぁ。あいつは大抵なんでも出来るから」


他愛ない会話を交わしながら、ぼんやりとこれからのことを考える。今日のような非日常は、気分転換にもなるし悪くはないけれど、いかにも過ぎ去るための思い出という感じがしてあまり得意ではない。何も特別なことが起こらなくても、その時間が長く続くなら私はそっちの方が良い。


我ながら情けないけれど、私は皆とこうしている時間を失うことが怖いのだ。何かが、誰かが欠けてしまうなら、このまま何も変わりたくない。

どこへも行かず、此処でずっと留まっていたい。


そんな願望とは裏腹に、時は進んでしまうのだ。


「里宮はさ、もう進路とか決めてる?」


突然そんな話を振られて、私は固まってしまった。

それは、私が今一番考えたくないことだった。


『3年なんてあっという間だよ』


いつか高津が言っていたことを思い出す。それを聞いた時、私は確かにショックを受けていた。当時は理由なんて分からなかったけれど、きっとその時、私は寂しかった。

呆気なく別れを告げられた気がして。

突き放されたような気がして。


「……まだ何も考えてない」


言いながら、考えないといけないんだろうな、と他人事のように思う。学校が紹介する大学に、私の技術を求めてくれる大学に、私は行くべきなんだろうか? その先に一体何があるんだろうか? そこにはきっと、此処にいる仲間のひとりだっていないのに。


「だよなー。俺も全然だわ」


私の考えていることなど知るはずもない高津はそう言って屈託のない笑みを浮かべる。その笑顔を見ていると、少しだけ気が楽になる気がした。


「ま、明日も朝早いし早く寝た方が良いぞ」


私があくびをしたのに気付いたのか、高津が優しい声で言う。確かに、もう瞼が重い。そう自覚すると、また小さなあくびが出た。それを見て、高津がくすくすと笑う。


「おやすみ」


なんだか悔しかったが、言い返す言葉もないので素直に「おやすみ」と返して、私はその場を離れた。

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