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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第3章
109/203

108. それは今も腕の中に

「茜〜! 夏休みだからってだらだらしてないで早く起きなさ〜い!」


「ん〜〜……」


母親の声が一階から響き、大きなあくびをしながら身体を起こす。昨日は試合に疲れて早めに寝たせいか、いつもより目覚めが良い気がした。

結局、白校は超強豪校の南山根にボロ負けしてしまったらしい。白校の選手も強いやつばかりだと思うのだが、こればかりは仕方がない。


「茜!」


「んあ〜、もう起きてる!」


大声でドアに向かって叫び、枕元のスマホを手に取る。一件の通知。LINEを開いて、“イケメンカラス”と名付けられたグループを選択する。

自分で自分のことイケメンって、相当イタイよな……。そんなことを思いながら苦笑していると、川谷からのメッセージが目に入った。


『今日、俺の家で課題やらない?』




* * *




見慣れない駅。とっくに通勤時間を過ぎているからか、ホームはかなり空いていた。照りつける太陽に汗を拭いながら、スマホを頼りに川谷の家へ向かう。

直線の道を数分歩いて行くと、清潔感溢れる一軒家に辿り着いた。家族の趣味なのか、玄関先にある小さな花壇には色とりどりの花が咲いていた。花弁の上に乗る小さな雫が太陽の光を反射して輝く。


昨日も今日も雨は降っていないので、誰かが水をあげたのだろう。大切に育てられていることが分かっているかのように、身を寄せ合う花達は優しい風に吹かれて笑っているように見えた。


全体的に白い家を見上げながらインターホンを押すと、軽い電子音が玄関の奥から響いた。続いてガチャッと受話器を取る音が耳に入り、慌てて丸いレンズに向かって頭を下げる。


「あ、高津で……」


次の瞬間、バンッと大きな音が響き、目の前のドアが勢いよく開いた。全身が弾かれたように飛び上がる。


「高津〜!」


「……うん、ちょーびっくりした」


止まりかけた心臓を押えて言うと、川谷は反省する様子もなくケラケラと笑っていた。いつになくハイテンションな川谷が大きくドアを開け、俺を招き入れる。


外観と同様に整えられた玄関を抜け、すぐそこの階段を上り、川谷の部屋へ向かう。2階にある川谷の部屋は一見シンプルだが賑やかな印象を与えさせた。というのも、壁や棚の上に沢山の写真が飾られているからだ。


「うわ、これってあの時の?」


一枚の写真を指差すと、川谷は顔を綻ばせて「あぁ、うん」と答えた。


「懐かしいな」


「まだ皆ぎこちなくて面白いんだよな」


言ったそばから、川谷がクスクスと小さく笑う。

壁にかけられたコルクボードに飾られていた写真には、無表情のままピースする里宮、戸惑いを隠しきれず困ったような顔になっている俺、控えめに微笑んで小さくピースする川谷、微かに目を細めている五十嵐、目をくしゃっと閉じて満面の笑みを浮かべる長野が映っていた。


全員の雰囲気がなんとなく今より幼く見える。

それは俺と里宮が初めて会話をした日、そして皆と出会った日の写真だった。それぞれの自己紹介をした直後、『写真撮ろーぜ!』とハイテンションに言った長野がスマホを掲げたことを昨日のことのように覚えている。


