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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第3章
103/203

102. 夏日の決意

高く晴れた空を窓越しに眺める。

履践学園との試合が目前に迫っているというのに、どこか落ち着かない気持ちが微かな不安を煽っていた。他の部員たちはリラックスできているようで、控え室の雰囲気は強豪校との試合前とは思えないほど緩やかだ。


何がそんなに可笑しいのか、いつものように爆笑している長野を見て小さく息を吐く。今はその呑気さが羨ましい。またひとつため息を吐き、私はみんなの目を盗んで控え室を出た。


とくに行く先もなくふらふらと歩いていると、観客席に辿り着いた。そこはほぼ満席状態で、誰かの保護者やら制服を着た高校生やらで溢れていた。

その中には雷校の制服を着た生徒の姿もある。


誰もが会場の蒸し暑さに顔をしかめ、しきりにうちわを仰いでいた。今日は35度を超える猛暑日になると報道されていたし、会場はノースリーブのユニフォームを着ている私でさえ顔を仰ぎたくなる程の暑さだ。

険しい顔になってしまうのも無理もないだろう。


そんなことを考えながら歩いていると、ふとある席で目が留まった。

白校の制服を着たショートカットの少女と、カフェオレのような色をした髪をひとつに纏めた少女。彼女たちと楽しそうに声をあげて笑っていたのは阜だった。その隣に立つ金色の髪をした少女も口に手を当てて笑っている。阜と同じ白いジャージを着ているので、恐らく白校のマネージャーだろう。


阜が学校の友達と話している所を見るのはなんだか新鮮だった。阜も新しい場所で、自分を変えてくれる人に出会えたのかも知れない。私にとっての皆みたいに。……もしかしたら、それが黒沢だったりするんだろうか。あの2人が話しているところはなんだか想像がつかないな。


そんなことを考えてぼーっとしていると、唐突に「蓮?」という阜の声が聞こえた。

反射的に顔を上げると、いつの間にか目の前に立っていた阜は不思議そうに首を傾げた。

その横には金髪の少女も居る。


「こんな所でどうしたの? 次試合だよね?」


「あぁ、ちょっと……」


曖昧に言葉を濁していると、不意に甘い香りが鼻腔をくすぐった。柔軟剤とは違うその香りは可愛らしく咲く花の香りを想像させた。何か香水でも付けているのだろうか。思わず阜の隣に立つ金髪の少女に目を向ける。


「あぁ、桃?」


私の視線に気が付いた阜が、隣に目を向けてその少女の名前を呼ぶ。

ぱっちりと開いた二重の目は人懐っこい犬のように丸く、目尻は少し下がっていて柔らかい印象を感じさせる。紹介しようと口を開いた阜を遮るように、「いいよ、阜」と微笑んだ彼女は私と目を合わせることなく「先に行ってるね〜」とだけ言ってその場を離れて行った。


「ごめんね。桃には蓮のこと少し話したから……“女嫌い”っていうのを気にして、気を遣ってくれたんだと思う」


私に向き直ってそう言った阜に、そういうことかと納得する。


「別に隠してる訳じゃないからいいけど……気にしなくていいって言っといて。阜の友達は、ちゃんと良い人だって分かってるから」


「……うん」


大きく頷いて嬉しそうに微笑んだ阜を見て、私まで笑顔になる。阜の優しい表情からも、“桃”と呼ばれていた彼女が悪い人ではないことが窺える。


「じゃあ、試合頑張ってね。……黒沢くんのこと、教えてくれてありがとう」


落ち着いた声が鼓膜を揺らす。どこか寂しげな阜の瞳に気付かなかった訳じゃないのに、私はただ頷くことしか出来なかった。

やがて離れていく阜の背中をただ眺める。何も出来ないもどかしさを噛み締めながらも、阜と黒沢の関係が少しでも良い方に向かうように、私はひたすら祈り続けた。




* * *




控え室の窓から、青々と晴れた空を覗き込む。

いつもより高い位置にある雲を見上げていると、なんだか漸く夏になった実感が湧いてくるような気がした。


「高津? 何見てんの?」


反射的に振り返ると、ユニフォーム姿の川谷が不思議そうに首を傾げていた。質問には答えず、笑みを浮かべながら手招きをする。素直に近寄ってきた川谷は、導くまでもなく窓の向こうに広がる空を見上げた。


