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39-1.史上最強のマインドコントローラー・ナザレ(1)

 メキシコ西部にあるバハ・カリフォルニア半島は極端に細長い。南北は一二五〇キロ近くあるのに、東西は百数十キロしかない。人口はアメリカに隣接した最北端のティファナとメヒカリに集中しており、残りの大半には古代からの自然が残されている。


 気候区分は砂漠で、年間の降水量は三〇ミリ前後。しかし、まったく植物が生えていないかというそういうわけではない。


 特に、半島の北から約三分の一にあるエル・ロサリオから、世界最大の塩田があることで知られたゲレロネグロまでの区間にはブージャムツリー、現地ではシリオと呼ばれる奇妙な植物の群生地が点在する。


 シリオは大きなもので二〇メートルほどある木だが、ゴボウを逆さまにして地面に立てたような形をしている。その生態も特異で、水が降らない期間は成長を止めるという戦略で、乾燥した気候を生き抜いている。


 シリオの群生地に入ると、まるで古いSF小説である『トリフィドの日』に出てくる肉食植物が襲ってくるのではないかという錯覚に襲われる。その群生地の近くにある未舗装路を、一台のランドクルーザー二〇〇が走ってくる。


 車を運転していたのは三〇代とおぼしき女性だった。焦げ茶色の長い髪を、後頭部で編み込んだ女性は、緑色のチュニックに赤色のテーパードパンツという組み合わせの衣裳を身につけている。


 砂だらけの未舗装路で巧みに車を操る女性の隣には、一人の男が座っていた。男の背はプロバスケットの選手として通用しそうなほど高く、痩せてはいたが筋肉質で、肌は日に焼けて浅黒い。


 縮れた黒髪を短く刈り、顎鬚を生やしている男は白いTシャツに青いジーパンというラフな格好だが、どういうわけか目にしただけでひれ伏してしまいたくなるような威厳が漂っている。


 男女二人の後方にある座席には、二人の女性が座っていた。


 一人は十代とおぼしき小柄で痩せた少女で、頭部に白い布を巻いて毛髪を隠していた。彼女の身体を包んでいる衣類も、くるぶしまで丈のあるワンピースで、整った顔と手を除くと肌はほとんど露出していない。


 もう一人の女性に至っては白いヴェールで顔すら隠れているので、どのような外見的な特徴があるのかがほとんど分からなかった。彼女以外の乗員は、車窓からシリオを眺めている。


 やがて、ランドクルーザーがシリオの群生地を抜けると、それまで車窓から外の風景を眺めいた男は、ジーンズのポケットに突っ込んだ本を引っ張り出した。彼がヨレヨレのページを開いたところで、車を運転していた女性が声を掛ける。


「ナザレ。あなたの希望でシリオの群生地をドライブしたのよ。何か言うべきことがあるんじゃないの?」

「ありがとう、マグダラ。満足したよ。とても珍しい木だ」

「それだけ?」


 マグダラと呼ばれた女性が唇を尖らせると、威厳のある男は苦笑する。


「それだけでも良いじゃないか。僕たちは神の国を実現するためにあらゆる場所を旅している。でも、たまには意味の無い息抜きも必要だ」


 ナザレの返事を聞いたマグダラは納得いかなげに首を振ったが、それ以上の反論はせずに車を走らせた。一同は、やがてエル・ロサリオの町中に入る。


 やはり未舗装の埃っぽい道の途中には、白と赤の塗装を施された小さな古びた教会が建っていた。その上部にある二つの小さな鐘と十字架を見上げたナザレが呻き声を上げる。


「あー……嫌な事を思い出しちゃったよ」

「ナザレ! いい加減に慣れなさいよ。もう、何年前の話だと思ってるの?」


 マグダラが怒声を上げても、ナザレは沈黙しなかった。


「何年経っても、嫌な事は思い出すモノだよ。何だっけ? トラ、トラ……」

「トラウマ?」

「そう、それだ! あの時の僕は色々とあったからどうにもできなかったんだ。まさか、今になって、世界中のあちこちに十字架が立つなんて思ってもいなかったし……」

「貴男の教団じゃ無いけどね」

「分かってる。分かってますよ。でも、僕にだって言い分があることは判って欲しいな」

「聞いてあげるわよ。いつものだろうけど」

「そう、いつものだよ。図像に関してだ。まず、僕の肌の色はあんなに白くない。次に、僕はあんなに髪の毛を長く伸ばしたことは無い」

「アレはローマ神話のユピテルを参考にしたという説があるみたいね」

「そういう安易な模倣は好きになれないな。何て言ったっけ……確か、文化、文化……文化…………」

「文化盗用?」

「そう、それだ! 汝、盗むなかれ!」


 ナザレは嬉しそうに笑って人差し指を立てた。しかし、マグダラは首を傾げて彼の主張に疑義を挟む。


「ナザレ。貴男なら、その見かけをどうとでも変えられるはずよ。気にする必要が無いと思うけど」

「マグダラ。それじゃあ、君はアレが好きかい?」


 ナザレに問いかけられたマグダラは、ハンドルを握ったまま軽蔑の眼差しで助手席に座っていた男に顔を向けた。


「私が? 嫌いに決まっているでしょう! 男は髪の毛を短く切るべきよ。長く伸ばしていたら、女と変わりが無いでしょう? 髭も生やすべきよ。女と区別をつけるためにね。もしも、私たちの教団にあんなものを飾るという話が出ても、アタシは断固として拒否するわよ」

「じゃあ、次の質問だ。そんなに激しく君が拒絶するようなモノを、僕が喜んで受け入れるとでも思うかい?」

「分かった。分かりました。また、そうやって上手く丸め込むんだから。そんなことを言われたら、同意するしか無いじゃない。でも、これだけは約束して。十字架を見ても呻かない。良いでしょ?」


 顔を赤らめたマグダラに約束を迫られたナザレは、本を開いて顔の上に乗せた。威厳のある男は、胸元で手を組んで誓いの言葉を口にする。

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