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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第3章
113/203

112. 願いの花火 〜皆の夏休み・川谷編〜

「行ってきまーす」


玄関先から室内に向かって声をかけ、返事を待つ間もなくドアを開ける。先程まで道路を染めていた夕日はすっかり沈み、どこか生ぬるい夜風が頬を撫でた。

顔を上げて見ると、雲ひとつない夜空にはぽつぽつと星が浮かんでいた。

絶好の天候に思わずガッツポーズを作る。


今夜の花火はより美しく見えそうだ。

心を弾ませながら、川谷 健治は約束の場所へ向かう。踏み出した一歩がカランと心地の良い音を響かせた。




* * *




「あ、川谷くん」


道行く人の喧騒の中、待ち望んでいた声が聞こえて顔を上げると、そこには想像以上に可愛らしい姿をした飯島さんが立っていた。紺色の生地に淡いピンクの花が描かれた浴衣を見に纏い、長い髪はひとつに束ねられていた。薄いラベンダー色の髪飾りがよく似合っている。


「ごめん、待った?」


「いや、今来たとこだから大丈夫だよ」


そんなありふれた会話をして、明かりの灯る道を並んで歩く。俺たちは夏祭りに来ていた。

飯島さんの要望に応え、今日は2人とも浴衣を着ている。


祭りの雰囲気に浮かされた人々のざわめきが、これからの楽しみへの期待を大きく膨らませた。

小さな子どもから老人まで幅広い年代の人々が賑わい、楽しそうに笑う姿があちこちに見えた。

わたあめ、くじ引き、射的、水飴と屋台も充実している。


見たことがないほど巨大なわたあめに驚いたり、射的で商品をゲットして喜んだり、くじ引きでハズレを引いて落ち込んだり。はたまた、ハズレクジと好きなお菓子を交換できることを知ってはしゃいだり。

コロコロと表情が変わり、いつも楽しそうに笑う飯島さんの笑顔が、俺は好きだった。


いくつか屋台を見て回り、荷物を増やしながら他愛のない会話を続けて歩いていると、唐突にドン、と飯島さんにぶつかる人影があった。

小さな悲鳴をあげてよろけた体を慌てて支える。


「大丈夫?」


「う、うん……」


飯島さんの無事を確認して顔を上げると、そこに立っていたのは若い女性だった。


「あ、すみません……!」


慌てて頭を下げる姿に、悪気はないことが分かって安心する。ほっと息を吐く隣で、「いえ、そんな、大丈夫ですから」と慌てた様子の飯島さんが両手を振りながらペコペコと頭を下げていた。


と、その時。突然小さな子どもの泣き声がその場に響いた。驚いて目を向けると、女性の手は小さな男の子と繋がれていた。涙の原因は一目瞭然。

男の子の足元にはブルーハワイのかき氷が派手に散らばっていた。恐らくぶつかった時の衝撃で落としてしまったのだろう。


慌てる飯島さんと、「大丈夫ですから」とその場を去ろうとする女性を見て、すぐさま男の子の前にしゃがみ込む。目線を合わせ、頭に手を置いて「ちょっと待ってて」と小さく言うと、男の子は泣くのを辞めて不安そうな瞳を俺に向けた。

急いで2、3個前の屋台へ戻り、ブルーハワイのかき氷をひとつ買って男の子の元へ戻る。


「はい、どうぞ」


優しい声を意識しながらかき氷を差し出すと、男の子はパッと目を輝かせた。


「ありがとぉ……!」


舌足らずな声でお礼を言い、かき氷を受け取ってくれた男の子の頬が緩む。それを見て俺も思わず微笑んでいた。呆然と一部始終を見ていた女性はハッとした様子で「あ、あの、お金を……」とバッグの中を探り始めるが、俺はそれを遮るようにして言った。


「いえ、気にしないでください。お互い怪我がなくて良かったです」


女性は申し訳なさそうな顔をしたままだったが、「ありがとうございます」と会釈をして男の子の手を引いた。今度は落とさないように、と母親にかき氷を持ってもらっている男の子は空いた左手を何度も振ってくれた。その姿が見えなくなるまで手を振って見送り、「行こっか」と隣に目を向けると、飯島さんはハッとしたように俺を見上げた。

