109. 過ぎ去る日々
川谷の家を出て見慣れない道を数分歩き、俺たちは近くのファミレスに入った。まだ昼食には早い時間だったのか、店内は空いていて並ぶことなく席に座ることが出来た。それぞれ頼んだ料理を食べながら、普段と変わらない会話が続く。
「で? 彼女持ちの2人は夏休みどっか行くん?」
ハンバーグを食べて回復した長野がニヤニヤしながら言うと、川谷はぐっと息詰まって軽くむせた。
「べ、別にどこでもいいだろ」
ズレた眼鏡を直しながら言う川谷に、長野は「へぇ?」と揶揄うように目を細める。
「どこでもってことは、どっか行くんだな。俺“どこ行くの?”なんて聞いてねぇもん」
勝ち誇ったようにそう言った長野に、川谷は赤く染まった頬を悔しげに歪めていた。
調子に乗った長野が続けて「五十嵐は〜?」と俺の隣でオムライスをかき込んでいる五十嵐に目を向ける。
食べることに夢中だった五十嵐が顔をあげ、ハムスターのように膨らんだ頬をもごもごと動かす。
「ゆうふぇんひ」
「「へ?」」
その場にいた全員が首を傾げると、五十嵐はごくんと口の中のものを飲み込んでもう一度言った。
「遊園地」
表情ひとつ変えることなく答えた五十嵐に、長野は揶揄うことも忘れて「遊園地かぁ〜、いいなぁ」と羨ましそうな声をあげた。
「俺最後に行ったの小学生くらいだわ」
そう言った川谷に、「俺も」と頷く。小学生の頃両親に連れて行ってもらった記憶はあるが、それ以降はそもそも友達がいなかったので遊園地の存在自体忘れていた。
薄れかけている記憶を思い返しながら、3人の笑顔を眺める。
今ならきっと、どこにだって行けるんだろうな。
「あら、おかえり〜! これからまた勉強するの?」
昼食を終え川谷の家に戻ると、玄関で出迎えてくれたのは川谷の母だった。ネイビーのロングスカートに白いブラウスを身に纏い、ハーフアップに結んだ髪を胸元で揺らす姿は相変わらず気品を感じさせた。
ふと、アーモンド型の目が大きく見開かれる。
「あら、高津くん!? 背伸びたんじゃない!?」
口元に手を当てて言う川谷の母に、「そうですか?」と笑う。川谷の母には去年の文化祭で一度会ったことがある。あれからちょうど一年くらいだが……そんなに驚かれるほど伸びただろうか。
「にしても、高津くんと五十嵐くんは大きいわね〜! 何食べてそんなでっかくなったのよ〜! あ、長野くんも大きいわよ?」
不貞腐れた子供のように頬を膨らませていた長野に気付き、川谷の母は慌てて付け加えた。
「もぉ、健治ったら家族の中では一番大きいくせにまだ身長欲しいみたいでねぇ。牛乳がどんどん無くなっちゃう! きっとふた……3人のことが羨ましいのね〜!」
「ちょっ、母さん!」
川谷が赤面して母を止める姿に俺たちは思わず笑っていた。しばらく玄関先で立ち話をしていると、すぐそばでインターホンの音が響いた。
川谷の母が「はぁい」と明るく返事をしてドアを開ける。夏風に吹かれて長い黒髪を揺らした少女は、頷くように小さく会釈をした。
「いらっしゃい、里宮さん」
川谷から里宮が来ることを聞いていたのか、川谷の母はあたりまえのようにそう言ってドアを大きく開いた。里宮は小さな身体を更に縮めるようにして家に入ると、無言のまま軽く片手をあげた。
全員でそれに応え、すぐさま川谷の部屋に向かう。
川谷の母が、再び身長の話を始めないうちに。
* * *
「終わったぁ〜!」
歓喜の声が部屋中に響く。両手を天井に向けて突き上げ、その状態のまま後ろに倒れて仰向けになった長野に里宮が一言「うるさい」と文句を言った。
「てゆーか長野何も終わってないだろ」
呆れたような目で言う五十嵐に、長野は「うぅ〜」と呻いていた。里宮が合流し、黙々と課題に取り組むこと約3時間。俺たちはなんとか英語と数学の課題を終わらせた。長野は半分近くまで終わったらしいが、後から自分で残りを終わらせるとは思えなかった。
既に現実逃避モードの長野を見ていると心配になってくる。
ふと里宮の方に目を向けると、里宮は無言のまま窓の外を眺めていた。どこか不安げな思案顔で、消えかかった夕焼けを窓越しに見つめている。いつものけだるそうな瞳は悲しげに細められていた。
その横顔は非の打ち所がないほどに整っていて、手を伸ばせば届く距離に居るというのに遠い世界の存在のように思えてしまう。
「あ〜、終わる気がしねぇ〜」
仰向けのまま案の定長野がそんなことを言う。教科書やノートをまとめていた川谷が呆れたように笑った。
「受験はこんなもんじゃないからな」
「うわ、今からそんな話するなよ〜」
あからさまに顔をしかめる長野に構わず、五十嵐も「夏休み明けたらすぐ3年、みたいな雰囲気あるしな」と頷いた。確かに夏が過ぎてからの日々は一瞬のように思える。文化祭と中間テストが終わればあっという間に冬休みだ。
「そう考えたら、俺たちもあと1年ちょっとで卒業だな」
呟くように言うと、絶賛現実逃避中の長野が「気が早ぇよ!」と喚いた。今から卒業式までには一年以上の時間があるが、俺にはその日が既に目前まで迫っているように思えてならなかった。3年生になれば、きっと流れるような速さで日々が過ぎ去ってしまう。
嫌だな。素直にそう思った時、先程まで窓の外を眺めていた里宮が丸い瞳をこちらに向けていたことに気付く。
「どうした?」
優しい声を意識して問うが、里宮はハッとした様子で「なんでもない」とそっぽを向いてしまった。
昨日感じた違和感が再び胸に広がっていく。何かに怯えるような瞳。試合中にも関わらず相手選手から視線を外し、里宮は一体何を見ていたのだろう。
疑問に思うと同時に先程の悲しげな横顔が脳裏に蘇る。
胸に巣食う言いようもない不安が淡い夕焼けと共に黒く染まっていった。