ハイドランジアとリリアンヌとアナベル
1◇リリアンヌ1歳
ロセウムで革命が起こった。
いや、北候の娘であるハイドランジア自身が起こしたのだ。
貴族は片っ端から、隣国の町ウエストレペンスに逃げた。
ウエストレペンスはその金で潤っている。一応、その金はロセウムから流れてきた難民救済に充てられているというが、実際どれくらいが難民に回っているかなんてわからない。 難民は観光客から隠され、塀のなかで飼い殺しだ。多くの制限を受けて。 貴族はほとんど規制を受けずに優雅に過ごしているのに。
そんなところにまだ一歳になった我が子を、送るのか。
「難民は増え続けるだろうし、一番生き残れる可能性のあるのはレペンスなのだろうが」
もう少し、手元にとは思うが、毎日大砲の音や銃の音や、人の怒号や悲鳴が響くところで幸せに暮らせないこともわかっている。
難民街に入り込めれれば、戦火に怯えることはない。
「アナベル頼む」
「命に代えましても」
娘を抱くアナベルの姿が見えなくなるまでみつめて、それから一筋だけ涙を流し、それをすぐ拭った。
自分は涙を流す資格なんてないのに。
・・・・・・でも、一人になったら、泣こう。
◇リリアンヌ6歳。
ハイドランジアが娘を手放したのは、娘がほんの赤ん坊の頃だ。
「貴族殺しが一段落したら革命派同士で、処刑ごっこってか? やってられるかっ!」
ハイドランジアは椅子を蹴り倒した。
一段落したわけでもないし、処刑ごっこなどと言う言葉が出てくる時点で、自分の感覚が狂っていることもわかっている。
貴族を殺しすぎだと主張する穏健派が過激派によって処刑されている。
「このままじゃ」
俺もいずれは・・・
椅子をもとに戻して、少しこぼれてしまったハーブティーを立ったまま一気に飲み干し、ため息をついた。
もう革命の女神なんて肩書きは賞味期限切れだ。
机の上にはティーセット以外に封筒が置かれている。
アナベルに預けた娘からの手紙だ。
ハイドランジアは厳しい表情を緩めた。従者もこれを早く読みたいだろうに、いつもハイドランジアに一番最初に封を開けさせてくれる。
たどたどしくも、何重にも○が描かれた小さな紙切れ。
(いつか、元通りになって流行り病も乗り切れたら一緒に暮らそうな)
弟から予言された未来を変えることはできるのか。
薬の材料となるシサイの種はすでにあるが、実際は家畜の飼料をそのまま飲んだところで効果は得られないだろう。
かといって、その病自体南の大陸の病で、この国でかかったものはいないのだ。今から闇雲に研究したところでどうしようもない。南の大陸へ人を派遣すれば、病について何かわかるかもしれないが、そんな余裕もない。
「湯を持ってきました」
「ああ、悪い」
部屋に入ってきた女性に、振り返らずに答え、そっと手紙を封筒にしまう。
前世、別に風呂好きではなかったが、一週間、風呂もシャワーも入らないのはアウトだ。
贅沢だとわかっているが・・・
そこで、ハイドランジアは目を見開いた。
やられたと理解したのは一瞬だ。首が熱いのか冷たいのかわからない。自分の身体を支えられず、先程戻したばかりの椅子に寄りかかり、そのまま椅子ごと倒れ込む。
誰か・・・呼ばないと。
「・・・ヘル」
仕え続けてくれる、一番信頼する夫の名を呟く。
複数の人間が、階段をかけ上がってくる音が聞こえる。扉をあけ、誰かが大声で叫ぶがもう誰が何を言っているのかわからない。
やっと、楽になれるのか。でも、最後に・・・
この後、過激派はその勢力を徐々に削られていくことになる。
◇リリアンヌ9歳。
それから三年後。
夏の庭。観光客が思い思いに花を愛でたり、冷たいジュースを楽しんだりしてる。
アナベルは庭の隅の木陰で本を読んでいた。その本には小さな紙が栞がわりに挟まれている。
それは、無事を知らせるだけの紙だ。 リリーの筆跡を残す訳にはいかない。
本当に伝えたい主は儚くなったけれど、この手紙を心待ちにしている同志はいる。
そこに一人の男が現れた。
いつもの伝令役と違う。ただの観光客だ。急に立つのは、失礼だ。一瞬怪訝そうにちらりと見て、手元の本に視線を落とし、十分ぐらいしてから、立ち上がる。
「ああ、待ってください。あなたに頼みたいことがあるのです」
彼女は眉をひそめた。 彼が使っているのは訛りのないレペンス語だ。
「あなたの娘の正体を知っています。 亡命貴族は内乱の首謀者の娘がここにいると知ったらどうするだろうねぇ」
見知らぬ男が差し出したのは、粉末になったハーブの小瓶だった。
「これは・・・」
「君だってロセウムにいた頃はよく使っていたろう」
どこから情報が漏れたのだろうか。
「毎日じゃなくてもいいんだよ。。領主一家の料理に、スープにでも一振りしてくればいいんだ」
男は、アナベル・・・カーヤ・ソーテの耳元でそっとささやいた。
「お前のかわいいリリアンヌは殺されずにすむ」
何年もかかって給料のいい領主の城のキッチンメイドになったのだ。
それはロセウムの難民たち、皆が同じで・・・・・・うさん臭がられながらも必死に信用を得て、それぞれ今の生活を手にいれたのだ。
三年前にはやっと十番街が観光客に解放された。
それなのにロセウム人が領主一家を害したらどうなるか。
ロセウムに帰されるか、そのままレペンス王国の首都の貧民街に流れるしかない。
彼女はその小瓶を受け取った。
ハイドランジア・サンダーソニア・・・リリアンヌの母。男子高校生(乗用車転生)→悪役令嬢(悪役令嬢のせい)→食堂のおばちゃん(王子のせい)→テロリスト養成所教官(社会科全般成績『2』だったせいと少年漫画的根性論のせい)→革命の女神 (なぜこうなった)。色々な問題をリリアンヌに丸投げした張本人。
アナベル・・・リリアンヌの育ての母。隣国レペンスに逃げてからは、カーヤ・ソーテの偽名を名乗る。
ロセウム王国・・・リリアンヌの故国。現在、革命の真っ最中。
レペンス王国・・・ロセウムの隣国
ウエストレペンス・・・レペンス国にある観光都市。薔薇の城が有名。
ウエストレペンス十番街・・・ロセウム難民が多く住む。高い塀に囲われていて、出入りには、身分確認が必要。夜間は門が閉じる。