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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第3章
107/203

106. 仮面を取った人

「やった! 勝ったぁー!」


井口くんのスリーポイントシュートが見事に決まり、ギリギリではあるが試合には勝利した。隣ではしゃいでいる桃の声を聞いて、そうだと分かった。

コート内で笑顔を弾けさせ、ガッツポーズをする部員たちの姿をぼんやりと眺める。


もちろん、勝てて嬉しい。嬉しい、けど。

それどころじゃない、という言葉を使うのを、どうか今回だけは許して欲しい。


「阜? どしたの〜?」


「……へぇ」


「え、阜? 噛み合ってないよ〜」


顔の前で手を振られるが、それに反応する余裕もない。左右に揺れる桃の手がまるで振り子のように遅く見える。


「ねぇ、本当に大丈夫?」


「うん。大丈夫……だと、思う。たぶん」


曖昧なことを口にする私に、桃は「どうしちゃったの〜?」と首を傾げていた。

ごめん、桃。後で説明するから。

心の中で言い訳をしながら、ぼぅっとコートを見つめる。ふと相手側のベンチに目を向けると、そこに座っていた人影が一瞬黒沢くんに見えて心臓が痛いほど跳ねた。


動揺しすぎて盛大にこけた私を見て、桃はいよいよ怪訝そうに眉を顰める。危うく医務室に連行されるところだった。へらへらと笑みを浮かべながら必死に弁解しているうちも、私の頭の中は黒沢くんのことでいっぱいだった。






ぞろぞろと吸い込まれるように控え室へ戻っていく部員たちの後ろ姿を追いながら、思わず小さなため息を吐く。奇跡の勝利に歓喜していたのも束の間、私たちは次の対戦校を聞いて気を失いそうになった。

南山根。ウィンターカップ優勝を決めたこともある超強豪校。きっと白校(わたしたち)のことなんて敵と認識していないだろう。


そんな状況になっているというのに、私は白校バスケ部を置いて人気の少なくなった廊下を歩いていた。

桃には少し気分転換をしてくると伝えたし、もちろん試合までには戻るつもりだ。私の体調が悪いと思い込んでいた桃は全力で頷いていたが、実際は全く違うのでなんだか裏切ってしまったような気持ちになる。


試合直後とは打って変わって鉛のように重たい雰囲気の中にいる部員たちの姿が脳裏を過り、マネージャー失格だな、と1人苦笑いを浮かべる。


「工藤」


突然名前を呼ばれ、全身が飛び跳ねる。慌てて振り返ると、数ヶ月前と何ら変わりなく優しい目をした黒沢くんが立っていた。


「久しぶり」


「ひ、久しぶり……」


まるで何事もなかったかのような顔をする黒沢くんに驚きつつ、ほとんどオウム返しのように挨拶を返す。

暴れまくる心臓を押さえ、黒沢くんに気付かれないよう息を整える。


「元気だった?」


「……うん」


震えた声でなんとか答える。たった数ヶ月前までは近くに感じていた黒沢くんのことがまるで知らない人のように思えた。あの時私の心を温めていた安心感はどこにもない。

少しの沈黙が流れ、黒沢くんが意を決したように顔をあげる。


「あのさ」


言いかけた言葉を一度飲み込み、何かに耐えるように唇を噛んで、それでも黒沢くんはしっかりと私の目を見て口を開く。黒沢くんの言おうとしている言葉が、私には分かった。


「……ごめんな」


チクリ、と鋭い針が心臓を刺す。針から伝わった言葉がゆっくりと全身に沁みていく。


「好きだって言ってくれて嬉しかった。何も答えられなくてごめん。俺は、工藤を傷付けるのが怖くてーー……」


そこまで言った黒沢くんは言葉を止めて俯き、呟くように「違うんだ」と続けた。


「工藤を傷付けるのが怖かったんじゃない。俺が……自分が傷付くのが怖かっただけだ」


申し訳なさそうに目を伏せる。その姿はなんだか叱られた子供のように見えた。昼間より少し涼しくなった風が、開いた窓から廊下に吹き込む。それに誘われるかのように射し込んだ光がリノリウムの廊下を淡く照らした。


「自分のことばっかで、工藤の気持ちも考えないまま逃げた。本当に、俺はあの時から全然変わってなかったんだって思った。……でも、雷校に転入してから色々あって……里宮を好きになって、俺は変われたと思ってる」


予想もしていなかった言葉が鼓膜を揺らし、思わず弾かれたように顔をあげる。黒沢くんは私の動揺に気付いているのかいないのか、自分自身に呆れたように肩をすくめた。


「って言っても、もうフラれてるけどな。里宮も、このことはちゃんと工藤に説明する気でいたし、隠してた訳じゃない。ただ俺が、今工藤に話したかったんだ」


開きかけた口を噤む。口を挟まずに、最後までしっかりと黒沢くんの話を聞こう。そう決意した矢先、私はそんなことを決めずとも自分がずっと口を閉じたままだったことに漸く気が付いた。