その他にも写真は沢山あった。初めての関東大会、川谷の誕生日パーティー、先輩の卒業式。

どれも大切な思い出だ。


コルクボードから視線をずらし、棚の上の写真立てに目を向ける。そこには2枚の写真が飾られていた。

1枚目は今よりずっと幼い顔立ちの川谷が幸せそうに茶色い毛を持った子犬を抱きしめている写真だった。

この無邪気な少年は腕の中の命を失うことなど微塵も危惧していないのだろう。


しかしその姿は、もう此処にはない。大切な存在を失い、写真の中の少年より随分大人びた表情になった川谷は、それでもその存在を忘れない。

こうして“今”の空間に馴染ませ、その存在を“過去”にしない。それはきっと、川谷の中にある後悔も同じなのだろう。

そこには川谷の強い覚悟が表れている気がした。


続けて隣に飾られていた2枚目の写真に目を移すと、心臓が小さく跳ねた。目を細めて柔らかく微笑む川谷の隣で、同じく幸せそうに笑ってピースする女子の姿。


「川谷……これしまっといた方が良いと思うぞ。絶対いじられる」


特に五十嵐に。心の中で付け足しながら例の写真を指さすと、川谷は「ん?」と振り返るなり大きく目を見開いた。


「あああああああ!」


大声をあげて顔と耳を真っ赤に紅潮させた川谷に、思わず吹き出して笑う。写真の中で桜色の頬を綻ばせていたのは、川谷の彼女の飯島さんだった。


「ごめん高津! 助かった!」


「はは、五十嵐に見られなくて良かったな。てか、顔トマトみたいになってるけど」


「うっせ! トマト好きだからいんだよ!」


「なんだそれ」


くだらない会話をして笑っていると、一階からインターホンの音が鳴り響く。玄関まで下りて行くと、そこにいたのは長野と五十嵐だった。


「おっす川谷! あれ、高津一番のりだったん?」


「靴見りゃ分かるだろ」


いつも通りはしゃいだ声をあげる長野に、五十嵐が呆れながら突っ込む。ぞろぞろと階段を上って行くみんなの背中を眺め、その中に里宮の姿がないことに違和感を覚える。


里宮は午後から合流するということだった。

理由は特に聞いていないが、昨日の試合で疲れているのかも知れない。学校にいる時と同じように賑やかな空間で、里宮だけがいないのはなんだか不思議な感覚だった。






「なぁ〜、ここどーやってやんの〜?」


「今教えたばっかだろ。だから〜」


指先でくるくるとペンを回しながら不満げな声をあげた長野に、川谷は怒ることなくもう一度同じ所を教え始める。川谷の部屋に集まった俺たちは、さっそく課題を進めていた。

ほとんど長野に教えてるだけな気もするが……。


長野によると、川谷の教え方はよっしーより分かりやすいらしい。そんなことを言ったらよっしーの仕事がなくなってしまうのでは? と思ったが、正直俺も同感なので黙っておく。


「……で、ここがこうだろ」


説明しながら問題を解き終えた川谷が、シャーペンでとん、と一度ノートを打つ。さすが優等生。

並外れた頭脳を持つ川谷が難問を簡単に解く姿を見るたび、その頭の中を覗いてみたいなんて馬鹿なことを考えたりする。


「あぁ〜、もうわかんねぇ!」


シャーペンをノートの上に放り投げ、長野が喚く。

その勢いのまま頭をガンッと机に打ち付け、露わになった額をぐりぐりと押し付ける長野の背を、川谷が優しく叩いた。


「落ち着けって。ちゃんと考えれば分かるから」


「もうやだー」


顔を伏せたまま子供のように駄々をこねる長野に、思わず苦笑いを浮かべる。

その時、隣からスッと伸びた手が視界に入った。

無言のまま背筋を伸ばし、やけにまっすぐ挙手した五十嵐がもう片方の手で眼鏡の位置を直した。


「先生、分かんないっす」


なぜか自信満々な態度と馬鹿っぽい言葉が噛み合わなすぎて笑いが込み上げてくる。しかも五十嵐の視線は誰の方にも向かず宙を彷徨っていた。本当に意識が現実にあるのか疑いたくなる。

そんな様子の五十嵐に、川谷は小さく息を吐いた。


「はいはい。どこ……って、俺の眼鏡勝手に取んな!」


いつの間にか盗みを働いていた五十嵐から眼鏡を奪い返し、川谷はふんっと鼻を鳴らして眼鏡をかけた。

実は川谷はかなり視力が悪いらしく、家では眼鏡をして生活しているらしい。“眼鏡は似合わないから”と言って学校ではコンタクトを付けているため、視力が悪いことは川谷にとっての秘密だ。

まぁ、飯島さんは初めて川谷の眼鏡姿を見て頬を赤らめたそうなのだが。


片手に教科書を持って五十嵐に勉強を教える姿はまるで教師だった。見惚れてしまう飯島さんの気持ちも分かる。


「腹へった!」


机に突っ伏したままだった長野が唐突に大声を出し、その場にいた全員が軽くのけぞる。長時間の勉強にかなり参った様子の長野はもはや半泣き状態だった。

これはどうしようもないな。そんなことを思った直後、川谷が「しょうがねぇなぁ」と肩をすくめながら立ち上がった。


川谷も俺と同じことを思ったのかも知れない。

うんと伸びをして、「昼休憩にするか!」と川谷が高らかに宣言する。「さんせ〜」と間の抜けた声をあげ、あくびをしながら立ち上がった五十嵐に思わず笑い、俺も釣られるように腰をあげる。


「どこ行く?……てか、長野死んでね?」


未だ机に突っ伏したまま動かない長野を指差して言うと、2人とも長野に目を向けて「本当だ」と呟いた。


「長野! 昼食べに行くぞ!」


俺が声をかけても反応しない長野を見て五十嵐がいやらしい笑みを浮かべる。


「じゃあ長野置いて3人で行くかぁ〜。あっれでもおかしいなぁ〜? 腹減ったって言ったの長野なんだけどなぁ〜?」


これ以上ないくらいに意地悪な顔をした五十嵐が長野に顔を近づけて煽るように言う。その姿は心の底から楽しそうだった。思わず川谷と顔を見合わせて苦笑する。


「長野腹減ってないのかなぁ〜?」


揶揄うような口調で五十嵐が言うと、どこからかぐぅと大きな音が響いた。言うまでもなく、長野の腹の音だ。すかさず川谷が「腹で返事すんな!」と突っ込みを入れ、先程まで静かだった部屋が笑い声で満たされた。




3人の笑顔の奥で、コルクボードに飾られた写真が小さく揺れた。

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