リリアンヌと教師とカーヤ・ソーテ
一人称と三人称混じっています。一応、一人称はリリアンヌ視点
2正◇◇リリアンヌ10歳
翌年。
ウエストレペンス城内。
アナベルはスープの鍋をかき混ぜていた。
大丈夫・・・。今日もばれない。ほんの少し。
「このハーブ、変わっていますね」
声をかけてきたのは領主の長男の嫁。将来の領主夫人だ。
一瞬、どきりとしたがすぐにっくり微笑んだ。
「ええ、胃を整えるそうですよ」
そのハーブの効用を答えた。
「ちょっと分けてもらえます?」
将来の領主夫人は邪気のない笑みで尋ねてくる。
「はい」
アナベルは心臓が止まるかと思いながら、そう答えるしかなかった。
領主の息子の嫁・・・ライラ・ラハードは学院に通う医者の卵でもあるのだ。
あの男に正体がばれた時点で、王都の貧民街にでも逃げ込めば良かったのだ。
そうしなかったのは、あまりに住み心地が良かったせいもある。主から聞いた未来の流行病の件もある。
一番最初にその薬が開発されるのがこの場所であると主から聞いていた。
リリアンヌが生き残るのは確実らしいが、それが薬があるところにいたからなのか、ただ単に罹患せずに済むからなのかはわからない。
今からリリアンヌを連れて逃げられるだろうか。
いもしない父親の急病を理由に暇をもらった。
◇
すべて同じオレンジ色の壁と白い窓枠、緑の扉。十番街の一月分の家賃はりんご一個分。住む条件は毎週一度は森に感謝・・・だそうだ。
理由は十番街建設の折りに山神の一部である森をかなり削らなければならなかったから。 一神教の考えが根強いロセウム人のなかには、それさえもやらない人が多い。わざわざ確認されることはないけれど。
二人暮らしでも十分広い家だったが、母はわざわざ二つ家を借りていた。
母はキッチンメイドになってからはほとんどその家には帰らなくなった。
隣の家をそっと叩くが、返答はなかった。
小さく行ってきます。とだけ言って いつもの学校に向かう。
朝も早くから、観光客が広場と大通りで開かれている朝市で買い物をしているのを横目に、屋台筋で簡単な食事を済ませた。ちなみに屋台でも多くの観光客が、ロセウムの食文化を楽しんでいる。
観光客には、この十番街は物珍しいらしい。
統一された町並みだとか、なんとか。潤っているのなら、何でもいいが。
午後。
授業の途中でアンリ先生が呼ばれ、代わりに別の先生が算数を教えてくれた。
別にめずらしいことではない。彼はロセウム語の教師の他に、領主の城での仕事も持っているのだ。
◇
いつも通り授業を終えて帰ると、アンリ先生と怖いおじさんが二人、母の家の前に立っていた。
いつも優しいアンリ先生が険しい表情になっておじさん二人と話し込んでいる。 空気が針積めている感じがして、足がすくんでしまった。
そんな私に気づき、アンリ先生が声をかけてくれる。
「リリー」
「アンリ先生」
アンリ先生の顔はなお険しいままだ。
「アンリ様。お知り合いで?」
「私の生徒で、隣の家の娘です」
隣の家に母は住んでいる。領主の城で働いている。
「アンリ先生」
「家に入っていなさい」
怖いおじさんが二人、私の前に進んだ。
「隣のカーヤ・ソーテさんはどこかな。」
笑みを浮かべるでも、嫌な予感がする。
「……今の時間は、お城で仕事しています」
私は喉をひくつかせながら、答えた。
「私の生徒へのこれ以上の質問は控えてもらえませんか?」
「スープに草が混入していたのです。」
男の一人が先生に小瓶を見せる。
「それは、ロセウムで一般的に使われているハーブだ。スープに普通に入れられる・・・」
「そうらしいですね。別に故意だとは思っていませんよ。こちらも事情を聞ければそれでよかったのですが、カーヤソーテは『父の体調不良』を理由に早退しまして」
「かーやにおとうさんなんていない」
孤児だったのを私の本当の母様に拾われた。
(失敗した)
今ここで言うべきではなかった。
彼らはなぜ重要そうな話を道端で、それも子供の前で話すのか。そんなの私の反応を確認するために決まっているじゃないか。
すっと目を細め、もう一人が質問する。
「君、ご両親は?」
「親はいません」
先生が、私をかばうように立った。
「アンリさん。私たちはこの子に話を聞いているだけなんですよ」
難民だから、疑われているのか。
「あなた方の領主様が難民の子が一人でも生活できるようにしてくださっているのは、感謝しています。調査にはできる限り協力させていただきます。でも子供を怖がらせるのはお控え願いたい」
悪いロセウムの貴族から、取り上げたお金のおかげで、私たちは孤児でも、住む家にも困らず、学校に行けばお昼ご飯がもらえて、ロセウム語とレペンス語を教えてもらえる。 孤児院では、子供でもできる仕事が割り振られる。
病院も学校も裁判所も何もかも、この十番街にそろっていて、みんなはこの箱庭から出なくても暮らしていける。
「ただの隣人です。幼子が一人暮らしですので、地域のみながこの子を支えているのですよ。続きは別の場所で」
「・・・・・・先生」
「君は、家に戻ってなさい。カーヤさんが戻ったら、まず・・・先生に連絡して。この人たちとの話が終わったら必ず様子を見に来るから。」
カーヤがいない日は外食で済ませていたが、その日はカーヤに一番に会いたいから、家を動くことなく硬めのパン、ジャム、ミルクで食事を済ませた。
先生が戻ってきたのは、日が暮れた後だった。
そして、カーヤが戻ってきたのは五日後だった。
◇
「かーや、かーや」
なんで、なんで。ずっと一緒って言ったのに。私を置いていくの?
