15―5.痴漢悪魔
この状況が平均的かそれ以下の乳房の持ち主にとって不快なのは間違いない。麻衣が嫌がったのも当然だ。自分が女性だったらと思うと、それだけで心が折れそうになる。
ところが、クレアもソレルも観衆への挑発を止めようとしない。二人とも、わざと脚を広げたり腰を捻ったりして、卑猥なポーズをとっている。
そのうち、彼女たちを取り巻いていた悪魔たちの中から、一人の中年男性が現れた。彼はさも当然のように手を伸ばすと、クレアの乳房を鷲掴みにする。
「私の勝ちね」
背の高い白人女性はそう言うと、自らの胸部を揉みし抱く手を両手で捕らえた。
「ちっ」
褐色の肌は悔しそうに舌打ちをする。
志光は窃触を試みた手の持ち主を観察した。年齢は四十代か五十代ぐらいだろう。短く刈った頭髪には白髪が交じっている。
身長は自分と同じぐらいで小太りだ。青いフレームの眼鏡をかけている。
「ハニー。この男が湯崎武男よ」
クレアに紹介された初老の男性は、志光を見下ろしつつ屈託の無い笑みを浮かべた。少年は首を捻って湯崎という名前を思い出そうとする。
「湯崎……湯崎…………記憶に無いなあ」
「配松と同じように、会議に出席しなかった幹部の一人だから、覚えていないのは仕方が無いわね」
「すみません」
「会議と言うことは、そこの坊主は一郎の息子か?」
配松はクレアの手を振り払うと少年に向き直った。
「はい。地頭方一郎です。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく。ついでにソレルも復帰か」
「ついでとは何よ。私無しで、どうやって情報収集をするの?」
「そりゃそうだ」
湯崎は褐色の肌の言い分をあっさり認めると、まるで当たり前のように手を伸ばして彼女のたわわを揉み始める。
「湯崎。相変わらず、その病気は治ってないのね」
「人間だった時に、精神科に通ったが駄目だったからな」
「あの……この人は、一体どういう?」
「魔界日本の軍事指導者で、かつ門真と同じ自衛隊出身者よ。優秀な歩兵指揮官だったけど、何度も覗き、痴漢行為で逮捕されて失職したの。いわゆる窃視症、かつ窃触症ね」
ソレルは痴漢に乳房を掴まれた状態で、彼に蹴りを入れつつ志光の疑問に回答した。
「優秀な指揮官が痴漢?」
「軍事的な能力と性癖には因果関係が無いから、そういうことは当然ありうるわ」
「そりゃそうだろうけど、なんでこの場所に?」
「一郎が許可を出しているからよ。幾らでも覗きが出来るようにね」
「ひょっとして、会議に出てこなかったのもそれが理由?」
「坊主。会議に出るのと脱衣所にいるのでは、どちらがより覗きをし易いと思う?」
「脱衣所でしょうね」
「では、俺がどちらにいたいかは説明するまでも無いな」
湯崎はソレルに顔面を踏まれながら、それでも彼女に抱きつくのを止めようとしない。どこからどう見ても、立派な病的行動だ。この有様で優秀な指揮官と言われても、まるで説得力がない。
「湯崎。志光君にあなたのレアを見せてあげて」
志光の表情を読んだクレアが痴漢に命令した。湯崎が渋々褐色の肌から離れると、彼の身体から青白い光立ち上ると同時に、少年の視界にノイズがかかったような現象が起きる。
「?」
眉間に皺を刻んだ志光は何度も目をこすったが状況は変わらない。やがてノイズも消えると同時に湯崎の姿も消えた。
少年は彼のいた空間を眺めながら驚嘆の声を上げる。
「透明化ですか? それとも光学迷彩とか?」
「違う。坊主の認識を歪めたんだよ」
何もいないはずの空間から、痴漢の声が聞こえてきた。
「今は視覚情報だけだが、音も匂いも変えられるぞ」
「じゃあ、実際に見えていないわけではなくて、僕がそこにいる湯崎さんを認識できないだけなんですね」
「そうだ。それが俺のスペシャルだ」
湯崎はそう言うと姿を現した。
「凄いですね」
志光は素直に痴漢の能力を褒める。
「銭湯が開いていない時間は、親衛隊以外の連中を鍛えている。戦争がしたくなったら呼んでくれ」
湯崎はそう言うと少年の返事を待たず、脱衣所の隅に消えていった。
「彼は配松と並んで悪魔らしい悪魔の一人ね」
ソレルの月旦を聞いた志光は、新たな疑問を口にする。
「配松さんも湯崎さんも、相手の認識や価値観をいじれるタイプのスペシャルが使えるんだよね? それが悪魔らしいということ?」
「悪魔は誘惑するものでしょう?」
「それで、二人してその悪魔を誘惑していたんだ」
「どちらが先に湯崎を釣れるか勝負することにしたのよ」
下着を脱いだクレアは、衣類を全てロッカーに押し込んで鍵をかけた。
「たまには男の視線を浴びないと、女が萎びるものね」
ソレルも全裸になると志光のシャツに手をかける。
「私がいる時は、自分で脱がないでね。もう慣れたでしょうけど」
「頼むよ」
褐色の肌に衣類を脱がせている間、少年は周囲を無言で検分した。二人の巨乳が引き起こした騒動のせいで、周囲の視線が今まで以上に集まっている。脱衣所にいる悪魔の半数以上が、自分と連れを見ているような状況だ。
新棟梁として就任すれば、今以上に注目されるのは間違いないだろう。しかし、これまでの人生において、ここまで他人の関心を惹いたことが無かったため、怖い上に居心地が悪い。
常日頃から注目されたいと思っている悪魔なら満足するのかも知れないが、自分にはそこまで強い承認欲求は無い。幹部たちの忠告を聞いて銭湯に来て良かった。もしも、就任式で初めてこんな立場に置かれたら、不安でパニックになっていたかも知れない。
一方、こちらに注目していない悪魔たちだが、彼らの大半は女性の胸部と男性の股間を凝視している。見られている相手も、隠そうとしていない。それどころか、見やすいポーズをとっている者すらいる。恐らく、露出狂か自分の肉体に自身がある悪魔だろう。要するに、脱衣所では見る側とみられる側の利害が一致しているのだ。
覗きと痴漢の常習犯だった湯崎が、ここに居座りたがるはずだ。彼にとってまるで天国のような場所ではないか。
「準備ができたわ」
志光を全裸にしたソレルは、彼の衣類をしまった鍵を差し出した。少年は鍵のリストバンドになっている部分を手首に巻き付ける。
「じゃあ、行きましょうか」
志光をソレルと挟むような位置取りをしたクレアが彼の背中を押した。そこで少年はふっと気がついて背後を見る。




