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35-1.女性嫌悪者・阿鉄司

 阿鉄司あてつつかさは愛知県の矢作川周辺にある兼業農家の一人息子として産まれた。実家から少し離れた場所には、自動車解体を専門にした寄せ屋、いわゆるスクラップ業者があり、少年は長じるにつれて彼らの仕事ぶりを見るのが趣味になった。


 大学進学を機に上京した司は、材料工学を勉強したが研究者の道は目指さず、卒業と同時に金属の取り扱いを専門とする商社に就職した。それから五年ほど経つと、彼は金属、特に鉄鋼関係の目利きとして社内でも一目置かれる存在になった。


 ただし、社内では彼のネガティブな面も噂されるようになった。それは、女性を極端なまでに蔑視するというものだった。


 日常的な会話の途中で女性の話題が出てきた途端に「女は馬鹿ばっかりだ」と呟いて周囲を驚かせたり、宴席でタガが外れると「女は女と言うだけで得をしているはずなんですよ」と放言して上司に注意されるなど、とにかく女性のことになると人が変わったように攻撃的になった。そこで、同僚も上役も司をできるだけ女性に近づけないように心がけた。お陰で彼の暗部が社外に露呈することはなかった。


 そんな順風満帆だった司の人生に大きな影が差したのは、社会人になってから七年後のことだった。さしたる理由も無く食欲不振になっただけでなく、強い腹痛も覚えた青年が幾つかの病院で診察を受けたところ、膵臓ガンが見つかったのだ。ステージはT4で、上腸間膜動脈にまで病巣が広がっていた。


 五年生存率が1.3%だと知った司は絶望した。しかし、医学的な確証のないセカンドオピニオンにすがる気持ちにもなれなかった。


 治療のために休職して愛知の実家に戻った司は、家族が不安になるほど塞ぎ込んだ。そこに、彼の窮状を聞きつけた親戚の女性が現れた。


 彼女は真道ディルヴェの熱心な信者で、自身も〝宗教的な治療〟によって乳ガンを克服したと司を説伏しようとした。末期の膵臓ガン患者は親戚の話を熱心に聞くふりをしながら心中で失笑した。


 〝稀人〟と呼ばれる超常的な存在に帰依すれば、あらゆる悩みが解決する? 末期がんでも数時間で完治する? 医学的な根拠のないセカンドオピニオンよりも酷いトンデモだ。男なら誰も信じなかったに違いない。


 だが、真道ディルヴェという団体は自分たちの教義に自信があるようで「治らなかったら無料で結構です」と言っているらしい。事実、親戚の女性は金の話を一切していない。


 まあ、タダなら良いだろう。信じてはいないが、先行き短い自分を助けようという心遣いに感謝しても罰は当たるまい。


 数日後、司は親戚の女性と一緒に名古屋にあるディルヴェの支部を訪れた。〝古墳時代の失われた宗教〟という胡散臭さ満載の説明を教団関係者から聞かされた後に司が案内されたのは、床も壁も分厚いマットレスで覆われた殺風景な部屋だった。


 末期のガン患者は、そこでDILVEという文字が印刷されている、一本の黒い水筒を信者から渡された。彼らの治療方法は、その水筒に入った液体を飲み干すという単純なものだった。


 怪しい物質が混入されているのではないかという疑念を抱きつつ、司は甘みのある炭酸水のような〝何か〟を飲み干した。三〇分もしないうちに、末期のガン患者の心臓を針で刺すような痛みが襲った。


 司は脂汗を流し、助けを求めてのたうち回ったが、しばらくすると激痛は嘘のように消えた。彼が大人しくなると、教団関係者は何故か握力計を持ってきた。


 訝しがりながら司が測定器具を握ると、そのメモリは最大値である一〇〇キロを振り切った。その様子を伺っていた教団関係者は、親戚の女性も込みで彼の前に平伏した。


 そこで司は自分が〝稀人〟になった事を知った。それは人間の一〇倍の力と一〇倍の寿命を持つ超常的な存在だと彼らに教えられた。


 教団関係者から「ガンは完治したはずだ」と告げられた司は、かかりつけの病院で検査を受けた。確かに、担当医が腰を抜かして驚くほど、ガンは綺麗さっぱり消えていた。


 しかし、話はこれでオシマイ、めでたしめでたしにはならなかった。教団関係者は、がんが治らなかったら無料で良いとは言ったが、治った時もお代は要らないとは言っていなかった。


 検査結果が出てから数日後、一人の女性が司の元を訪れた。真っ赤に髪を染めた女性は、自らを門真麻衣と名乗った。


 麻衣はディルヴェの代理人として、司に数千万にも上る高額な治療費を請求した。そして、もしも支払えない場合は〝稀人〟として教団に奉仕するという代案も提示した。


 人間の一〇倍になった己の膂力を過信した司は彼女の条件を突っぱねたが、一分も経たないうちに自宅近くの公園で一方的に殴られ、無様に這いつくばる羽目になった。人間の女だと甘く見た相手は彼と同じ〝稀人〟であり、しかも人間だった時代に女子ボクシングの世界チャンピオンまで上り詰めたという経歴の持ち主だっだ。


 痛い目に遭った司は、麻衣の提示した二番目の条件を呑んだ。こうして彼は会社を辞めて稀人として教団活動に従事し……勤め人時代の収入では一生かかってようやく返せるかどうかの金額を、たった三年ほどで完済した。


 その過程で、元ガン患者は真道ディルヴェの裏事情にも詳しくなった。彼が想像していた通り、この宗教団体の教義は出鱈目だった。しかし〝稀人〟の存在は事実だった。


 ところが、彼らはお互いを〝悪魔〟と呼んでいた。司がその呼び名の理由を尋ねると、仲間の一人が「悪魔化した人間は、人間よりも遙かに強い力に自惚れて、いつの間にか人間だった時の決まり事をまるで守らなくなるんだよ。だから、倫理的に堕落しているという意味で、自分たちを悪魔と呼ぶのさ」と教えてくれた。


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