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黒を被った弱者達  作者: 南波 晴夏
第3章
102/203

101. 恋と罪

いつもより軽い鞄を肩に掛け、ハイテンションに休み中の計画を立てているクラスメイトの横をすり抜けて教室を出る。

今日は1年生最後の日。明日からは春休みになる。

浮かれた雰囲気の中、私はひとり身を固くしていた。

口から飛び出してしまいそうなほど暴れた心臓をおさえ、繰り返し深呼吸をする。


終業式の後片付け等で顧問の都合がつかないらしく、今日の部活は休みだ。他の生徒達と同じようにハイテンションな桃からの誘いも断って、この後は黒沢くんといつもの場所で話す約束をしている。


……そこで私は、黒沢くんに告白をする。


何度も何度も逃げ出したい衝動に駆られながらも、渡り廊下に向かう足は止まらなかった。

少しくらい怖くたって、私はもう逃げない。


担任に話すことがあるという黒沢くんより一足先に渡り廊下に着き、大きく深呼吸をする。

明日からは春休み。黒沢くんと顔を合わせることはなくなる。それが明けたらクラス替えがあって、10クラス以上あるこの学校でまた同じクラスになれる確率は圧倒的に低い。


このまま伝えられずに離れることになるなんて嫌だ。

そんなことを考えて覚悟を固めていると、「おまたせ」という声が背中に届いた。心臓が大きく跳ねる。

慌てて振り返ると、黒沢くんは私の慌てぶりを不思議に思ったのか軽く小首を傾げた。その表情はいつも通り優しいのだろうけれど、緊張し過ぎて黒沢くんの顔を直視できなかった。


「話って、中学の友達のこと?」


そう言いながら、黒沢くんは渡り廊下の入り口にある五段ほどの短い外階段に腰を下ろした。いつも長話をする時に座っている場所だ。

普段通りの黒沢くんとは対照的に緊張しまくっている私は喉に何かが詰まってしまったかのように声が出せなくなった。仕方なく口を噤んだまま首を振り、黒沢くんの隣にそっと腰を下ろす。


黒沢くんに聞こえてしまうのではないかと心配になるほど大きな心音を聞きながら、膝の上で固く拳を握る。


「えっと、突然なんだけど……」


ボソボソと小さな声で話し始めると、黒沢くんの顔が少し近づいてきたのが分かった。

私の声を聞き逃さないように耳を傾けてくれているのだと気付いた瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚がした。


もう、この想いを私の中だけに留めておくことは出来そうになかった。

……振られたって良い。伝えられないで終わるより、ずっと良い。


「……っ」


出ろ、勇気……!

祈るように組んだ両手に力を込めた直後、自分の息を吸う音が耳元で響いた。


「好き、です……っ!」


その時、まるで私の声を攫うかのように強い風が吹き抜けた。踊る毛先が首元をくすぐる。恐る恐る顔を上げると、黒沢くんは何が起きたのか分かっていない様子でぽかんと口を開けていた。

その口から、思わずといった感じで「えっ」という声が漏れる。私からの告白なんて、全く予想していなかったのだろう。


どこか困ったように視線を泳がせる黒沢くんを見ているうちに、なんだか申し訳ない気持ちが込み上げてくる。お互い口を開かないまま沈黙に耐えていたその時、背後から小さな足音が聞こえた。段々と近づいてくる足音に不安が掻き立てられる。

