19-1.報復計画
ドムスの内部は喧噪に満ちていた。半日前に新棟梁就任式中の体育館がホワイトプライドユニオンのテロに遭い、その一時間後には執務室が対策本部となってから、この屋敷には常に悪魔たちが出入りしている状況にある。
地頭方志光は焦燥と怒りが混ざった面持ちで中庭の一角に座り、黙って彼らの様子を眺めていた。少年の護衛には見附麗奈とウニカがついていたが、彼女たちも言葉を発しない。
WPUの攻撃は、空飛ぶ竜に大量の爆薬を巻きつけ、体育館に特攻させるという方法で行われたようだ。他の魔界の施設と同様に設備の重要部分が地階にあったのと、分厚い防壁のせいで被害は最小限に抑えられたものの、それでも十数名の悪魔が犠牲になったようだ。残念ながら、悪魔は死ぬと塵になってしまうため遺体の回収は不可能な上に、魔界日本にはきちんとした行政機関が無いので正確な人数は分からない。だが、犠牲者が出たという事実に何ら変わりは無い。
就任式というお目出度い日に、懸案だった元レスラーとの喧嘩にも勝ったところでこれだ。今までも、白人至上主義者には何度も命を狙われてきたし、我慢もできないと思っていたが、もう限界だ。
相手が自分の命を狙い続けるのであれば、こちらもそれなりの覚悟と方法で対応させて貰う。今までは、暫定的な立場だったので強権を発動できなかったが、今は違う。就任式を行ったことで、地頭方志光は魔界日本の棟梁になった。つまり、正式に命令を下せる立場になったのだ。
志光が目を吊り上げていると、彼に湯崎武男が近づいてきた。ごま塩頭の男性は、何気ない素振りで少年に声を掛ける。
「よお。調子はどうだ?」
「最悪です。まだ気が動転しています。でも、湯崎さんがこっちに来るなんて珍しいですね」
「嫌味を言うなよ。非常事態だぜ。銭湯は閉まっていて覗きも痴漢も出来ない。とりあえず、俺の配下は全員出動させて、不審物が無いかどうか島内の捜索をやらせている」
「ありがとうございます」
「その間に、新棟梁と話をしておきたくてね。時間はあるんだろう?」
「はい。どんな話ですか?」
「これからの方針だよ。この騒動が収まったら、正式に会議を開いて幹部連と今後の対応策を練るんだろうが、それまでに新棟梁のお気持ちを訊いておきたいってことさ。無理強いはしないが」
「是非お願いします」
「歩きながら話そうか」
「はい」
志光は立ち上がると、湯崎と一緒に中庭の回廊を歩き出した。背後からは麗奈とウニカがついてくる。
「まず、ホワイトプライドユニオンをどうしたい? 最初の話だと、魔界日本の領土から出ていけば、それ以上の攻撃はしないと言うことだったが……」
「考えを変えます。就任式の当日に、あんな大規模なテロを起こされて、ただ相手が出ていけば何もしないというわけにはいかないですね」
「だよな。坊主の潰れた面子を、どこかで取り戻さなければ他の国からも舐められる」
「何か良い方法があると思いますか?」
「選択肢は幾つかある」
湯崎は立ち止まると指を立てた。
「一つ目は、今回のテロには直接反応せず、領土の奪回を早期に実行することだ」
「準備はできているんですか?」
「武器弾薬の増産は続いている。美作の報告によると、連続で三週間程度の戦闘は可能なようだ」
「三週間で領土の奪回は可能ですか?」
「できるだろうが、その前に敵を想定した訓練がいる。相手もこちらが攻撃してくることは織り込み済みで、対策も十分に立てているだろうから、思い立ったら即攻撃というわけにはいかない。ソレルに頼んで定期的に監視をして貰っているが、要塞化が進んでいるようだ」
「その要塞を攻略する訓練に必要な時間はどれぐらいですか?」
「最低でも一ヶ月は欲しいね」
「万端なら?」
「二ヶ月だな。島嶼戦は陸上戦闘のセオリーが通じないから、色々と面倒臭いんだよな」
「とうしょせん?」
「島嶼とは要するに島のことだよ。陸上戦闘なら、包囲をされない限り負けた軍は撤退ができるが……」
「島には逃げ場が無い?」
「そういうことだ。だからといって攻撃側が大きく迂回することも出来ない」
「島ですからね」
「そういうわけで、戦闘は正面からの叩き合いになりやすい。また、現実世界における島嶼の場合、制空権と制海権を握られた方が負ける。何故なら補給が続かないからだ」