彼女の遺体が見つかったのは『魔の森』の中で、狼に……
確認は、先生と近所のおばさんたちがしてくれ、遺体は近所の墓地に埋められた。
「髪は茶色だったけれど、根元は白かったよ」
カーヤは雪のようにきれいな髪を目立たない茶色に染めていた。
先生はカーヤが私の保護者だと知っていた。
「貯金はそれなりにあるし、生活援助申請はしばらく待ってくれ。孤児院が定期的に見回りに来るから……。生活が厳しくなったら、先生か孤児院、近所の大人に相談して。先生からもご近所さんにちゃんと言っておくから」
本当なら先生とすぐに一緒に城に行って、必要な手続きを済ませたいのだが、カーヤとの関係が警吏に疑われている以上、一ヶ月ぐらいは手続きを遅らせたほうがいいと言われた。
広場に行けば、最低限の配給はある。
「君のお母さんとお父さんは?」
先生も本来は人の事情を深く聞こうとしない。先生も私もカーヤも近所の人たちも『難民』という枠の中で、くくられているのは一緒だ。
「王都でがんばっているって」
「そうか。カーヤさんの家と君の家調べさせてもらっていい?」
最悪、両親ともはかなくなっている可能性がある。
◇◇アンリ
事件は宝飾品の盗難として検問がひかれ、五日後、犯人が捕まらないまま検問は解除された。
「公表するつもりはないが、ここ一年の間にロセウムの人間はすべて領主周辺の仕事からはずす。多少給料は下がるが我慢してくれ」
茨の城の主、アレス・ラハードはいつも以上に不機嫌だった。
「それは・・・」
アンリは言葉を詰まらせるしかなかった。最悪の処分よりかは遥かに軽いが・・・影響は大きい。
「どこの勢力の仕業か、どれだけの人数、どれだけの期間で行われていたかもわからない。
四年前、私は十番街を観光客へ解放したいと言う君たちの願いを犯罪率等を鑑みて、許可した。今度は私のわがままを聞いてくれ。家族を傷つけられるのは耐えがたい」
入れられていたハーブは確かに胃の調子を整える効果がある。 ただ子を望む女性には不向きな薬でもある。少量なら問題ないが、領主の次男に第二子が誕生する気配がないのも確かだ。
今回の件を、犯人不明の盗難事件として欲しいのなら、十番街の観光を禁止されたくないのなら・・・
領主は、罪自体を揉み消す代わりに、自分の家族の安全を要求した。
「私も・・・ですか」
要求が呑まれなかったら、真実を公表し、ロセウム人をすべて追い出すだけだ。
「お前は今回の責任をとって、一生タダ働きだ」
元々、仕事の一貫として十番街でロセウム語の教師(副業)をしているのだ。それとは別に学院でロセウム文化関連の講師をしている。秘書の給料などどうでもいい。
ただ、領主にロセウム人の意見が届く機会が一つ減るのだけは避けなければならない。
「あの女がどういうつもりであのハーブを使ったのか聞ければ、話は早かったんだが・・・」
アンリとしてもカーヤ・ソーテをかばうつもりはもうとうない。
なんとか、十番街の生活水準を死守しなければならない。
観光客からは『十番街ではロセウムの品が手軽に手に入る』と喜ばれている。
今、活気づいている十番街をウエストレペンスが切り離せないから、この取引を持ちかけてきたのだろうが、アレス・ラハードが平民から伯爵になったのはつい20年ほど前。
家族の安全が確保できないなら、領主の地位を平気で捨てる男だ。
「ロセウム人を追い出すつもりなら、最初から受け入れていない。十番街を今さら封鎖などしたら、こちらの税収が減る」
『父の秤には注意した方がいい』
城勤めを始めた頃、領主の長男が教えてくれたことだ。
彼の天秤は領民に重きを置いているが、それ以上に家族の方が重い。
もし、領主一家が夜逃げしたら、次の伯爵は十番街の人々を領民・・・人とは認めず、利益だけを絞り盗る者になるかもしれない。あるいは国王の命に素直に従い、すべてのロセウム人を追い出すか。
それから一年後をアレス・ラハードは『領内のロセウム人』と『領外の自国民』を天秤にかけることになる。
アンリ・・・ロセウムからの亡命者。10歳の時からウエストレペンスで住んでいる。 母を革命で殺されている。