4-5.立てられた目標
少年の煩悶する様子を見ていた面白そうに見ていた大工沢が、麻衣に助け船を出した。
「門真は元WACで格闘技経験者だろう? 志光君に短期間で教えられる格闘術みたいなのは無いのか?」
「アタシが? 自衛隊徒手格闘は極めるまでやってないから無理。本職のボクシングなら教えられるけど、未経験者が入門から本格的なスパーリングを始めるのは半年ぐらい、プロテストを受けるのは一年から一年半が相場だぞ。そこまでやっても、プロとして一番下っ端なのに……」
「何も世界チャンピオンを作れとは言ってないよ。最低限ならどれぐらいかかる?」
「左右のストレートを教えるだけで、たぶん一〇〇日はかかるだろうね」
「それで決まりだな」
両腕を組んだ大工沢は、笑うのを止めて志光を見た。
「みんな薄々勘づいていたと思うが、今回の新棟梁の一件で、私は初めから一郎の息子さんの就任に賛成するつもりだった。過書町も言っていたが、他の国との交渉にアタマはどうしても必要だからね。ただ、タイソンの一件が気にかかってたんだ。そこを麻衣がなんとかできるなら、私の方でこれ以上何かを言うつもりはない」
大工沢が賛意を表明すると、大蔵はあきらめ顔になった。記田は興味が無いような素振りで、ペリスタイルを眺めている。
反対派の態度を見た麻衣は小さく頷いた。彼女は討論の打ち切りを宣言する。
「それでは、質疑応答はここまでにしようか。結論を出したい。まず、地頭方一郎氏の遺言に基づき、地頭方志光氏には新棟梁に就任して貰う。ただし、タイソンとの対決は回避しない方向で、アタシが一〇〇日間で格闘技を教える。それから頃合いを見計らって、新棟梁の就任式をやってタイソンとの対決もやる。このスケジュールに反対する者は挙手して欲しい」
赤毛の女性が提示した予定に反対する者は誰もいなかった。志光も反対できなかった。
元プロレスラーとケンカ? 冗談じゃない。最低でも半殺しの目に遭わされるに決まっている。
しかし、その条件を呑まなければ大工沢が自分の棟梁就任に賛成してくれそうにない。おまけに、どういうわけか麻衣まで少し嬉しそうな顔をしている。
ひょっとうするとアレか? この二人は、生まれてから今までケンカらしいケンカなど一度もしたことが無い、恫喝されただけで萎縮してしまうこの自分がボコボコになる姿を見て物笑いの種にしたいのか?
志光が恐怖で硬直していると、クレアが椅子から立ち上がった。彼女は少年を軽く抱きしめると、彼に「安心して」と囁いてから、麻衣を押しのけるように演説台に両手を置いた。
「遺言執行人のクレア・バーンスタインです。今回の皆さまの決定に感謝します。これで私も地頭方一郎氏に託された遺言の一部を実現化することが出来ました。つきましては、皆さまにもう一つだけ些細なお願いがあります。地頭方志光氏の要望を実現していただきたいのです」
クレアのスピーチを耳にした志光は、目を激しく瞬かせた。
要望? そんなものを言った記憶がさっぱり無いのだが、クレアは何を話すつもりなのだろう?
少年が顔を上げると、クレアは一瞬だけウィンクした。彼女は身を乗り出すような格好になると、とんでもないことを言い始める。
「現実世界から魔界に来て敵と戦う前の話です。志光君は〝専用の何か格好いい武器が欲しい〟と私に向かって言いました。私はよく解らないのですが、セ×クスカリバーとかク×ニリングニルとか、そういうファンタジックなアイテムのようです」
志光は緊張していたこともすっかり忘れ、口をOの字に開いた。机に座っていた過書町が、まるで生ゴミでも見るかのような視線で少年を睨みつけながら、小声で「エクスカリバーにグングニルでしょ。この思春期が!」と罵倒する声が聞こえてくる。
志光は眼鏡少女に反論しようとするが、クレアはそれを遮るように話を続けてしまう。
「私も魔界での生活が長いですし、そうしたユニークアイテムが存在していないことは承知しています。しかし、悪魔になりたての少年が、そんな武器があったら良いなと妄想してしまうことは仕方ありません。そこで、見てくれだけでも良いので、ワンアンドオンリーの武器に似た装飾品を作っていただけ無いでしょうか? そうすれば、志光氏も喜んで棟梁という大役に就き、皆さまと協調していけると思うのです」
クレアの演説が終わっても、拍手は全く起こらなかった。代わりに執務室に広がったのが忍び笑いだった。
「ちょ、ちょっと! クレアさん!」
顔を真っ赤にした志光は、両手を振り回しながら背の高い女性ににじり寄った。
「その話は、今することなんですか?」
「だって、志光君は専用の武器が欲しいんでしょ?」
「いや、確かに欲しいですよ! それは否定しません。でもね、ここで言うことですか?」
「ここには、魔界日本の幹部が集まっているのよ。貴方の願い、きっと聞き届けてくれると思うのだけれど」
「周りの人達を見て下さいよ! 笑うのを我慢してるじゃないですか!」
「だからどうしたの? 笑われても、自分の願いが叶う方がよほど幸せなんじゃない?」
「そういうことじゃないんです! なんで解らないんですか!」
「じゃあ、どういうことなのかしら? ワンアンドオンリーの武器を使って〝俺って強い。俺って格好良い〟……そう思いたかったんじゃないのかしら?」
「ええ、思いたかったですよ! ついでにその武器を持っていることで、周囲から一目置かれたかったですよ! でもね、それは他人に頼むことじゃないんですよ! 勝手にそうなるというか……」
志光が必死になって理想のシチュエーションを言語化していると、堪えきれなくなったように美作が腹を抱えて笑い出す。
「気に入ったよ、志光君。ボクは正直な子が好きだな。良いよ。イミテーションかも知れないけど、ボクのプロデュースで専用の武器を作ってあげるよ」
陶磁器のような模様のワンピースを着た少女は、そう言うと戸惑いを隠しきれない少年に向かって大きく胸を張った。
※明日は、エッセイのコーナーに第三章のプロットを掲載する予定です。




