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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第3章
105/203

104. エール

聴き慣れたドリブルの音と観客席からの声援が会場中に響く。ベンチにいる部員たちも明日には声が出なくなるんじゃないかと心配になるほど声を張り上げていた。


「イエロー!」


「ピンク!」


皆の“色”が会場中に響き渡る。

坂上先輩からのパスを受け取った里宮は、腰を落とし隠すようにボールをつきながら走り出した。里宮の近くにいるとまるで聳え立つ高層ビルのように見える履践学園の選手たちが2人がかりで里宮を止めにかかる。


その姿に、里宮は少し怯んでいるように見えた。

三神先輩も坂上先輩も雨宮先輩もマークされ、身動きが取れなくなっている。そして里宮が足を止めてドリブルをやめた刹那、里宮の手から一瞬にしてボールが消え去った。


その光景に思わず息を呑む。この数秒で一体何が起こったのか、俺には微塵も分からなかった。

呆然とする脳内にドリブルの音が反響する。

ハッとして顔を上げると、ゴールに向かって走る見慣れた背中が目に入った。


相手選手のディフェンスを綺麗に躱し、無駄のない動きでレイアップシュートを決めたのは五十嵐だった。

パサッと気持ちの良い音が響き、思わず目を丸くする。俺だけじゃない。誰もが2人のプレーを見て目を丸くしていた。


数秒前の状況が脳内で少しずつ整理されて行く。

先程の里宮はドリブルをやめた瞬間に一切合図を出すことなく斜め後ろの五十嵐にパスをしたのだ。

素早く、五十嵐の方を向くことなくノールックパスをした里宮にも驚いたが、それをしっかりと受け取った五十嵐の技術にも驚かされた。


会場の雰囲気に気が付いているのかいないのか、コート内の里宮と五十嵐はどちらからともなくハイタッチを交わしていた。

その姿を見て、頭の中である記憶が弾ける。


「あの2人、チームワークが尋常じゃないな」


隣から鷹の小さな呟きが聞こえる。控え目に頷きながら、いつか聞いた話を思い出す。

あの2人は同じミニバスチーム出身だ。

里宮は小3、五十嵐は小6でチームに入った。ミニバスチームは12歳で卒業らしいから2人が同じコートでバスケをしていたのは1年だけかも知れないが、中学生になってからも時間を見つけては2人でミニバスチームに顔を出して練習していたらしい。


小学校も中学校も違う2人だが、あいつらは俺たちと出会う前からバスケで繋がっていたんだ。


そんなことを知らない鷹は随分困惑しているようだったが、またもや2人のチームプレーが炸裂し雷校に点が入ると、思考を放棄して声を張り上げていた。

2人のチームプレーに魅せられていた時間も束の間、数分後には履践学園の選手が3ポイントを決めていた。


一時も油断出来ない状況だ。いつの間にか膝の上で組んでいた両手からはじわじわと汗が滲んでいる。

がむしゃらにボールをついて走る里宮も心なしか普段より焦っているように見えた。


その時、唐突に里宮の動きが止まった。

目の前に履践学園の選手が立ちはだかっているにも関わらず、里宮はキョロキョロと視線を泳がせている。

その瞳が、一瞬正面の観客席の方へ向いた気がした。


それを待ち侘びていたかのように、履践学園の選手が里宮の手からボールを奪う。その選手が里宮の真横をすり抜けて走り出しても尚、里宮の表情は固いままだった。明らかに様子がおかしい。


「里宮……っ」


思わず声を出しかけた時、頭上から一段と大きな声が響いた。


「蓮ー!」


驚いて振り返ると、観客席の1番前に立ち、手をメガホンの形にしている工藤の姿が目に入った。


「がんばってー!」


まるでその言葉が合図だったかのように、勢いよく走り出した里宮は履践学園の選手に追いつくと、その手から放たれたパスを防いですぐさまゴール近くの三神先輩へパスを回した。

なんとか体勢を立て直したようだ。

ほっと息を吐きながらも、里宮にとって工藤の存在がどれだけ大きいものなのかを改めて実感する。


里宮が先程目を向けていた観客席の方を横目で確認してみるが、特に変わった様子はなかった。

雷校の制服も見当たらないし、里宮の父親の姿もない。知り合いが居たわけではなさそうだ。


里宮は一体、何を見てあんなに取り乱していたのだろう……?




