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5-5.クレアへの謝礼

「疲れているから気が立っているんでしょう?」

「僕を怒らせているのはクレアさんじゃないですか」


 少年が頬を膨らませても、背の高い白人女性は顔色一つ変えなかった。彼女は彼の隣に腰かけると、無造作に身体を押しつけてくる。


「クレアさん、ちょっと……」

「どうしたの?」

「いや、ちょっと身体がくっつきすぎというか……」

「お嫌かしら?」

「そんなことは、ないんですけど……」

「初めて会った時のように、貴方に落ち着いて貰いたいと思ったのよ」

「え? どういう意味ですか?」


 クレアは返事の代わりに人差し指を伸ばし、志光の唇に触れた。大塚駅で同じ事をされた時は気がつかなかったが、今度は口内に邪素が流れ込んでくるのが判る。


 しかし、それは液体化した邪素を飲んだのとはまるで違っていた。圧力をかけて口内の粘膜に浸透させているような感触なのだ。最初の体験でこれを見過ごしていたのは、緊張しすぎていたのか、あるいは人間だったからのいずれかが理由だろう。


「ありがとうございます。少し力が回復してきたような気がします」


 クレアが唇から指を離すと志光は礼を述べた。


「どういたしまして。明日からは、志光君も邪素を入れた水筒やペットボトルを持ち歩いた方が良いわ。この部屋の角にある冷蔵庫にも、邪素を入れたペットボトルが常備されているから、できるだけ小まめに補給してね」

「はい。でも、クレアさんはどうやって僕の口の中に邪素を注いでいるんですか?」

「あれが私のスペシャルなのよ。体内に取り込んだ邪素の一部を、指先から他人に与えることが出来るの」

「ええっ!」

「あまり役に立たないから、それほど好きな力ではないのだけれど」

「いや、僕はあの時に少量でも邪素を貰わなかったら話が出来なくなっていたはずなので、役に立たないなんて事は無いと思います。少なくとも、僕の役には立ちました。感謝したいぐらいです」

「あら。嬉しいわ」

「僕が無事に棟梁として就任できたら、父とは別にお礼をしたいと思っています」


 志光が謝礼を確約すると、どういうわけかクレアの瞳孔が広がった。獲物を狙うネコ科の肉食獣に似た顔つきになった女性は、少年の背中に手を回して彼の肩をしっかりと掴む。


「そんな大げさなお礼はいらないわ。でも、どうしても私に何かプレゼントしてくれるというのであれば……そうね、志光君の童貞をいただこうかしら?」


 クレアに抱き寄せられた志光はしばらく天井の照明を見上げてから、自分の耳に手を当てた。背の高い白人女性は、彼の耳元に唇を近づけると、熱い吐息をかけながらゆっくりと言葉を紡ぎ出す。


「貴方の童貞よ。ど・う・て・い」

「クレアさんにですか?」

「ええ。感謝の印としてプレゼントして欲しいの。今すぐ」

「あの……心の準備ができていないというかですね…………」

「最初のキスも私だったでしょう? あの瞬間から、こうなることは賢い貴方なら予想できていたはずよ」

「あれは不意打ちだったじゃないですか!」

「貴方から来ないからよ。常識的に考えて、貴方ぐらいの年齢なら、性欲でいつ暴発しちゃってもおかしくないはずなんだけど」

「残念ですが、相手がいないので自慰で済ませています」

「相手は出来たわ。私よ」


 志光の肩から手を離したクレアは豪華なソファから立ち上がり、赤いワンピースを脱いだ。純白の下着とグラジエーターサンダルだけの姿になった背の高い白人女性は、今度は横向きになると少年の太股の上に乗ってくる。


 志光は全身の筋肉を強ばらせ、血走った目でクレアの長い脚と豊かな乳房を交互に凝視した。背の高い白人女性は再び彼の背中に手を回して肩を掴む。


「正直に言うわ。貴方が童貞だと聞いてから、ずっとそのことが気になっていたの」

「ど、どうしてですか?」

「貴方が一生すねかじりで、一郎氏の遺産を食い潰して生きていくのであれば、死ぬまで童貞でも何の問題も無いわ。性のあり方は多様よ」

「ぼ、僕もそう思います」

「でも、貴方が一郎氏の後を継いで、魔界で棟梁としてやっていくのであれば、それは危険だわ」

「危険?」

「そうよ。文字通り、命に関わることよ」

「童貞が? どうして?」

「まず、女性の支持が得られないわ。男性は童貞に優しいから、決してそのことで貴方を見捨てたりはしないわ。タイミングが悪かったんだろうとか、周囲に好きになれる女性がいなかったんだろうとか……なんでも言い訳ができる事ですもの」

