表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

140/228

28-7.ボクシングの精髄

「すぐそこで、WPUの悪魔を一人取り押さえたわ。ウニカが見張っているから、四、五人がかりで拘束して」


 彼女は返事を待たず、志光の背中についた。三人は川沿いに続く小道を歩き、船のデッキに似た板張りのテラスに到着する。


 荒川に隣接した張り出しは、リングを二つ合わせたぐらいの面積しかなかった。その角には、一人の白人男性が立っていた。


 男は平均よりやや高めの上背で、スーツ姿であるにも関わらず素足に革靴を履いていた。髪は短めのツーブロックだが、口ひげを生やしている。


 三人を目にした男は、笑いながら右半身の構えをとり、右腕を肩の高さに突き出した。その手には、大きな折りたたみナイフが握られている。


「よう、旦那。アタシが相手をしてやるぜ。My name is MAI.OK?」


 麻衣も笑いながら志光と麗奈を背後に追いやると、下手くそな英語で話しながら左構えの姿勢になった。赤毛の名前を聞いた口ひげは顔色を変えると、余裕の笑みを捨てる。どうやら、麻衣の名前を知っているようだ。


 二人は鏡合わせのように向き合った。麻衣は構えたまま徐々に距離を縮めていく。


 お互いの距離が一メートルほどになると、男が大きく踏み込んでナイフを彼女の顔面へと突き出してきた。赤毛の女性は素早く斜め後ろに下がって攻撃を回避する。ところが、ナイフの切っ先はそのまま下がって彼女の手首を切りにきた。


 すると、麻衣はそれを予測していたかのように両手をすっと下げてフェイントに続く攻撃を鼻先で空振りさせた。志光は赤毛の女性の見切りに溜息をつく。


 彼女が言っていた通り、ボクシングの攻防はセンチメーター単位で行われるのかも知れないが、外野は見ていて生きた心地がしない。しかも、相手は武器を持っている分だけリーチが長い。


 つまり、常識的に考えれば麻衣の方が圧倒的に不利なのだ。ところが、彼女は泰然自若としており、助けを求めることもなければその場から逃げ出すわけでもない。


 ファイティングポーズを取り直した赤毛の女性は、今度は頭を振りながら白人男性に近づいた。頭を半分だけ横にずらすことで、ストレート系のパンチを回避するヘッドスリップと呼ばれる防御法だ。


 ヘッドスリップは左手で攻撃されたら右側に、右手で攻撃されたら左側に頭を動かすのがセオリーとされている。腕の内側にある対象に拳を当てることは、肘の角度を少し変えることで容易くできるが、腕の外側にある対象を攻撃するためには肩を支点に腕を外側に開かなければならない分だけ修正が難しいからだ。


 だから、攻撃してきた相手の腕の外側に頭を置けば、高確率で攻撃をかわせる。そして、白人男性は右手でナイフを構えているから、麻衣は彼の右側、彼女から見て左側に頭をずらせば良いことになる。


 ところが、赤毛の女性は彼女から見て右側に頭を振る仕草を繰り返した。まるで「そのナイフで顔を刺してみろ」と言わんばかりだ。


 白人男性にも彼女の挑発は伝わっていたようだ。彼は再び大きく踏み込んでくると、やや内側に向けてナイフを突き込んでくる。


 すると、麻衣は頭部を大きく右側に振りつつ左腕を鈎状に曲げてフックを打った。ナイフの切っ先は彼女の肩先を通り、彼女の腕は伸びきった白人男性の腕に絡んで肘を過伸展させる。


「!!」


 口ひげは苦痛に顔を歪め、右腕を引っ込めた。赤毛の女性はそのタイミングを見計らってステップインしてくると、男の右目に左右ストレートを当てた。


「おおっ!」


 志光は師匠の攻撃に感歎の声を漏らした。麻衣は最初から相手の腕を狙っていたのだ。


 相手はナイフを持った手を真っ直ぐ伸ばしていた。手にグローブを填めただけの麻衣よりもリーチは長い。ストレートの差し合いをしていたのでは負けてしまう。


 そこで、突き出した男の腕にダメージを与え、強制的にナイフを下げさせてから、改めて頭部を攻撃右する事を計画し、そして実行した。また、それが可能なだけの敏捷さが彼女にはあった。


 男は慌てて後ろに下がって再び右腕を上げたが、肘を痛めたらしくナイフの切っ先がやや内側を向いていた。また、打撃を浴びた右目の周りにアザができはじめている。


 麻衣は相手の状態を観察しつつ、前進を再開した。彼女はまたも右側に頭を振る仕草を繰り返す。


 白人男性はナイフを突くと見せかけて横に薙いだ。ところが、赤毛の女性は頭を右から左へとU字に振って凶刃をくぐり抜ける。フックに対する防御、ウイービングだ。


 右から左へのウイービングをすれば、上半身は左側に捻れる。麻衣はその捻りを元に戻す力を利用して、左拳を突き出した。


 赤毛の女性の放った一撃は、白人男性の高い鼻柱を文字通りへし折った。口ひげは反射的に顔をそむけ、左手で鼻を覆って防御する。


 麻衣はその様子を見るや否や、思いきりステップインすると更に左腕を突き出した。後ろ足から前足への体重移動による運動エネルギーが乗った拳が、横を向いた白人男性のこめかみを直撃する。


 そこから彼女は、更にワンツーを口ひげにお見舞いした。脳しんとうを起こした男は、堪らず張り出しの床に転倒する。


 勝負がつくと、背後から観戦していた麗奈が白人男性に駆け寄って、彼が手にしていた大きな折りたたみナイフを蹴飛ばした。続いて彼女は未だに立ち上がれない口ひげの背に片膝を乗せて腕をねじり上げる。


「凄い。一方的だ……」


 大きく息を吐き出した志光は、汗一つかいていない麻衣に右手を出した。


「どうだい? これが世界基準の戦い方ってヤツだよ」


 少年の手を握った赤毛の女性は、余裕の笑みを浮かべて口ひげを見下ろす。

 そこに複数の隊員を伴ったソレルが現れた。彼女は状況を確認すると、三人に説明を要求する。


「勝負は終わったの?」

「見ての通りだよ。アタシの完勝」

「さすが九天玄女。でも、そろそろ撤収の時間よ。警察がここに来るから、さっさとゴルフ場の方に移動して。バスに乗って逃げないと」

「そういえば、ゴルフ場の方に逃げた悪魔はどうなったの?」

「残念だけど、タイソンが追いかけた相手は逃げおおせたみたいね。ベイビーに合わせる顔がないって嘆いていたわよ」

「一人は倒して、二人は捕まえたんだから、作戦は成功だよ。気にしなくて良いのに」

「警察を撒ければね」


 褐色の肌はそう言うと、耳に手を当てる素振りをした。遠くから聞こえるパトカーのサイレン音が、冷たい空気を伝わって志光の鼓膜を震わせた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