「綺麗に晴れたな。どうりで暑いと思った」


「夏休みに入ったって実感があんまなかったからさ。いかにも夏って感じの空見てたら目が離せなくなって」


遠くに浮かぶ入道雲を見上げながら言うと、川谷は少し目を丸くして苦笑した。


「俺は充分実感あるよ」


「なんで?」


「休み中の課題とか?」


戯けたような川谷の一言を聞いた瞬間、俺の口はあっという形に開いていた。


「うわっ、課題。完全に忘れてた」


長期休みということで、俺たちは各教科で呆れる程大量の課題を出されていた。川谷は既に進めているようだが……俺はというと、まだひとつも手をつけていなかったりする。


「何の話〜?」


人懐っこく近寄ってきた長野に、川谷はニヤリと笑みを浮かべて「課題の話〜」とノリノリで答えた。

それを聞いた途端、長野の笑顔が一瞬で固まる。

そしてその顔のままぐるんとあからさまに顔を背けた長野に、「現実逃避すんな〜」と笑いながら声をかけるが、長野はこっちを向こうとはしなかった。


「ん? 長野どしたん?」


側のベンチに座っていた五十嵐が長野の不自然な笑顔を覗き込む。川谷が笑いながら「課題からの現実逃避」と答えると、五十嵐は納得したように頷いた。


「長野はそれプラス補修もあるしな〜」


ニヤニヤしながら五十嵐が言うと、長野はようやくこっちを向いて「今その話しなくていいだろ!」と喚いた。テスト前にはみんなで勉強会を開いたりしていたのだが、長野は今回も赤点回避出来なかったらしい。


「まぁ補修あるならその時に課題も進められるし一石二鳥じゃん」


そんなことを真顔で言い放った川谷に、思わず全員で小さく息を吐く。川谷にとっては勉強なんて全く苦じゃないのかも知れないが、俺たちにとっては普通に地獄だ。


「え、なに? 俺そんな変なこと言った?」


「いや、川谷らしいよ」


「うん、さすが川谷」


俺と五十嵐は薄く笑いながら適当に誤魔化したが、長野は「そんなこと言うなら代わってくれよぉぉ!」と頭を抱えて喚いていた。ご愁傷さま。


そんなこんなでいつものように騒いでいると、控え室の入り口から長野よりずっと大きな声が聞こえてきた。


「坂上、お前ずるいなー!」


「羨まし〜」


何事かと先輩たちの方を覗き込むと、坂上先輩と向き合う形で立っているひとりの女子が目に入った。

先輩の彼女だろうか。


「来てくれてありがとな、佳奈(かな)


坂上先輩が彼女の名を呼ぶ。優しい声色を聞いて、その人が先輩の恋人であることを確信した。猫を彷彿とさせるキリッとした目と、左目の下の小さなホクロが印象的だった。


先輩たちは揃って坂上先輩を茶化していたが、俺はひとり納得していた。あんなに優しくて格好いい先輩はモテて当然だろう。幸せそうな先輩の笑顔を見て、俺の顔も綻んでいた。控え室が坂上先輩と佳奈先輩の話題で盛り上がってきた頃、岡田っちが廊下の奥から歩いて来るのが見えた。


「お前らもうベンチ行っとけよー」


岡田っちがだるそうに言うのを聞いて、部員たちも「へーい」と軽く返事をする。


「岡田っち、里宮知らない?」


いつの間にか姿を消して未だ戻ってこない気まぐれエースの名を口にすると、岡田っちはあからさまに顔をしかめた。


「んぇ? あいつまたどっか行ったの? ほんとしょーがねぇやつだなぁ」


そう言ってガリガリと頭を掻いた岡田っちは、「まぁ試合までには来んだろ」と楽観的すぎる発言をして逃げるように去って行った。ほんとテキトーだな……。

よれよれのポロシャツに包まれた背中が離れていくのをじとっとした視線で見送る。

大きなため息を吐きつつ、岡田っちの言うとおりかも知れないな、とも思った。


里宮は試合をすっぽかすようなやつじゃない。

試合が始まるまでにはちゃんと戻って来るだろう。


誰もいなくなった控え室を見渡してドアを閉めようとした時、里宮の荷物が目に入った。スポーツバッグを覆うように置いてあるジャージの上に、黒いリストバンドがちょこんと座っていた。


「ったく、これ忘れてどーすんだよ」


思わず呆れ笑いをこぼしてリストバンドを拾い上げると、さっきまで陽が当たっていたのか、それには少し熱が籠っていた。自分の左手首にはめられたものと同じリストバンドを優しく握り、俺は控え室のドアを閉めた。


ユニフォーム姿の選手やジャージ姿のマネージャーたちが行き交う廊下を抜け、開け放たれた扉の前に立つ。その向こうに広がるコートを見つめて深呼吸を繰り返し、手元のリストバンドに目を落とす。


「……勝ちに行こうぜ、ピンク」



黒いリストバンドを握り、小さく呟いた声は観客達のざわめきにかき消されていった。

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