「その通りですよ。僕は好きなれる女性が見つからなかっただけです」

「そうね。でも女性、特にヘテロセクシャルの女性はそう思わないわ。女性は性行為の相手を選ぶのは自分だと思っているし、選ばれなかった男性にはそれだけの魅力が無かったと考えるものよ。現実がどうかは重要じゃないの。価値の話ね」

「つまり、僕は女性に選んでもらえるだけの魅力が無かったと……そういうことになるんですね」

「そうよ。実際に声に出して言ってみると良いわ。さあ、一緒に。アメリカ合衆国初代大統領、ジョージ・ワシントン、童貞」

「アメリカ合衆国初代大統領、ジョージ・ワシントン、童貞…………何か問題があったのかと思ってしまいますね」

「でしょう? 次に行くわよ。初代内閣総理大臣、伊藤博文、童貞」

「初代内閣総理大臣、伊藤博文、童貞……ってもう良いですよ! 何が言いたいんですか! 僕の人格に問題があるって言いたいんですか? 2015年の調査で、二十歳から二十四歳までの童貞率は四十七%ですからね。童貞に問題があるなら、男性の二人に一人は異常人格者ですよ!」

「問題をすり替えてはいけないわ。私が言いたいのは、棟梁が童貞では政治活動に問題が生じる可能性が高い、ということよ。貴方は棟梁になるんでしょう?」

「その予定ですね」

「女性陣に見限られたら大変なことになるとは思わないのかしら?」

「思いますよ。でも、ですね……」

「でも、じゃないの。童貞を拗らせて死んでしまった王族もいるのよ」

「童貞を拗らせるって、どういうことですか?」

「ロシア帝国の皇帝、ピョートル三世よ。包茎が原因で長期間セッ×スができなかったら、彼の妻を近衛兵が担いでクーデターを起こして、即位から半年で幽閉された挙げ句に、妻の愛人の弟に殺害されてしまったのよ」

「それ、どう考えても奥さんの方が悪いじゃないですか!」

「そうね。でも、奥さんは後でエカテリーナ二世を名乗って人気のある女帝になったわ。彼女は権力闘争に勝ったのよ」

「死ぬまで結婚しなければ良かったのに」

「魔界ではそんな我が儘が通らないわ。貴方が棟梁になれば、いずれ政略結婚の話が必ず出てくるはずよ」


 政略結婚という単語を聞いた途端、クレアを抱えたまま地団駄を踏んでいた志光の動きがピタリと停止した。彼は不安そうな面持ちで背の高い白人女性を見上げる。


「あの……魔界の棟梁って、政略結婚をする必要があるんですか?」

「実力があれば、一郎氏のように現実世界の女性と関係を結ぶのもありだし、独身を貫くのもありでしょうね。それで、志光君にはどんな実力があるのかしら?」

「そこで大蔵さんと同じ話が持ち出されるんですか!」

「当然でしょう? でも、何も心配する必要は無いわ。志光君は今日で童貞を卒業するんだから」


 志光の太股から立ち上がったクレアは、彼の正面に位置を変えると、身につけていたブラジャーとパンティを脱いで床に投げた。それから彼女は両脚を開き、頭の後ろで手を組んで、ソファに座っている志光を見下ろした。


「さあ、続きはベッドでしましょうか? 〝恥ずかしいから部屋の灯りを暗くしましょう〟なんて野暮なことは言わないわ。全部見て触って確認してちょうだい。それから一緒にお風呂に入って、後は私に任せてくれれば良いわ」


 鼻先にある裸体を目にした志光の脳内から、クレアに対する無数の反論が、水面に出来た泡のように割れて消えていった。少年は濁った瞳で豊かな乳房を凝視しつつ腰を浮かせ、背の高い女性に連れられて巨大なベッドまでふらふらと歩いていった。

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