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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第3章
117/203

116. 合宿の醍醐味?

「「すっげぇ!」」


強化合宿1日目の練習が終わり、風呂上がりの部員たちは大きな鍋の中を覗き込むなり歓声をあげた。

鍋の中ではこれでもかと言わんばかりに良い匂いを漂わせているカレーがグツグツと音を立てていた。


普段より長い時間動き回った俺たちは当然いつもの倍以上疲労し、空腹の限界を超えていた。そんな部員たちの鼻をくすぐる良い匂いに、誰もが頬を緩めた。


「マネージャー特製カレーだ!」


自信満々に宣言した鷹が得意げに胸を張る。鷹がマネージャーになったばかりの頃はどうなることかと思ったが、今ではすっかり皆に打ち解けていた。


「いえーい! マネージャー最高!」


風呂上がりだからか珍しくちょんまげをしていない長野がテンション高く鷹の肩に腕を回す。風呂場では情けなく身体の痛みを訴えていたのに、単純なやつだ。


「黒沢先輩! もう早く食べましょうよー!」


初参加で特にヘトヘトになっていた一年生たちが口々に訴え、急かされるように席に着く。後輩にも懐かれた鷹は満更でもなさそうな顔をしていた。その笑顔が眩しくて、なぜか俺の方が嬉しくなってしまう。

まるで我が子の成長を見守る母親の気分だ。


そんなことを考えていると、「とりあえず一安心ですねぇ奥さん」と隣に座っていた五十嵐が囁きかけてくるが、目の前のカレーに免じて軽く足を蹴る程度で済ませておく。

改めて五十嵐の観察力に感心したい所だったが、ふと目が合った川谷にも微笑まれたので今回は俺が分かりやすすぎたのかも知れない。

一方長野はマネージャー特製カレーに夢中である。


伝達事項や岡田っちの挨拶もどきもほどほどに、坂上先輩が号令をかける。


「じゃあ、皆マネージャーに感謝するように。1日目お疲れ様でした! いただきます!」


「「いただきます!」」


声を揃えて手を合わせると、皆がほぼ同時にカレーを頬張る。口の中に広がる旨味に、誰もが目を輝かせた。少し離れた席に座っている鷹は周りの部員たちにこれでもかというほど褒められているようだった。

その姿に安心しつつ、隣から感じるニヤニヤとした視線に気付かぬ振りをする。


部員たちの笑い声で食堂はすっかり賑やかになった。

そんな中、正面に座っている里宮は黙々とカレーを頬張っている。その姿はなんだか子どものように見えた。練習の時とは違い、結ばれていない髪が里宮の肩からさらりと落ちる。


カレーが付いてしまいそうだったが、俺が教えるより先に里宮は艶のある髪を耳にかけて再度カレーを口に運んだ。

直後、俺の視線に気が付いたのか、顔をあげた里宮は不思議そうに小首を傾げた。制服でも部活着でもなくゆるめの部屋着を着ている里宮はなんだか新鮮で、見つめられているのはいつもと同じ瞳なのに訳もなく緊張してしまう。


何か話さないと。そんなことを思った矢先、里宮の目が少し大きくなる。俺の背後に迫る何かを見て。


「あ」


「え?」


呆けた声を零した直後、突然背中に衝撃が走り、危うくスプーンを落としそうになる。慌てて振り返ると、大盛りのカレーがよそられた皿を持った五十嵐が立っていた。

どういう訳かやけに誇らしげである。


「五十嵐……急にど突くなっていつも……ってか、そんなに食べれるのかよ?」


思わず呆れながらカレーを指さして言うと、五十嵐は得意げに胸を張って「俺の胃袋舐めんな」と威張った。

どうやら見せつけたかっただけらしい。

やがて一部始終を見ていた長野が「俺もおかわりするー!」と元気よく手をあげて寄って来る。


「ってか、カレー多すぎじゃね!?」


鍋を覗き込んだ長野があまりにも驚いた声をあげたので、それに反応した部員たちが次々に鍋の中を覗き込む。大きな鍋の中には並々とカレールーが揺れていて、一向に減る気配はなかった。その光景を目にした部員たちはぽかんと口を開ける。もちろん俺もその内のひとりだ。


