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40-3.人種差別のある日常(3)

「そう言えば、日本でも同じようなことをすると思いますか? そういう主張をする人もいるみたいですけど」


 少年の隣でパソコンを使い、情報収集の手伝いをしていた過書町茜が彼に質問した。

「そうなると、戦国武将の像や図像は全部破棄しないといけなくなるね。戦争をした時に、農民をさらって売り払ってるんだから」


 志光は顔を上げると歴史の知識を開陳する。


「乱妨取り(らんぼうどり)でしたっけ?」

「そうそう。それに、今だって奴隷制度を容認している宗教はある。どことは言わないけどさ。結局、そういうことだと思うよ」

「そういうこと?」

「宗教だよ。銅像の引き倒しが容認されているのは、基本的に偶像崇拝を禁止しているけど、古代ギリシャやローマの影響で容認せざるを得ない宗教の信者が多い地域でしょ? 日本は違う。特に平安時代に生身仏しょうじんぶつ信仰が盛んになってから、仏像を破壊するなんて罰当たりも良いとこ、という価値観だと思うけどね」

「生身って生身なまみって意味ですよね?」

「うん」

「生身の仏像って、矛盾語じゃないですか?」

「生身のようにリアルな仏像って意味だろうね。生身仏信仰って、生身の仏が目の前に現れるという一種の神秘体験だから、そのような効果のある仏像という触れ込みだったんだと思うよ」

「真道ディルヴェみたいですね」

「バレたか。今の話も信川さんから教わったんだ」

「やっぱり。ところで、話は変わるんですけど……」

「何?」

「なんでリビングで仕事をするんですか? ひょっとして、ヤリチンさんの部屋は汚いんですか?」

「汚いんじゃなくて無いんだよ。あっちの洋室はソレル、そこの和室は麗奈、一番奥の部屋がヘンリエットので、僕の部屋は無いの。無いの!」

「奴隷みたいですね」

「せめて宮中が無くて後宮だけあるぐらいは言って欲しいな」

「ハハハ。言ってて虚しくないですか?」

「虚しいよ。それ以上軽口を叩いたら、銅像みたいに引きずり倒してやるぞ」

「ヤリチンさんに強姦されるぐらいなら、舌を噛んで死にます」

「舌を噛んでも死なないのを知ってるくせに」

「バレましたか。でも、正妻二人と愛人との同居生活なのに、私を襲うだけの余力がヤリチンさんに残ってるんですか?」

「僕は若さバリバリだよ! 残ってるに決まってるじゃないか。何なら、この場ですぐに襲ったって良いんだぞ」


 志光と茜が舌鋒鋭くやりあっていると、背後のふすまが開いて中から下着姿の麗奈が現れた。彼女は『悪魔のいけにえ』に登場する殺人鬼、レザーフェイスよろしく少年の襟首を掴むと、有無を言わせず和室に引っ張り込んでふすまを閉めた。


 続いて洋室の扉が開いて下着姿のアニェス・ソレルが出てくると、当然のように和室に入っていく。その様子を無言で見ていた茜は、即座に立ち上がると奥の部屋で何かが起こる前にマンションを脱出した。


 翌日になると、志光の休暇が魔界日本の上層部に通達された。三日後に茜が上野桜木町のマンションに呼び戻されると、死んだ魚のような目をした志光がリビングに座っていた。


 茜が現実世界に召集されたのは、ヘンリエットが池袋でショッピングを要望したからだった。魔界の正妻はアニメイト本店を皮切りに、らしんばん、ACOS、K-BOOKS、とらのあな、メロンブックス、ジャングル、アニメガ、ヴィレッジバンガード、ビックカメラ、ヤマダ電機を回る超強行スケジュールを立てており、とても志光だけでは対応しきれなかった。


「本当は〝大人のデパートエムズ〟や〝タイヨー〟や〝BIGGYM〟にも行きたいんですが、どうも私の年齢だと入店できないようなんです。〝BIGGYM〟は性別もダメと言われているんですけど、過書町様の力でどうにかなりませんか?」


 店舗を回る順番を決めている最中に、ヘンリエットは茜に相談をしてきた。


「私も〝BIGGYM〟に行きたいのですが、あそこは女性の入店が難しかったはずです」


 眼鏡をかけた少女は、正妻の願いをやんわりと断った。


 豊島区役所爆破事件からまだ日は浅かったが、池袋駅には活気が戻っていた。事件当初はアリの這い出る隙もないほど配置されていた警官も減り、地下も地上も人で一杯だった。


 山手線内回りを利用して、鶯谷駅から池袋駅までやって来た志光、ヘンリエット、茜、そしてクレアは、中央改札を出て東口に上がった。そこでは、特定の人種を公然と差別する政治団体が演説の準備をしている最中だった。


 志光は無言で三人の女性を見た。それで少年の意図を察した茜が、二人を連れてアニメイト本店への道のりを歩き出した。


 志光はこっそり邪素を消費してから、日章旗を掲げる一団に近づいた。彼は黒いジャケットを着たリーダーらしき人物に近寄ると、深々と頭を下げる。


 見知らぬ少年の挨拶に、政治団体の関係者は戸惑いの面持ちになった。顔を上げた志光は、彼に近づくと事情を説明した。


「はじめまして。通りすがりの者なんですが、今、外国人の女性を連れてショッピング中でして、できれば彼女がここを離れるまで演説を止めて頂きたいのですが、可能ですか? あなたの主義主張に異議を差し挟むつもりはありませんので、お願いを聞いて頂けると有り難いのですが」


 少年はそういうと、ズボンのポケットから五〇〇円玉硬貨を取り出した。彼は政治団体の関係者が何かを言う前に、それを親指と人差し指に挟んで二つ折りにすると、続いてそれを更に折って四つにするというパフォーマンスを見せる。


 政治団体の男は、少年の怪力を無言で見終えると、小さく頷いて回答する。


「演説をはじめるのには、あと一〇分ほどかかります。それまでに、このあたりから移動できますか?」

「もちろんです。お心遣いに感謝します」


 志光は四折りにした硬貨を政治団体の男の手の平に載せると、再び深々と頭を垂れてからその場を去った。少年は後ろを振り返らず横断歩道を渡り、駅の向かい側にあるドラッグストアの前で彼を待っていた女性陣と合流する。


「どうだったの?」


 クレアは志光に交渉の結果を聞いた。


「演説は一〇分後に始まるみたいなので、それまでにアニメイトに行きましょう」


 少年は片目をつむると三人に移動を促した。


 一同は茜を先頭に東に向かって歩き出した。グリーン大通りの四辻では、女性ボーカルを擁したアマチュアバンドが、ローリングストーンズの『悪魔を憐れむ歌』を演奏していた。


「良い選曲ね」


 耳を澄ましてバンドの演奏を聴いていたクレアは、微笑むと財布から一〇〇円玉を取り出して、彼らが用意した缶の中に放り込んだ。それから彼女はきびすを返すと、悠々と人混みを掻き分け先行した仲間の後を追いかけた。


【完】

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