みるみるうちに飯島さんの頬が赤く染まっていく。


「どうしたの?」


不思議に思って問いかけるが、飯島さんは拗ねたように「なんでもない」と呟いてそっぽを向いてしまった。何か怒らせるようなことをしてしまっただろうか。


「あ、手繋ぐ?」


機嫌を取るかのように手を差し出すと、飯島さんは「もう!」と突然声をあげた。びっくりして手を引っこめようとすると、力強く、それでいて小さな手が俺の手を捕まえる。


「なんで、川谷くんはそんなにかっこいいの……!」


怒ったような口調でそんなことを言われ、どういう反応をしていいのか分からなくなる。

自分のことをかっこいいなんて思ったこともないし、むしろ情けない人間だと思う。思い出せば思い出すほど恥ずかしいくらい情けないエピソードが頭に浮かび、居た堪れない気持ちになる。


「急にどうしたの……」


思わず苦笑しながら言うと、飯島さんは頬を膨らませて話し始めた。


「さっきの男の子にも神対応だったし、今だってさらっと手繋いでくれたし……やっぱり、好きだなぁって、思いました」


なぜか敬語になった飯島さんは赤い顔のまま悔しげに唇を尖らせていた。その表情が可愛くて、思わず小さく吹き出して笑う。


「俺も好きだよ」


自分で言っておきながら段々恥ずかしさが募り、思わず顔を背けてしまう。耳や頬に熱を感じ、そこが赤くなっていることが分かって余計に恥ずかしくなる。


「ん? 川谷くん顔赤い?」


「ちょ……今見ないで……」


そんなこんなで一悶着あったものの夏祭りデートは順調に進み、辺りはいつの間にか夜の闇に包まれていた。花火の打ち上げ時刻が近づき、俺たちは花火がよく見える穴場スポットに移動することにした。

飯島さんが案内してくれた場所は、飯島さんが小さい頃見つけた場所らしく、人の姿は全くなかった。


見上げると、木の葉に隠されることなく青藍の空が一面に広がっていた。花火を見るには申し分ない場所であるはずなのに、人気のないその場所はまさに穴場スポットだった。


「ここ見つけた時、いつか好きな人と来たいって思って、ずっと内緒にしてたんだ」


照れ臭そうに前髪をいじりながら、飯島さんが笑う。


「夢、叶っちゃった」


無邪気にそう言った飯島さんを見て、頭の中で火花が散る。思えば飯島さんがデートの場所を決めたのは今日が初めてだった。いつもは俺が飯島さんの喜びそうな場所をいくつか調べ、その中から2人で選んで決めていた。飯島さんが明確に“ここに行きたい”と言ったことは今まで一度もなかった。


「……そういうの、もっと教えてよ」


「え?」


「行きたい場所とか、したいこととか。俺に出来ることならなんでもするから」


「……本当に?」


控えめな瞳が微かな期待を孕んで揺れる。俺は微笑んで大きく頷いた。少し迷うように身を捩らせてから、飯島さんが口を開く。


「……じゃあ、名前、呼んで欲しい」


飯島さんの瞳が真っ直ぐに俺を射抜く。心臓がひとつ大きく跳ねた。繋いだ手を引き寄せ、飯島さんとの距離を一歩近付ける。


「香澄」


緊張に掠れた声で、呟くように呼ぶ。

気付くと、彼女の顔が目の前にあった。辺りに人の姿はない。目を閉じかけたその瞬間、ドオォンッと盛大な音がして、俺たちは同時に飛び上がった。

2人の額がぶつかり、ゴチッと痛々しい音を響かせる。


「いたっ」


「いてっ」


小さな声がほぼ同時に出て重なり、俺たちは目を見合わせて思わず笑った。ドン、とまた夜空に音が響いたが、俺たちはもう驚かなかった。

よって俺たちのキスを拒むものは何もない。


唇を離すと、飯島さんは……香澄は、ひどく幸せそうに笑っていた。笑顔の背景には色とりどりの花火が美しく咲き乱れている。香澄には夏が似合うと思った。


「ずっと、一緒にいようね。健治くん!」


照れ臭そうに笑ってそう言った彼女の言葉に、鼓動が早くなっていくのが分かった。繋いだ手を強く握り、「もちろん」と答えて笑う。

初めて呼ばれた名前はくすぐったくて、心を優しく温められているような感覚だった。




この幸せをずっと抱きしめていたい。

深紅の花火に向かって、俺も心から強く願っていた。

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