「それは分かります」
「ところが、魔界の海には化け物がいるので、制海権を握るのは難しい。空はいつでも真っ暗闇で現実世界で大活躍するGPSが使えない。レーダーの効果も限定的だ。空軍が活躍できる状況からはほど遠い」
「はい」
「とどめにゲートの存在だ。悪魔が住んでいる場所には、ほぼ例外なくゲートがある。ここから出入りすることも補給物資を入れることも可能だから、海空を遮断されても痛くも痒くも無い……と、俺もWPUの連中に池袋にあるゲートを占領されるまでは思っていたんだ」
湯崎は苦虫を噛みつぶしたような顔になると、眼鏡の位置を直した。
「池袋にあるゲートは、魔界日本にとってそれほど価値のある場所では無い。麻布にあるゲートよりも扱いが悪くて、邪素を精製する小さな工場と、ちょっとした宿泊施設があるだけだった。要するに、都心で邪素を配布するのに便利で、無料で寝泊まりできる場所ってことだ。だから、数名の警備兵しか置いていなかったんだ。そこにWPUのメンバーが、魔界の海路から乗り込んできて占領しやがった」
「元々、WPUの本拠地と池袋ゲートのある島の間の海域は、あの怪物がそれほど出るわけではなかったんですか?」
「ああ。しかし、それでもリスクはあった。相手の棟梁は、そのリスクを魔物で埋めた。要するに、人間が変化した悪魔ではなく、人工的に製造可能な魔物を大量に配備してそれを戦闘の主体にした。今ならさしずめ無人攻撃機を運用して死傷者の数を減らす方法ってところだな。頭の良い奴だよ。一杯食わされた」
「それで、今では要塞化されてしまっていると?」
「ああ。俺の落ち度だ。で、話を元に戻すが、ここを取り返すことを優先するのがプランAだ。二つ目のプランBなら、領土奪回よりも同害報復を優先することになる」
「ホワイトプライドユニオンの本拠地に、爆弾を巻いた飛行機を特攻させるんですか?」
「そうだ。ただし、その分だけ、領土の奪還に必要な資材や時間を回す必要がある」
「僕達が受けた攻撃の、倍以上の規模で報復することって出来ますか?」
「そりゃあ、出来るだろうな。何だ、プランBがお望みか?」
「はい。相手が魔物を作って戦闘に参加させることで、できるだけ悪魔の損害を減らす方法を考えているなら……」
「こちらはできるだけ悪魔の損害を増やして相手の計画に支障を来させたい……ということか?」
「はい。駄目ですか?」
「いいや。悪くない考えだ。それに、そっちの方が手っ取り早く反撃が出来る」
湯崎は眼鏡の奥から志光をじっと見つめながら鼻から息を漏らした。
「分かった。美作と相談して、その方向で作戦を考える。それとは別に奪還作戦用の訓練メニューも作り始めるよ」
「ありがとうございます」
志光はごま塩頭に礼を述べた。
「たまには役に立つところを見せないとな」
湯崎はそう述べると、ふらふらと中庭から去って行く。ごま塩頭がいなくなると、それを見計らっていたかのようにクレア・バーンスタインが現れた。志光は彼女と数秒間見つめ合ってから口を開く。
「ちょうど良かった。お話があります」
「何かしら? ここで話せることなの?」
「はい。新棟梁就任式はWPUのテロで尻切れトンボになってしまったんですが、あれでも僕は正式に父の後継者になったんですよね?」
「ええ。ハニーは今や魔界日本の棟梁よ。そして、私は地頭方一郎氏の遺言を完全に執行したわ」
「それじゃ、クレアさんは、もうここからいなくなってしまうんですか?」
「ハニーが私を必要としないのであればイエスよ。私は別の任務に就くことになるでしょうね」
「……僕が必要としたら?」
「アソシエーションの上層部に許可を取る必要があるわね。後ははっきり言うけど報酬次第よ」
「すぐにアソシエーションの上層部と連絡を取ってください。僕には貴女が必要だ」
「私を必要としてくれるの? 嬉しいわね」
「さっき湯崎さんと話をしたんですが、魔界日本はWPUと本格的な抗争に入ります。勝つためには、魔界の他国との関係を良好に保ちたい」
「……解ったわ。すぐにでも上層部に話をしておくわ」
クレアはそう言うと、志光を抱き寄せ彼の額にキスをした。その様子を背後から伺っていたウニカは、ドレスを翻すとその場から音も無く姿を消した。




