36-9.敵発見
「ヤリチ……じゃなかった。棟梁。私を護ってください」
眼鏡の少女は決まり悪そうな面持ちになると、少年に向かって頭を下げた。
「あ、あぁ……僕で良ければ」
志光も歯切れの悪そうな口調で茜の申し出を受ける。しかし、それ以上の会話をする前に、ソレルが無線機を通して指示を出してくる。
「動きがあったわ。ウォルシンガムが敵を確認。驚いたわね。中学生ぐらいの男の子よ」
「子供?」
「悪魔の外見年齢と実年齢が違うのはよくあることだからはっきりしないけど、せいぜいいっていて三〇代ぐらいかしら?」
「白人なの?」
「そうだけど、髪の色は黒よ。地毛か染めているかは不明」
「こちらはどう動けば?」
「空蝉橋の交差点まで戻って。包囲の輪を縮めるわ」
「了解」
無線機のボタンを押して返答した志光は、茜と一緒に新垣たちの前まで移動した。
「いよいよ捕り物ですか」
禿げた中年男性は軽く首を回すと元来た道を引き返す。一同は三分ほどかけて陸橋のある場所まで戻ってきた。そこで、ソレルが金切り声を上げる。
「作戦失敗! 敵が逃げ出したわ!」
「方向は?」
「栄橋通りよ! 空蝉橋から池袋方向にある橋につながる通りを疾走中。栄橋を抑えている部隊が敵を確保し損ねたわ!」
「敵の行き先は?」
「このまま行くと、豊島郵便局からサンシャインシティね。車並みの速度で走っているわ! 人間に正体がバレるのにもお構いなしよ!」
「ありがとう! こっちもすぐに後を追う!」
ソレルに礼を述べた志光は、続いて新垣との打ち合わせに入る。
「ソレルの話を聞いていましたか? 敵は正体を隠すつもりが無いみたいです。車並みの速度で走っているそうですから、もう豊島郵便局かサンシャインシティに到着している頃でしょう」
「我々はどう動きますか? 人間にバレないように? それとも、バレても敵を追い詰める方を選びますかね?」
「敵を追い詰めます。相手に隠す気が無いんだから、こちらが隠しても騒ぎになるのは避けられないでしょう」
「了解しました。それでは、そろそろコレの出番ですな」
禿げた中年男性は、そう言うとポケットから黒い全頭マスクを引っ張り出した。彼は左右を見回し、空蝉橋の向かって左端に、人一人がやっと通れそうな階段を見つけると、そこに残り三人を誘って通りから姿を隠した状態で覆面を被る。
「ベイビー。抜けられた部隊が敵に追いついて交戦中よ。豊島郵便局と自動車教習所の間に移動して!」
無線からソレルの指示が届くと、一同は息を吸ってから吐くのを止めて、腹部に力を入れた。すると、彼らの全身から青い炎が立ち上る。
「行こう!」
志光はそう言うと空蝉橋通りに飛び出して、陸橋とは反対方向に向かって全力で走り出した。邪素を消費する少年の加速はスポーツカー並みで、あっという間に春日通りに着くとそこを右折する。
歩道を歩く一般人や、信号待ちをしているドライバーたちも、黒マスクを被った謎の集団が通り過ぎる様子を見て目を丸くしていた。最初にクレアからお姫さま抱っこされた時の状況にうり二つだ。
志光は思い出し笑いをしつつ春日通りを池袋方面に直進し、目的地に続く大通りを左折した。遠回りになるコースだが、細い路地を走って人に衝突するリスクを回避したかった。
残りの三人も少年の後を少し離れた場所から追ってきた。志光が速度を落とすと、イヤホンからソレルの警告が聞こえてくる。
「ベイビー、気をつけて。こちらの部隊が押されているわ。敵は一人じゃない。最低でも三体の魔物を確認!」
「分かった! 応戦する!」
豊島郵便局の角で立ち止まった少年は、両手に目を凝らした。黒いグローブを填めた手が青く輝き出す。
左手にサンシャイン通り、右手に郵便局という大きな通りの正面には、見慣れない奇妙な生き物が立っていた。それは子供の背丈ほどの体格をしていたが、肩幅は大人より広く、両腕の長さが二メートル近くあった。
また、全身には黒い体毛が生えており、頭部は一重で細い眼と出っ歯が強調された日本人風だ。このような、テナガエビと猿と東洋人を掛け合わせたような奇怪な生き物は地球上に存在しない。間違いない。これが魔物だ。猿のような肉体に日本人らしい頭をくっつけたのは、恐らく人種差別的な主張がしたかったからだろう。
魔物は志光の姿を認めると、長い手を振り上げ小走りに近寄ってきた。志光はその場で左足を前に出し、左膝を左足よりも身体の内側に入れ、半身になった姿勢で左拳を目の高さに、右拳を顎の高さに置いて迎撃態勢を取る。
「ジャップ! ジャップ!」
魔物は差別用語らしき奇声を連呼しながら長い手を挙げて志光に近づいてきた。志光は正面を見据えたまま、背後にいるはずの仲間たちに向かって叫び声を上げる。
「人を近づけさせないで! 特に警官!」
それが合図だったかのように、魔物が長い腕を振り下ろした。少年は大きくバックステップして敵の攻撃を回避する。
リーチは相手の方が遙かに長い。いつもならドリルピットに見せかけたタングステン棒を撃ち出しているところだが、今日は職務質問されるリスクを回避するために、武器らしい武器は持たずに地上に出た。
このままでは、こちらの攻撃が届かない場所から一方的に殴られ続ける危険性がある。だが、相手の体格を考えると懐に飛び込むのは難しい。そうなると、麻衣がジョゼッペを仕留めた時に見せた「アレ」を使うのが良いだろう。
幸いなことに、歩道の脇には何本もの外灯や標識が立っているため、腕の長い敵はフックを使えない。つまり、横からなぎ払われる危険を考慮しなくて良い。
瞬時に戦い方を決めた志光は、再び魔物に向かって前進を開始した。魔物ももう一度長い腕を振り上げる。
志光は前進すると見せかけて真横にサイドステップして、振り下ろされた腕を回避した。
「シッ!」
続いて少年は歯の間から息を吐き出しつつ、ジャブの要領で青く輝く左拳を突き出し魔物の腕を叩く。
スペシャルによって斜め下に加速された腕は、魔物の意図を無視してアスファルトに突っ込んだ。腕の大きさに見合わない小柄な胴体が災いして、魔物の姿勢が崩れてしまう。
その隙を見逃さず、志光は右足で地面を蹴って直進した。拳が届く位置まで移動した少年は、膝を曲げ胴体を左方向に捻り、右拳を斜め下に突き出した。
青く輝く拳が魔物の顔面に突き刺さった。加速された魔物の頭部は、やはりアスファルトに叩きつけられる。