骨音
2
自分が高校生ではなくなったので、忘れていたが、私と同年代は今、受験戦争のまっただ中だ。
高校に入学する段階で、大学進学など考えていなかったので、きっとまだ高校生でも忘れていただろう。
大池優子の通う予備校は夜の十時を過ぎてから、ようやく教室の明かりが消えて、何人かの生徒が建物から出てきた。
そのほとんどが学生服だった。学校帰りにそのまま来たようだ。
おかげで大池を探すのは簡単だった。彼女は私服姿で、厚手のジャンパーを着て、携帯をいじりながら出てきた。
確かにきりっとした顔つきでポニーテール。姿を見て、ようやくなんとなく思い出せた。ただやはり、話したことはないと思う。
彼女が駅に向かって歩き出したので、隠れていた自販機の陰から身を出して、一定の距離を保ちながらその後をつける。
警察はまだ『自警団』は突き止められていない。だからこそ、彼ら経由して真理愛からクスリを買っていた大池は今も普通に暮らしているのだろう。
駅に着くころ、ようやく彼女は携帯をポケットにしまい、まっすぐと前を見て歩き始めた。
携帯を持たない私には一体何であんなものに時間を割いているのか理解できない。
『挽歌も持てばいいのに。私、毎晩電話するよ。ううん、毎朝だってする』
高校一年の頃、真理愛に言われた言葉が自然と頭に浮かんできたので、それをすぐにかき消す。
彼女は改札口の近くの自販機でホットのお茶を買い、ホームへと向かった。私も事前に買っていた切符を使い、改札をくぐった。
ホームには風が吹いていて寒いのに、大池は鞄から参考書を取り出して、それを読みながら電車を待ち始めた。
時刻表を確認すると、次の電車が来るまでは三分。
私は彼女を監視しながらも、近くの喫煙スペースで一服をすることにした。自分でも少し興奮しているのがわかる。
落ち着かなければ。
ちょうどタバコが半分ほど燃えたところで、電車が到着した。残りの半分は捨てて、彼女とは違うドアから電車に乗り込む。
電車の中でも彼女はつり革に捕まりながら、熱心に参考書を読んでいた。
『勉強は嫌いなの。やらなくてもできちゃうから』
また真理愛の言葉が脳に浮かんできた。どうしてこんなことばかり思い出すのか不思議だ。
大池は三つ目の駅で降りた。私もその後に続き、またさっきと同じ距離で尾行する。
彼女の地元の駅は閑散としていて、まだ終電でもないのに、人通りはまばらだった。
そんな夜道を中をジャンパーのポケットに両手をいれながら、少し足早に家路についていた。
わずかに、距離をつめる。
五分ほど歩いたところで、より人通りの少ない道になった。近くに民家はあるが、明かりを灯しているところは少ない。
また、距離をつめる。
そのとき、前方の彼女が立ち止まって、おそるおそるといった様子で振り向いた。
隠れなかった。むしろ私は立ち止まり、フードをとって、自分の特徴である赤い髪を街灯の下にさらした。
「え」
大池が咄嗟に走り出そうとしたので、私も一気に駆け出す。
彼女は突然のことで躓き、走り出してすぐにアスファルトの地面に間抜けに転んだ。馬鹿だなと思いつつ、私は彼女の背に乗った。
「ヒッ」
「久しぶり。私はお前のことを覚えていないが、その様子だとお前は違うようだ」
「だ、誰か」
「助けを呼ぶのは自由だが、そうなるとお前の好物がクスリだと告白することになる」
その脅しに大池は「あ」と馬鹿みたいな声を漏らし、やっと状況を理解して、そのまま黙った。
「真理愛からずいぶんとクスリをもらっていたらしいな。そんなにうまいものなのか、あれ」
大池は答えない。答えないで、なんとか逃げだそうとクネクネと体を動かしている。それが鬱陶しいので、右手を掴んで、力強くそれを捻りあげた。
「ああああっ」
「騒ぐなよ。まだひねっただけだろ。折られたいか」
また力を込めると、彼女はなんとか声を出すまいと耐えた。そして気持ち悪い動きもやめた。
「運が良かったな、捕まらなくて。内心はバクバクしてたんじゃないか」
「……どうして、あんたが」
それはどういう意味だろう。どうしてここにいるのか、どうしてそれを知っているのか。どちらの意味でもとらえられる。
でも、どちらにしても答えは決まっていた。
「さあな」
彼女を拘束したまま、周囲を見渡す。人の気配はなく、静かなものだ。
手短に済ませれば、問題ないだろう。
「真理愛を殺したのは、お前か」
「……ばっかじゃないの」
全く考えなしで、素直な回答だ。私がさらに腕を捻りあげると、大池がまた妙な声をあげた。
「お前がそうしたいなら、その調子で答えろ。私はお前の腕が折れようが、もげようが腐ろうが、どうでもいい」
「や、やめっ」
「次の質問にいこうか、風紀員。真理愛からクスリを買い始めたのはいつ頃からだ?」
これにはすぐ答えが返ってこない。ただ、ほんの少しだけ腕に力を入れただけで「こ、答えるっ」と屈した。
「に、二年の冬……ちょうど一年くらい前」
「そうか。どうして真理愛から?」
「真理愛さんが誘ってきたのよっ。いいものがあるからって」
簡単な言い方だが、これを真理愛本人が言うと、不思議な力が作用して、本当にいいものがあるに違いないと思わせることができた。
この女は呆気なく、それに引っかかったわけだ。
「真理愛には、どれくらいで買っていたんだ?」
「……一回あたり、二万」
高校生にしては過ぎた金額だが、物がクスリと聞くと安くも思える。
「お前、真理愛と仲良かったか」
その質問にも、すぐ回答が返ってこなかった。今度こそと思っていたとき、地べたに頰をあてたままの彼女が、不気味に笑い出した。
勝ち誇ったような、気色の悪い声が夜道を這っていく。
そして目だけはなんとか私に向けて、笑って言った。
「最後に裏切られたあんたより、私の方が特別よ」
全く、本当に意識をしないまま、私は思いっきり力を込めて、彼女の腕をあらぬ方向に曲げていた。
歪な音が鳴った。
それが彼女の骨が折れた音だと気づいたのは、あり得ない方向にねじ曲がった腕を見たときだった。
少し田舎だと、ほんと夜道を歩きながら帰るのは怖いもんです。