* * *




「ねぇ阜、あの人名前なんていうの?」


「ん? あぁ、高津くん? 高津くんがどうかしたの?」


「んー……私、一目惚れしちゃったかも」




* * *




「ぬあぁぁぁ! 負けたぁぁ!」


控え室中に響いた長野の喚きを聞いて、“負けたんだな”と実感が湧く。俺たちはギリギリまで履践学園を追い詰めたが、71-76で負けてしまった。

散々ミーティングで反省点を話し合ったのに、未だ全身がふわふわしているようで思考が纏まらない。


「引退しないでくださいよ先輩〜!」


3年生に縋りつくような形で、部員たちが懇願するような声をあげる。


「おいおい、泣くなよ! 一生の別れじゃあるまいし!」


明るくそう言った三神先輩が後輩の頭をわしゃわしゃとかき回しながら笑う。そんな先輩も、試合直後は子供のように泣いていた。

三神先輩だけでなく、ほとんどの3年生が涙を流していた。試合終了のブザーが鳴ったあの瞬間、3年生全員の引退が決まったのだ。

正直、俺も涙を堪えるのに必死だった。


泣きながらもそれぞれの活躍を讃え、慰め合いながら会場を出ると、そこには佳奈先輩が立っていた。

慌てて駆けつけたのか少し息が乱れていたが、佳奈先輩は躊躇することなく坂上先輩の傍に駆け寄った。

柔らかな笑みを浮かべた佳奈先輩が、坂上先輩に何か言って手を広げる。

佳奈先輩に抱きすくめられ涙を流すキャプテンを、誰も冷やかしたりはしなかった。


それから試合後の学校に割り振られたミーティングルームで反省会を行い、控え室に戻ってきて今に至る。

坂上先輩の号令で解散になると、部員たちはそれぞれの荷物を持って控え室を出て行った。


「あれ、里宮は?」


長野がキョロキョロしながら言うのを聞いて、俺は思わず苦笑いを浮かべる。


「ミーティングの時からいないだろ。すぐ帰ってくると思ったんだけどなぁ……」


里宮は試合後に姿を消すことが多い。

1人で考えたいことがあるのかも知れないが、解散までには戻って来てもらわないと心配になるので困る。

……それに今回は、里宮に聞きたいことがあった。


「俺探してくるよ」


「じゃあ俺たち会場の前で待ってるから」


当たり前のようにそう言った川谷が軽く片手をあげると、その横にいた五十嵐があからさまにニヤリと口角をあげる。


「よろしくな里宮係〜」


「誰が里宮係だ」


ひらひらと手を振りながらからかってくる五十嵐にすかさず言い返す。

まぁ、毎回いなくなった里宮を探して連れ戻しているのは俺なのであながち間違ってはいないのかも知れないが……。

今の言い方はなんか世話係みたいで嫌だな。


そんなことを考えながらふぅっと息を吐き出し、近くの階段を上る。陽の傾き始めた空を窓越しに眺めながら当てもなく歩いていると、タイミングよく正面から里宮が現れた。


「あれ、高津。何してんの?」


「何って……お前を探してたんだよ」


苦笑しながら言うと、里宮は「なんで?」と小首を傾げた。まぁ、今の状況は本当に“なんで?”だ。

試合後のミーティングはとっくに終わっているし、俺たち以外の部員はそれぞれ自宅に帰って行った。

俺が里宮を連れ戻す必要はない。


「一緒に帰ろうと思って。下で皆も待ってる」


言うと、里宮は分かりやすく納得したような顔をした。もちろんそれが里宮を探しに来た一番の理由なのだが、俺にはもうひとつ里宮に用があった。

試合中、観客席の方へ目を向けて身体を固くしていた里宮の姿が脳裏を過ぎる。


あの時、里宮は一体何を見ていたのか。


「あのさ、」


「高津」


俺の言葉を遮った里宮の声が人気のない廊下に反響する。ひとまず口を閉じて里宮の言葉を待つが、里宮は俺の名前を呼んだにも関わらず目を伏せて黙り込んでしまった。不思議に思っていると、下を向いたままの里宮が力ない足取りで歩み寄って来る。

そしてそのまま、里宮は俺の体に体重を預けた。


「えっ、ちょ、里宮?」


突然のことに動揺し思わず名前を呼ぶ声が上ずってしまったが、里宮からの反応はない。

心臓の音がやけに大きく響く。里宮は顔を伏せたまま俺の胸元に頭を押し付けていて、その表情は見えない。


里宮の額から心臓の音が聞こえてしまわないか、焦りと緊張が止まらなかった。

その時、里宮がぽつりと呟く声が聞こえた。


「負けた……」


蚊の鳴くような小さな声。見ると、里宮の肩が微かに震えていた。先程まで全身を固くしていた緊張が和らぐ。里宮がこんな行動を取った理由が、少しだけ理解できた気がした。震えを落ち着けるように、そっと里宮の肩に触れる。


「私があんな作戦提案したから……」


今にも泣き出してしまいそうな声を聞いて、俺はすぐさま「それは違うよ」と否定した。続けて声を繋ごうとした口は半開きのまま動かず、やるせない思いが募っていく。気付くと俺は口を噤んで唇を噛んでいた。

こんな時、かけてやる言葉が何も見つからない。


里宮の気持ちは痛いほど分かる。

もしも俺が、あの時ボールを奪われなければ。

あの場面でシュートを防げていたら。

……俺にだって、後悔はある。


「悔しいのは皆一緒だ。……誰も里宮のせいだなんて思ってない」


語りかけるように言うが、その言葉が里宮を救うものなのかは分からなかった。


「……大丈夫だよ」


気休めにしかならないかも知れない。

そう思いながらも、肩に触れていた手を里宮の背に回す。小さな嗚咽を受け止め、控えめに背中を摩りながら、そのか細い背中を離したくないと思った。

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