「初めて人を好きになって、告白して、やっと分かった」


瞬間、嫌な予感が胸に広がる。


「あの時、工藤がどんな気持ちだったのか」


黒沢くんの言葉がぐさりと心臓に突き刺さる。あまりの痛みに私は思わず顔を歪めた。

黒沢くんに会う前から、傷つくことは分かり切っていた。あの時黒沢くんの取った行動はどう汲み取っても良い意味には成り得ない。


それでもやっぱり、黒沢くんの口から本当のことが聞きたかった。話したいことが沢山あった。

だから私は、黒沢くんに会いに来た。


それなりの覚悟を持っていた筈なのに、私は頭の片隅で黒沢くんに会ったことを後悔していた。どんな言葉でも受け止めるつもりでいたのに、淡い決意はいとも簡単に吹き飛ばされてしまった。


……言って欲しくなかった。

他の人を好きになって、私の気持ちに気付けたなんて。……そんな残酷な真実は知りたくなかった。

ぐっと唇を噛む。急速に視界が滲むと同時に涙が零れた。拭っても拭っても、それは止めどなく溢れてくる。声を殺し、ジャージの裾で目元を拭う刹那、黒沢くんの苦しそうな顔が見えた。

そんな顔をするなんて、本当にずるい。


「……ごめん。泣かせるかも知れないって分かってたけど、それでも話さなきゃいけないと思ったんだ」


黒沢くんの声が絶えず耳に届く。熱く震えた喉元からは嗚咽が漏れるばかりで、何も声が出てこない。


『里宮を好きになって、俺は変われたと思ってる』


2人の間に、何があったのかは分からない。

蓮がどうやって黒沢くんの心を救ったのかなんて、分からないけれど。


私は、ただ黒沢くんと居たかった。

一緒に笑って、一緒に泣いて、いつか黒沢くんを苦しめているピエロの仮面を取ってあげたかった。

優しくしたかった。優しくされたかった。毎日のように一緒に居て、手を取り合って、沢山話して。

……私が、黒沢くんを、変えたかった。


「告白した時、里宮も最初は逃げたんだ。俺が突然すぎたから。……でもあいつは、ちゃんと答えてくれた。“分からない”って言いながらも、ちゃんと素直な気持ちを教えてくれた。そんなことすら出来ずに工藤を苦しめた俺は最低だって、その時改めて思った。

俺だって、工藤と話してる時間が何より楽しかったのに」


黒沢くんがどこか悔しげに唇を噛む。私の告白から逃げたことを、後悔してくれている。私にとって泣きたくなるほど大切な思い出を、黒沢くんも覚えてくれている。そう思うと嬉しくて胸が熱くなった。


こんなにも、心は温かいのに。黒沢くんが本当の笑顔になってくれて嬉しいのに。親友が告白されて誇らしいのに。何も、言葉が見つからない。


その時、ふと力強い風が廊下を吹き抜けた。反射的に前髪を押さえて目を瞑る。瞬間、黒沢くんと過ごした日々の記憶が走馬灯のように浮かびあがってきた。


『似合うじゃん、ツインテール』


『どうでもよくないよ』


『同じだな』


あぁ、そっか。

今私が言うべきことは、言ってもらうべきことは、これだけだ。


「黒沢くん」


涙を拭って、その名前を呼ぶ。今までずっと黙っていた私が口を開いたのに驚いたのか、黒沢くんは少し丸くなった目を私に向けた。


「ちゃんと言って」


「何を……」


「私、まだ一番大事なこと聞いてないよ」


眉をひそめていた黒沢くんの表情が変わる。何かを悟ったような、覚悟したような瞳が私をまっすぐに射抜く。黒沢くんが、深く息を吸ったのが分かった。


「俺はーー……」


窓から射し込むオレンジ色の光が私たちを染め上げる。先程の強い風が嘘のように緩やかな風が優しく頬を撫でた。陽だまりのような匂いが鼻腔をくすぐる。

あぁ、これから夏が来るんだ。

大事なことを話している最中なのに、なぜかそんなことを思った。


「……俺は、工藤とは付き合えない」


噛み締めるように言った黒沢くんの言葉を、しっかりと受け止める。黒沢くんの表情を見ないまま小さく頷き、私は目を閉じた。瞼の裏に鮮やかな色彩で彩られた思い出が次々に浮かぶ。

……楽しかったな。ただ純粋に、そう思った。

今まで引きずってきた気持ちに、やっと笑って手を振れた気がする。


「ありがとう」


心からの感謝を込めてその言葉を口にする。黒沢くんはどこか躊躇いの色を見せながらも、口角を上げて微笑んだ。

……これで終わり。

()()()()()そう思っているかも知れない。

でも私には、まだ話さなくちゃいけないことがある。


「あのね。私、黒沢くんに聞きたいことがあるの」




どうか、私の罪を裁いて欲しい。

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