10―1.麻布十番のゲートにて
アニェス・ソレルが支配する魔界の領土、通称〝虚栄国〟の現実世界へと通じるゲートは、東京都港区麻布十番にある著名なSM用ラブホテルの地下にあった。地上への入り口は大塚と同じようにホテルの駐車場の一角に設けられ、螺旋階段や通廊の構造までうり二つだった。
違っていたのは監視室の装飾で、大塚のそれが長机の上に液晶モニタを乗せただけの殺風景なものだったのに対し、こちらは大型の液晶モニタを額縁のようなもので装飾して、真っ白に塗られた壁に掛けてある。
家具類も豪勢だ。壁よりややクリーム色に近いソファは、イタリアの高級家具メーカー、カッシーナ製で×百万。高級車が買える値段だ。
その前に置いてあるガラス製のテーブルが、同じくカッシーナ製で×十万。テーブルの上に置かれたワイングラスはオーストリアのガラス工芸メーカー、ロブマイヤーのバレリーナシリーズで一つあたり×万円。ただし、中に入っている赤ワインは『キンズマラウリ』という銘柄で、高くても四千円は超えないらしい。
「金額だけで物を選んでいるわけじゃ無いのよ。大切なのは質。『キンズマラウリ』はグルジア産のワインで、樽を使わず瓶で熟成するから甘くて美味しいの。食前か食後に飲むのが良いとされるわ。そうそう。今ではグルジアをジョージアと呼ぶのよね」
ソレルの話によると基準は金額では無いらしいのだが、地頭方志光にとってワインの種類や製造法はまるで分からないし、覚えたいとも思えなかった。彼は褐色の肌をした女性の勧めを断って、持ってきた邪素を高級グラスについだ。
少年は力の源を飲みながら、TVが流れているモニタに目を凝らした。液晶画面には、数時間前までいた真道ディルヴェの本部が映っている。
あれだけ爆発音や銃声が聞こえれば、警察に通報されるのは避けられなかっただろう。そのせいで、ホワイトプライドユニオンの襲撃を切り抜けた後も大変だった。
まず始めに教祖である信川周の指示で監視カメラのレコーダーが破壊された。彼は同時に池袋近辺にある同教団の支部を一時的に閉鎖することを決定し、電話で支部長に事情を説明した。
続いて大蔵英吉が周を警護する目的で自分の配下の悪魔を何人かディルヴェに呼んだ。その間に残りのメンバーは敵が襲撃に使った対物ライフルを回収した。
そして、それらを含む全ての銃火器を敷地から持ち出す目的で、本部のレストランに食材を搬入するためのトラックが使われた。ソレルを除く悪魔たちは、このトラックのコンテナに隠れ、警察が来る直前に東総有料道路を使って東京方面へと脱出した。
ちなみに、ソレルは一行に挨拶を済ませると、さっさとその場から消えた。彼女のバイクは時速三〇〇キロは出せる優れものだそうで、鈍足のトラックと並んで走るのは「真っ平ごめん」という話だった。
一行は関東自動車道を走り、警察の監視が厳しい成田を抜けると、佐倉のインターチェンジで一時的に高速道路を降り、近くの茂みで車を乗り換えた。新しい車はソレルが用意したもので、四トントラックを改造した装甲車両だった。コンテナ内のシートがある部分だけ20ミリ弾の攻撃にも耐えられる装甲を備えた優れものだったが、やはり乗り心地が良いとは言い難く、東京に着く頃になると志光を筆頭にメンバーの大半が疲弊していた。
それでも誰も不平を言わなかったのは、武器を携帯できるというメリットがあったからだ。少年もずっとタングステンの棒を握って邪素を消費し続けた。そうしないと、怖くて頭がどうにかなりそうだった。
大蔵の運転で港区のSMラブホテルに辿り着いた一行は、武器を抱えたまま地下に駆け込んだ。そこでは既にソレルが歓待の準備を済ませていた。
褐色の肌をした女性が身につけていたのは、エルメスのカットソーブラウス、シーウィーのショートデニムパンツ、そしてプラダのソフトブーツだった。彼女は志光にお酌を断られた後も、他の悪魔たちの間を回ってワインをついでいた。少年は邪素を舐めながらニュース番組に没頭する。
キャスターの話によると、周はどうやら謎の組織から教団が襲撃されたという線で話を作ったようだ。嘘では無いから矛盾も出にくいだろう。
TVで見る限り、大蔵が派遣したと思われる男女が教祖を囲んでいる。敵が悪魔や魔物なので万全とは言いかねるが、それでも彼が生命の危険から遠ざかったと見なして良いはずだ。
WPUの襲撃は自分が悪魔に関わってから四日の間に二回目だ。しかも、今回はこちらの警護を担当した悪魔を殺されている。
このまま指をくわえて見ていられるほど、自分の神経は図太く無い。反撃に転じて少しでも脅威を取り除いておきたいところだ。
しかし、そうするだけの組織力が魔界日本にあるかどうかの判断がつかない。また、あったとしても自分に命令できるだけの権限があるかどうかも定かではない。
いずれにせよ、自分がどうしてもWPUに一泡吹かせたいのであれば、ソレルとの関係を良好にするのが先決だろう。
テレビから目を離した志光は深いため息を漏らし、ソレルの姿を追った。少年の視線に気付いた褐色の肌は、彼の隣に腰を下ろす。
「どうかしたのかしら?」
「ようやく落ち着けました。敵に襲われてから興奮しっぱなしで……」
「刺激が強すぎたのね?」
「はい」
「悪魔になってから、今日で四日目よね?」
「そうです」
「二度も襲われたのに、上手く切り抜けたんだから運はあるわ。大切な事よ」
「三度目も、そうなってくれれば良いんですけどね」
「そうは思えないの?」
「はい」
「それで、私と話をする準備ができたのね?」
「ええ。お待たせしました」
「分かったわ。じゃあ、さっそく本題に入りましょう」
周囲にクレア・バーンスタインや幹部達がいるにもかかわらず、ソレルは志光に身体を密着させてから、熱っぽい声で言葉を紡ぎ出す。




