34-1.状況判断
豊島区で起きた「区役所ビル爆破事件」は、発生直後からマスコミのトップ記事として扱われた。事件当初の死傷者数は不明、方法も不明だったが、耐震性が最も高いⅠ類に属する建築物が倒壊するほど破壊力のある爆発なら、多数の犠牲者が出るのは避けられないと考えられたからだ。
警察が数日後に死者が約四百人、負傷者が一三〇〇人と発表してから、テレビ番組が起用した専門家は、この事件が「日本国内で起きた最大級のテロだ」と解説するようになった。
彼らは同時に、爆破方法も明らかにした。それは、一九九五年四月に起きたオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件にうり二つだった。爆発物を大量に載せたトラックを、ビルのすぐ側で止めて起爆させたのだ。
二つの事件の違いはトラックの大きさだった。連邦ビルで使われたトラックは二トン車で、豊島区役所で使われたトラックは八トン車だった。
また、これだけ大規模なテロ行為にも関わらず、犯行グループからの声明はなかった。これも連邦ビル爆破事件との類似性を想起させた。
それに加えて爆発があまりにも大規模で、事件の手がかりのほとんどを吹き飛ばしてしまったため、ネット上を中心に様々な犯人像が推測された。単独犯からカルト系宗教団体、そしてお約束のアメリカ政府やロスチャイルド家の陰謀論まで、ありとあらゆる説が出た。
もちろん、地頭方志光は事件直後から真犯人を知っていた。ゲーリー・スティーブンソン率いる白誇連合だ。
彼らの狙いも分かっている。魔界日本との戦いを少しでも有利にするために、彼らが占拠している池袋ゲートに近辺に、魔界日本の悪魔たちを近寄らせたくなかったのだ。
区役所ビル爆破事件直後から、池袋周辺では警察が蟻の這い出る隙もないほど厳重な警備網を敷いた。少しでも不審な態度をとったらすぐに職務質問をされる状況下で、武器の運搬はもちろん大人数をまとめて移動させることも難しい。
要するに、見事な手際で裏をかかれたと言うことだ。
爆破事件直後にクレア・バーンスタインと過書町茜を伴って、大蔵英吉の運転する車で大塚ゲートに戻り、情報収集をして事情を理解した志光は、不機嫌そうに押し黙った。少年は爆破直後なら悪魔の力を使って出来たはずの、被害者の救出を選択しなかったし、幹部連も進言しなかった。
どちらも、魔界日本の存在が白日の下に晒される危険を回避したかったのだ。要するに、保身を考えて他人を犠牲にした。
ゲーリーの言った通りだ。自分は他人のことなど考えていない。エゴイストだ。
捕虜交換に伴う会合で、自分は暗殺の危険ばかり恐れていた。また、相手も同じだろうと高をくくっていた。
しかし、ゲーリーは違っていた。殺されるかも知れないというリスクに怯えていたのは間違いない。にもかかわらず、彼は敵の棟梁を排除するという誘惑に負けず、戦争を有利に進めるため、区役所ビル爆破に組織力を集中させた。
ホワイトプライドユニオンが一番恐れていたのは、魔界内部と池袋ゲートの両方から魔界日本が攻めてくる状況、いわゆる多正面からの攻撃だったのだ。しかし、豊島区を日本の警察が警戒していれば、魔界日本はおいそれと動けなくなる。
その結果、彼らは池袋ゲートの防衛に戦力をほとんど割かず、魔界内部からこちらを迎え撃つ準備を整えられたはずだ。
警備を担当したアニェス・ソレル、門真麻衣、見附麗奈、そして彼女たちの部下が戻ってくるのを見計らい、志光はゲートの警備をしていたウニカも加えた大所帯で魔界日本に戻った。
少年がドムスに帰ってくると、既に状況を把握していた湯崎武男が彼を迎え入れた。魔界日本の軍事を担当する悪魔は、執務室で若き棟梁をねぎらった。
「坊主。よく我慢して爆破現場に行かなかったな。正解だ。恐らく、あそこには白誇連合の魔物なり関係者がなりが潜んでいたはずだ。マスコミの前でヒーローショーを開催していたら、俺たちは窮地に立たされるところだった」
「僕もその危険を考えました。でも、助けられたはずの人達を見捨てたのは、ただの自己保身ですよ」
「自己保身で結構。知らない誰かよりも身内の秘密を守る方が重要だ。お陰で最悪の事態は回避できた。それより俺が心配しているのは、坊主のこっちだ」
湯崎はそう言うと、人差し指で自らのこめかみを叩いた。
「人間は予想していない衝撃的な事件が起きると、パニックになって思考が停止する。それは悪魔も一緒だ。坊主はどうだ?」
「最初は気が動転しましたけど、今は大丈夫だと思います。多分」
「分かった。それじゃ、状況判断と行くか」
古代ローマ風の椅子を引っ張り出してきた湯崎は、志光に着席を勧めた。少年は言われるままに腰を下ろす。
「まず、敵の意図を推測しよう。どうしてホワイトプライドユニオンは、区役所を爆破したと思う?」
「それは現実世界で僕も考えました。池袋ゲートの側で大規模なテロを起こすことで日本の警察に厳重な警備体制を敷かせ、僕たちを自由にさせないためだと思います」
「つまり、いよいよ戦争が始まったら、俺たちが池袋ゲートを攻撃してくると想定して先手を打ったと考えたんだな? その目的は?」
「二正面作戦を避けるためです。僕たちが池袋ゲートがある島を襲撃するには、魔界内部から魔界の海を渡って行くルートと、現実世界から池袋ゲートを占領して、そこから侵入するルートがある。常識的に考えれば、どちらも使った方がホワイトプライドユニオンの戦力を分散できるから有利だ。でも、それはホワイトプライドユニオンからすれば避けたい事態だから、ああいう事件を起こすことで、日本の警察を利用した。これで合ってますか?」
「偉いぞ、坊主。俺もそう考えた。それじゃ、次に行こう。相手の裏をかくには?」
「もちろん、襲撃されないだろうと思われている池袋ゲートを、何らかの方法で攻めることでしょう」
「俺もそう考えた。話が合うな。お前は良い攻撃指揮官になれるぞ。明日までに幹部会を開こう。そこで詳細を詰めたら、いよいよ戦争開始だ」
「分かりました。ただし、会議は現実世界でお願いします」
「何かあるのか?」
「真道ディルヴェの信川周氏も会議に加えたいんです」
「そこから情報が漏れる可能性は? 敵も彼のことは監視しているだろう」
「監視していると思いますが、それでも彼を呼んだ方が良い。現実世界で大規模な戦闘を仕掛けるなら、人間の協力が不可欠だ」
「……分かった。坊主の言い分を飲もう」
「ありがとうございます」
「俺は明日の準備をしてくる。今日はゆっくり休んでくれ」
志光と打ち合わせを済ませた湯崎は、足早に執務室を出て行った。それからしばらくして彼が中庭に移動すると、心配そうな顔をしたヘンリエットの姿が見えた。ヘッドドレスをつけた少女は、少年に気づくと小走りで駆け寄ってくる。