「マネージャー! 量多すぎじゃね!? 誰が食うんだよ!」


ツボに入ったのか、坂上先輩が爆笑しながら言うと、鷹はキョトンとした顔をして首を傾げた。その様子からして、皆の反応が予想外だったのだろう。


「え……だって結構人数多いし、育ち盛りだからこれくらい食べるかな〜と……」


「「こんなに食えるか!」」


その場にいた全員から突っ込みを受け、鷹はぶはっと吹き出して笑った。


「頑張れ〜」


他人事のように笑う鷹に、「お前も食えよ!」と突っ込みながら脇腹を小突く。


その後、長野と五十嵐は山盛りのカレーを平らげ、俺の皿にまでカレーをよそってきた。あまりの量に食べ切れるか不安になったが、食べ始めたら意外と入るものだ。

ほぼ全員が2人前の量を食べ切り、最終的にカレーは完食することが出来た。まぁ、最後に残ったカレーのルーのみを岡田っちの喉に流し込んだおかげでもあるが……。


何はともあれ満腹になった部員たちは皿を片付けて流れるように食堂を後にし、あんなに賑やかだった食堂はすっかり静かになった。今では鷹が皿を洗う音しか聞こえない。


「鷹」


声をかけると、食堂の奥の方にある流し台で皿を洗っていた鷹は「あれ、茜? どしたん?」と目を丸くして言った。

もう誰も残っていないと思っていたのだろう。


「洗い物手伝うよ」


言うと、鷹は「え」と声を漏らして慌てて首を振った。


「いや、いいよ。俺の仕事だし、茜は練習で疲れてるだろ」


「いいからいいから」


半ば強引に鷹の隣に立ち、スポンジに泡を付ける。1枚目の皿を洗い、2枚目に手を伸ばした時、鷹が呟くように言った。


「ありがとな、いつも」


改めて言われるとその言葉は嬉しくて、どこかくすぐったくて、俺は笑って誤魔化した。


「なんだよ、急に」


「いや。俺、お前に酷いことしたのにさ」


申し訳なさそうに目を伏せた鷹に、そのことか、と肩を落とす。俺が気にしなくていいと言っても、いつまでも引きずるんだろうな、鷹は。


「そのことはもういいって言ってるだろ? 皆だって鷹が居てくれて助かってるし」


その時、鷹の動きがピタッと止まった。握られたスポンジから滴る水滴がぽつ、と音を立てる。何から話すべきか迷うような一瞬の沈黙の後、鷹は小さく言った。


「茜、俺……やりたいこと見つけたんだ」


瞬間、周囲を包んでいた全ての音が消える。その一言が鷹にとってどれだけ大きな意味を持つのか、俺は知っていた。

いつか、“変わりたい”と言った鷹の姿が脳裏に蘇る。


『ずっと守られたまま生きていく訳にはいかないし、どこかでケジメをつけたいと思ってる。でも、俺には何もないんだ。親が与えてくれた環境で、親が勧めてくれた事だけやってきた。今更自分のやりたいことなんて見つからない。俺も、あいつらにとってのバスケみたいに大切な物が欲しいよ。茜みたいに、変わりたいよ……』


鷹は、ずっと探していたんだ。

親の力を借りず、自分ひとりで努力できる“何か”を。


「俺、頑張る人を支える仕事がしたい」


“仕事”。聞き慣れない言葉に心臓が小さく跳ねる。


「例えば、っていうか、マネージャーとか」


その言葉を聞いて、俺は思わず目を見開いていた。鷹がそんなことを考えているなんて思いもしなかったのだ。余程驚いた顔をしていたのか、俺の方を向いた鷹は小さく吹き出して笑った。


「お前、言っただろ? 引退試合の時、“救われた”って」


『ありがとな。鷹の声に結構救われたよ』


「それ、割と……っていうか、かなり嬉しかったんだ。それで、思った。必死に戦ってる人を、こんな近くで救えるってすげぇなって」


そう語る鷹の瞳は希望に満ちていて、初めて見つけた“やりたいこと”に対する意欲が溢れていた。こんな風に輝いた瞳をした鷹を見るのは初めてだった。


「ありがとな」


改めてそう言った鷹は、「茜に一番に言いたくてさ」と照れ臭そうに笑ってまた皿を洗い始めた。

“変わりたい”と言った鷹の姿が、あの頃苦しんでいた鷹の姿が鮮明に蘇る。鷹は確かに守られていたけど、両親のおかげで傷付く機会は減っていたのかも知れないけど、その度にどうしようもないやるせなさを感じていた筈だ。

自分自身の無力さに絶望していた筈だ。


俺だってそうだったのだ。

鷹のために何もすることが出来なくて悔しかった。

当時の気持ちを思い出して胸が締め付けられる。これ以上の苦しみを、鷹はずっと抱えてきたんだ。

目を逸らしたくなるような過去から逃げずに戦う鷹の姿が眩しくて、目の前がぼやけそうになる。


言いたいことは山ほどある筈なのに、上手く言葉が出てこない。鷹が目指したい未来を見つけられたことが、自分のことのように……いや、自分のこと以上に嬉しい。


「……出来るよ、お前なら!」


結局俺はわざとらしいくらいの大声でそう言って、泣きそうになるのを堪えながら歯を見せて笑っていた。

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