その直後、渡り廊下の入り口のドアに手をかける音が響き、驚いて振り返った時にはもう遅かった。


「工藤?」


そこに立っていたのは、不思議そうな顔をした井口くんだった。その口が次に開いた時には、“何してんの?”なんて質問が飛んでくるに違いない。

なんとか誤魔化す方法を考えるべく、ショート寸前だった脳をフル回転させる。


そんな中、先に体を動かしたのは黒沢くんだった。

まるで何かに操られているかのように迷いのない動きで立ち上がった黒沢くんは、足元に置かれていた鞄を肩にかけ、そのまま足を踏み出した。

……まるで、何事もなかったかのように。


「黒沢くん……?」


行動の意図が掴めず、思わず引き留めた声にも黒沢くんは反応しない。ブレザーに包まれた背中がゆっくりと、それでいて着実に離れて行く。

理解が追いつかなかった。

放心状態になった私は、ただ呆然とその背中を眺めていることしか出来ない。


「何かあったのか?」


不思議そうな声につられてゆっくりと顔をあげ、そこにあるらしい井口くんの顔をぼんやりと眺める。


「え、なんで……」


戸惑うようなその声でハッと我に帰り、慌てて顔を背ける。井口くんの表情が分からない程視界が歪んでいたことに、私は漸く気が付いた。


「大丈夫だから! 気にしないで!」


慌てて両手を振って誤魔化し、側に置いてあった鞄を掴んで地面を蹴る。逃げるように走り出した私は、渡り廊下を抜けて人気のない廊下をひたすら走った。

やがて目についた階段を一気に駆け上がり、荒い息を吐きながら陽光の差し込む廊下を抜ける。

誰もいない教室に逃げ込み、床に膝をつくと同時に涙が溢れ出した。


黒沢くんと過ごした日々の記憶が次々頭に浮かぶ。

全て楽しい思い出のはずなのに、どれを見ても涙は止まらなかった。

……振られたって良い。そんなことを考えていたのに、振ってすらもらえないなんて。


「……言わない方がよかったのかなぁ」


ぽつりと溢れた言葉が、痛む胸に沁みて再び視界が揺らめく。止めどなく溢れる涙をしきりに拭い、子供のように泣きじゃくる私を、薄暗い教室の静寂だけが包んでいた。




* * *




春休みに入ってからも、黒沢くんから連絡が来ることはなかった。私から連絡する勇気はとうとう持てないまま、呆気なく桜が散って春休みは終わった。


新学期、自分の名前の書かれたクラスに、黒沢くんの名前は見当たらなかった。

案の定クラスは離れてしまったようだ。

中庭の掲示板に張り出されたクラス分けのプリントを凝視していると、私の名前から遠く離れた位置に黒沢くんの名前を見つけた。

私のクラスからは7クラス程離れている。

これだけ離れてしまえば、廊下ですれ違うようなこともほとんどないだろう。


……黒沢くんは、なかったことにしたいのかも知れない。私の告白も、私の好意も、もしかしたら私と関わっていたという事実全てを、黒沢くんは忘れたいと思っているのかも知れない。

そう考えるとますます黒沢くんに会う勇気はなくなっていった。


黒沢くんが望むのなら、私も全てを忘れる努力をしよう。そんなことを考えながら過ごす日々に変化があったのは、2年生になって1ヶ月が経った頃だった。


春の暖かさが当たり前になって、段々と梅雨が近づいて来る時期。黒沢くんは、突然姿を消してしまった。

私が黒沢くんの転校を知ったのは、黒沢くんがいなくなって1週間が過ぎた頃だった。

黒沢くんのことを忘れるのに必死だった私は、黒沢くんの転校のことを全く知らなかった。遠いクラスだったこともあり、桃が教えてくれるまでその話を耳にすることすらなかった。


心に穴が空いたような虚しさが胸に広がった。

もう会わない方が良いんだと自分に言い聞かせて過ごして来たのに、まさか本当に手の届かない所に行ってしまうなんて思いもしなかった。

もう二度と黒沢くんには会えないのだという事実が、弱った心に重くのしかかってくる。


迷った末に意を決して黒沢くんのクラスを訪ねると、そこには皐月ちゃんの姿があった。黒沢くんの転校をあっさりと肯定されて肩を落としていると、皐月ちゃんはやけに優しい笑顔を私に向けた。


「でも、よかったじゃん」


にこやかにそんなことを言った皐月ちゃんに、私は思わず目を見開いていた。半開きの口から「え?」という声が漏れる。皐月ちゃんの言葉が理解できなかった。


「黒沢くんがいなくなってよかったって言いたいの……? なんでそんな酷いこと言うの?」


黒沢くんは何も悪いことをしていないのに。それどころか、あんなに優しい人なのに。

いなくなってよかったなんてあんまりだ。

黒沢くんの笑顔が脳裏を過り、思わず固く唇を噛む。

そんな私の様子を見て、皐月ちゃんは怪訝そうに眉を顰めた。


「なんでって……付き纏われてたんじゃないの?」


それを聞いた瞬間、思わず「は……?」と間の抜けた声が漏れた。

皐月ちゃんによると、新学期が始まってから黒沢くんが私に付き纏っているという噂が流れていたらしい。

どこからそんな根も葉もない噂が生まれたのかは分からないが、皐月ちゃんはその噂を信じていたらしい。

それを聞いて、やっと先程の皐月ちゃんの言動が理解できた。


私は、何も知らなかった。

そんな噂が流れているなんて知らなかった。

いつか、黒沢くんが聞かせてくれた話を思い出す。

黒沢くんは、人間関係で悩んだらすぐに転校すると言っていた。……黒沢くんは、自分の意思で転校したんだ。


それに気付いた瞬間、頭の中が真っ白になった。

黒沢くんの平穏な生活を、私は知らぬ間に奪ってしまっていた。黒沢くんから連絡が来なかったのは、私のことを忘れようとしていたからじゃない。

きっと怒っていたんだ。

黒沢くんの生活をめちゃくちゃにした上、それに気付きもしない私に。


考えれば考える程、言いようのない後悔が胸を焼いた。謝りたくても、償いたくても、もう遅い。

黒沢くんはもうここにはいないのだから。



……取り残された私には、大きな罪と、それでも消せない恋心だけが残った。

この気持ちこそが、きっと私の最大の罪だ。

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