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10―3.プレゼント

 大変なことになった。


 まさか、ソレルが自分の愛人になりたいと言い出すとは思ってもいなかった。彼女はもっとクールで金銭にしか興味が無い女性なのだろうと高をくくっていたのだが、現実には「性的に欲望されること」を絶対視する価値観の持ち主だったのだ。


 それなら、確かに〝金額だけで物を選んでいるわけではない〟というのは事実だろう。つまり、どんなに金を積んでも自分がソレルを欲望の対象と見なさない限り、意味が無いこということだ。


 しかし、父親の愛人だった悪魔を自分の愛人にしようという気になれるかと問われれば、絶対に「NO」だ。あり得ない。


 けれども、ソレルの機嫌を損ねることが魔界日本、及びに自分にとって大きな損失なのも事実だ。彼女が片鱗だけ見せてくれた監視能力があれば、戦いでも外交のような駆け引きでも優位に立てるのは疑いようが無い。


 どう考えても、ソレルの提案を呑んだ方が得だ。だが、しかし……。


 志光が頭を抱えていると、彼の隣にクレアが腰をかけた。背の高い白人女性は、少年の顔に乳房を押し当てつつ、ソレルに注意を促した。


「ソレル。四日前まで人間だった彼に、いきなり悪魔の流儀を呑ませようとしても、混乱するだけよ」

「クレア。ベイビーの保護者面をするの?」


 褐色の肌をした女性はクレアを睨みつけた。しかし、背の高い白人女性はどこ吹く風と言った調子で志光の肩に長い腕を絡ませる。


「当然でしょう? 一郎氏の遺産を志光君に相続させるのが私の仕事よ。貴女が遺言で魔界日本から分離させられた理由が分からないの?」

「分からないわ。聞きたいわね」

「貴女が自分のエゴに忠実すぎて、志光君を滅茶苦茶にするはずだと一郎氏が考えたからよ。残念だけど、貴女にはそれだけの実力がある」

「そう思うなら、私の言い分を通してよ」

「駄目よ。もしも我慢ができないなら、私と麻衣が相手になるわ」


 クレアに提案をはね除けられたソレルはふて腐れた顔になった。彼女はしばらく小声で日本語以外の、恐らく英語でも無い言語で何事か呟いてから白旗を掲げる。


「分かったわ。妥協する」

「条件は?」

「私を魔界日本に戻して。それに伴って、虚栄国の管理も私がしなくて良いように手続きして。その代わり、イチローと契約していた時と同じお手当が欲しいわ。愛人の地位は保留にするわ」


 ソレルが条件を提示すると、クレアの手が志光の顔をなで回した。


「ハニー。どうするの? ソレルには魔界日本における情報担当という新しい地位が相応しいような気がするのだけれど」

「確かにそれは良いですね! ソレルさんには魔界日本に復帰して貰いたいと思っていたんですが、さすがに僕の愛人というのは刺激が強すぎるというか……」

「私に喧嘩を売ってるの? まあ、いいわ。当分は情報担当の肩書きで我慢する」


 ソレルは諦観した面持ちでソファから立ち上がった。脱力した志光は胸をなで下ろす。


 良かった。父親の愛人と「合体」するという最悪の事態は免れた。


「ハニー。これでいい?」


 褐色の肌が離席したのを見計らって、クレアが志光の耳元で囁いた。少年は横目で背の高い女性を見ると、僅かに首を振る。


「ありがとうございます。助かりました」

「どういたしまして」


 二人がひそひそと言葉を交わしていると、部屋の奥に引っ込んだソレルが戻ってきた。彼女は両手に白い紙製の箱を二つ持っている。


「どちらもベイビーへのプレゼントよ。私が魔界日本に復帰したあかつきに渡すつもりだったの。開けてみて」


 褐色の肌はそう言いながら箱をテーブルの上に置いた。志光は積み上げられた箱の上側を手に取って開ける。


 中に入っていたのは、影武者に取られたスマートフォンと同一の機種だった。少年は喜色満面になるとソレルの顔を覗き込む。


「これは?」

「ベイビーが使っていたのと同型のスマートフォンよ。電話番号や入っていたデータ類まで完全にコピーしてあるわ。おまけとして、幹部連が現実世界で使っている電話番号各種、近い将来にベイビーが読みたがるだろうと思っていた論文、資料、ドキュメントみたいなものも2ギガほどぶち込んであるわ。私からのプレゼントよ」

「ありがとうございます! でも、僕の携帯からよくデータを抜けましたね」

「私はずっとベイビーを見張っていたのよ。スマートフォンの認証機能に、どんなパスワードを入れたかぐらい、とっくの昔に知ってるわ」

「あの、僕のプライバシーは……」

「そんなもの、あるわけ無いでしょう? もう一つの箱も開けて」


 ソレルに促された志光は、スマートフォンの電源を入れてからテーブルに置き、もう一つの箱に手をかけた。中から出てきたのは、真っ黒で比較的大型のトランシーバーに似た機械とイヤホンのようなものだった。


「これは?」

「通信機とヘッドセットよ。ただし、電波で通話するのでは無くて邪素を利用するの」

「邪素無線機……みたいなものですか?」

「その通り」

「そういえば、魔界での伝達手段には電波を使わないんですか?」

「使うわよ。ただ、魔界には現実世界の電離層に相当する自然現象が無いから、いわゆる短波、中波、長波と呼ばれる電波の使用は希ね」

「残っているのは超短波と超長波ですか?」

「好き好んで邪素の海に飛び込みたがる悪魔はいないから、超長波を使っているところを見たことは無いわ。使用している場所があるかも知れないけど」

「超長波って水の中でも一定の距離なら通じるから、潜水艦との交信で使うんでしたっけ? そうなると、後は超短波か。UHFとかVHFとか?」

「後はその邪素通信よ。特に現実世界では、ほとんどの悪魔が通話にそれを使うわ」

「何か理由があるんですか?」

「人間に感知される可能性が凄く低いからよ」

「ああ……なるほど」

「通信方式はPush to talk、いわゆるPTT方式でボタンを押している間だけ送信ができるわ。受信に関しては、その通信機のスイッチを入れている限り、同じ機種の全ての通信を同時に聴くことができる。だからプライベートな内容を話すのは控えてね」

「じゃあ、何に使うんですか?」

「もちろん戦闘用よ」


 ソレルはにやっと笑って再び少年の隣に腰を下ろした。


「そうなりますよね。ありがとうございます」


 志光は二度目の礼を褐色の肌に述べ、少し迷ってから無線用のホルスターをサスペンダーに装着する。

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