8-4.現実世界への帰還
しかし、ここで彼女とつかみ合いを演じても、周囲の心証が悪くなるだけだ。それに、今朝からずっと喋りまくっているので顎が疲れてきている。
現実世界から魔界に来て、最も変化したのが会話量だ。初日はもちろん、二日目も三日目も、とにかく周りの人間と言葉を交わしてきた。どうも、父親は周囲に話し好きを置いていたらしい。
それとも、彼らはわざと自分と話をしているのだろうか? だとしたら、地頭方志光という〝悪魔〟が何を考えているのかを知りたがっているということなのだろう。
もっとも、それは自分も同じことだ。父親の配下にいた幹部達の意向は聞き出したい。彼らと意思疎通を失敗して齟齬が生じるのは嫌だし、寝首を掻かれるのはそれ以上に避けたいからだ。
ただ、それでも今は過書町とこれ以上のやりとりをする気になれない。彼女とは噛み合いすぎる。
「分かったよ、僕の負けだ。現実世界に出たら『反社会学講座』は買って読む」
志光が敗北宣言すると、茜は少し驚いた面持ちになってから口を閉じた。
静かになった四人はドムスの守衛室と唯一の入り口を兼ねた場所まで歩き、そこで黒地に青の蛍光色で不規則なパターンが描かれた雨合羽を受け取った。その模様は、屋外に出ると迷彩の役割を果たすために描かれたものだった。
魔界の屋外は、相変わらず邪素の雨が降り注いでいた。四人はドムスが立っている場所から坂道を上り、邪素の海が見える断崖沿いを歩き、大塚のゲートへと通じる洞窟に辿り着く。
そこには、初日と同じように二人の少女が警備役として立っていた。少女達は一行を見ると無言で洞窟内に案内する。
四人は言葉を交わさずただ道を歩き、両部鳥居が立っている場所に到達した。鳥居の奥には既に道が出来ている。大塚側でゲートを開けているに違いない。
「そうだ。俺も忘れていた」
鳥居に続く階段を上がりきったところで、大蔵が急に声を上げた。中年男はビジネスバッグから黒い腰袋のようなものを取り出すと、志光の手に握らせる。
「重っ!!」
予想以上の重量に少年は悲鳴を上げた。一見すると大型のポーチを想わせる腰袋だが、明らかに一〇キロ近い重量がある。大蔵は、よくこんな代物を失念していたものだ。
腰袋には幅広のベルトとサスペンダーがついていた。志光が口を開けると、中から黒いドリルビットに似た金属製の棒が何本も現れる。
「これは?」
「美作から渡されました。タングステンの棒をブラックマテリアルでコーティングしたものだそうです。貴方のスペシャルに合わせたと言っていました。また、偽装するために電動ドリルの先端部分に似せてあるそうです」
「要するに、僕の能力でこの棒を飛ばすということですか?」
「ええ。取り出しやすいように、その袋をベルトとサスペンダーで腰に着けてくださいとのことでした」
「ああ、それで……今、着けちゃって良いですか?」
「どうぞ」
志光はずり落ちそうになるのを押さえつつ、腰袋のベルトをズボンに巻き付け、サスペンダーを肩にかけた。それから袋に手を入れて、タングステン製の棒を取りだしてみる。
棒はたった一本でも十分に重い。記憶に間違いが無ければ、タングステンの比重は鉄の二倍以上はあったはずだ。これを自分の能力を使って加速させれば、間違いなく凄まじい破壊力を生み出すだろう。
志光は棒を発射しやすいような握り方を色々試しつつ、相好を崩した。
美作は自分のことをよく分かっている。
そうだ。こういう「専用武器」が欲しかったのだ。
今度、美作に会ったら、ちゃんとお礼を言っておこう。
しばらくタングステンの棒を握って触り心地を堪能した少年は、改めて自分専用の武器を腰袋に仕舞い、大蔵に頭を下げる。
「ありがとうございます! 気に入りました。後で美作さんにもお礼をさせてください」
「そりゃあ良かった」
大蔵が微笑むと、横から麗奈が口を挟んできた。
「そういえば、私の武器はどうするんですか?」
「移動用の車は全長の関係で対戦車ライフルを積むのは難しい。RKG-3で対応しろとのことだ」
「けっこうキツイですね……」
「後は志光君に命令して貰ってウニカを使えと言われている」
「あ、はい。分かりました」
「後は現地対応で。そろそろ出発しよう」
大蔵の一声で、四人は再び道を歩き出した。魔界でも現実世界でも無い空間を歩いている内に、邪素が次第に実体を失っていく。
馬蹄型に舗装された通路の先には、やがて人工的な光が見えてきた。ゲートを設置した地下室に辿り着くと、志光はふうっと大きなため息をついた。
魔界の熱気と邪素の甘い匂いがする空気に比べると、地下室は天国のようだ。室内は冷房が効いているし、常に邪素が滴っているわけでもない。
迷彩雨合羽を脱いで折りたたんだ少年は、それを床の上に置いた。残りの三人も雨合羽を脱いで一息つく。
そこにウニカが現れた。幼い少女の外見をした自動人形は、軍服を模したワインレッドのワンピースに身を包んでいる。
「……」
ウニカは四人を見回してから、無言でゲートの設置された部屋を出た。しばらくすると、彼女はクレアを連れて戻ってくる。
クレアは胸元が深くV字にえぐれた袖なしの白いワンピースを身につけていた。彼女は志光の姿を認めると、大股で近寄って彼の頭部を自らの豊満な乳房に押しつける。
「ハニー! 元気にしていた? ちょっとやつれた顔をしているけど大丈夫?」
「麻衣さんと彼女の部下に捕まって二日間失神するまで色んなことをされたからですよ」
「あら。それじゃ、ずいぶん上達したでしょう? 後で時間が出来たら検定試験をしてあげるわね」
「それより、僕が土下座してクレアさんに童貞を捨てさせてくれと頼んだって嘘が出回っているんですけど……」
「ああ、その嘘の出所は私よ。だって、依頼主の息子さんをつまみ食いしたという話が広まったら、私の評判がガタ落ちじゃないの」
「やっぱりあんたか!」
「怒らないの。後で最初の時よりも、もっと凄いことをしてあげるから。ね?」
「ぐぬぬ……」
クレアが志光を容易く丸め込む様子を見ながら、大蔵はよれたジャケットのポケットからスマートフォンを出した。




