24-2.女尊男卑国の使者
すると、そこに血相を変えて過書町茜が飛び込んできた。眼鏡の少女は志光の前で急停止すると、彼の鼻に指を突きつける。
「役に立って貰う日が来ました。結婚して下さい!」
「……は?」
志光は茜の唐突な求婚にたじろぎ、ソレルと麻衣の顔を見た。二人の女性も当惑した面持ちで小さく首を振る。
「ごめん。何を言っているのか、さっぱり分からないんだけど、いきなり結婚してくれと言われても……」
「私がヤリチンさんに結婚して欲しいなんて言うわけがないでしょう!」
「結婚してくれって言ったのは過書町さんじゃないか!」
「私じゃなくて、政略結婚してくれと言ってるんです。クレアさんは、ちゃんと説明したって言ってましたよ」
「そういえば……政略結婚の可能性はあるって聞いたような…………」
「覚えてないんですか?」
「いや、何となく覚えているよ。でも、なんというか、記憶が少し曖昧で……その時に何か嫌な事があったような…………」
「そんなことは後で思い出して下さい。もう、先方がこのドムスまで来ているんですよ」
「ここまで? 事前に何も知らされてないんだけど……それって失礼じゃないの?」
「我が国とは国交がない国なので仕方ありません」
「過書町。それはどこなんだい?」
傍らで志光と茜のやりとりを聞いていた麻衣が口を挟んできた。
「私も愛人として、本妻候補の情報を知っておきたいわ」
赤毛の女性にソレルが加勢する。
「女尊男卑国です」
眼鏡の少女は三人を見回してからゆっくりとした聞きやすい調子で回答した。麻衣は口笛を鳴らす。
「そりゃあ、驚きだね。あの国は、女性がリーダーじゃなければ外交関係を結ばないと聞いているけど」
「私もよ。ウチの棟梁はベイビーでしょ?」
「あちらの解釈では、門真さんがヤリチンにボクシングを教えているので、門真さんの方が格上だということになっているみたいです」
「まあ、確かにアタシの方が腕っ節は強いな」
「麻衣さんが強いのを否定する気は全くないけど、過書町さん、今、僕のことを呼び捨てにしてなかった?」
「ああ、とうとう自分がヤリチンだって認識できるようになったんですね。それは良かった」
「過書町さんが僕に擦りこんだんじゃないか!」
「擦りこまれる方が悪いんですよ。とにかく、着替えて執務室まで降りてきて下さい。門真さんもソレルさんも同席をお願いします。下では、クレアさんと湯崎さんが対応しています」
「クレアさんは分かるけど、湯崎さんが?」
「不思議でしょうけど、来れば事情がすぐ分かりますよ。一刻も早くお願いします」
茜はそう言うと、小走りでトレーニングルームを出て行った。志光が困惑の面持ちを浮かべている間に、ソレルは彼の衣類をロッカーから取ってくる。褐色の肌にシャツを着せられズボンを履かされた少年は、訳も分からないまま階段を降りて執務室に向かう。
室内には、クレア、茜、湯崎武男の他に見慣れない二人組がいた。
一人は男性で、年齢は恐らく三十代。背は高く横幅もある東洋系だ。黒い髪をツーブロックに刈り、口ひげを生やしている。スーツの着こなしも完璧に近い。
もう一人は十代中盤ぐらいの少女だった。オレンジ色の髪を二つに分けて結っている。顔立ちは西洋人とも東洋人とも言えない不思議な感じだ。
ブレザーを着た少女はだらしない姿勢で椅子に座っている。クレアの隣に座っている窃視症の湯崎が、必死になって彼女の股間を覗き込もうとしているのに、まるで動じていないどころか、むしろわざと見せるような姿勢になっている。
「初めまして。地頭方志光です」
二人の前に立った志光は自己紹介をした。
「初めまして。突然の来訪をお許し下さい。私は仕伏源一郎という者です。女尊男卑国の女王の中の女王の代理として、この魔界日本へやって来ました」
すると、仕伏と名乗った男性が椅子から立ち上がると手を差し出してきた。
「……」
しかし、ツインテールの少女は立ち上がるどころか挨拶もせず、無言で下から少年の顔を覗き込んでくる。
「申し訳ない。彼女はヴィクトーリア女王様です。我が国の〝女王の中の女王〟であらせられる、ソフィア女王様のお子様になります」
「ソフィア女王の娘さん……」
志光は偉丈夫と握手を交わしながら、ヴィクトーリアを盗み見た。
悪魔なので外見と実年齢が違うかも知れないが、若いのは間違いない。容姿も申し分ない。
ひょっとすると、彼女が自分の結婚相手なのだろうか? しかし、違っていたら気まずい思いをしそうで嫌だ。
少年がヴィクトーリアの正体を見定めようとしていると、彼女がすっと右手を差し伸べてきた。しかし、笑っている少女の身体から、青い光が立ち上っている。邪素を消費しているのだ。
志光は瞬時にヴィクトーリアの意図を察し、息を止めて腹部を凹ませた。邪素を用いて常人の十倍近い膂力を手に入れた少年は、恐る恐るツインテールの手を握る。
「いっ!!」
志光は悲鳴を噛み殺した。凄まじい握力だ。とても細身の女性のものとは思えない。
おそらくスペシャルか、そうでなければ邪素を消費すると普通の悪魔よりもより大きな力を使えるのだ。このような特殊能力があれば、悪魔化した男性を腕力でねじ伏せるのは造作もないだろう。しかし、彼女と婚約が成立しようがしまいが、マゾ男扱いされるのは真っ平ごめんだ。
志光はヴィクトーリアに握られた指に意識を向けた。彼は指が青く輝き出すや否や、軽く息を吐く。
すると、少女の手は少年の手から引き剥がされた。加速がついた自らの手に振り回されるようにして、ヴィクトーリアが転倒する。
「WOW!」
「ヴィクトーリア様!」
少女が驚嘆の声を上げるのと、仕伏が彼女の身体を抱きかかえたのはほぼ同時だった。
「お怪我はありませんか?」
偉丈夫は心配そうな面持ちでツインテールに声を掛けるが、彼女はすぐに不敵な笑みを浮かべて彼の腕を振り払って立ち上がると、流ちょうな日本語で喋り出す。
「大丈夫よ、仕伏。この男、気に入ったわ」
「困ります、お嬢様。勝手なことを言われては」
仕伏は渋面を作り少女をたしなめてから、志光に向かって非礼を詫びた。