表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブラック・マリア  作者: 夢見 絵空
第五章【凶悪:狂悪】
36/37

さよならメモリーズ



「挽歌ぁっ!」


 右胸を血で染めて、膝から崩れる私に真理愛が絶叫を上げながら駆け寄ってくる。


「どうしてっ! なんでこんなことするのっ!」


「……これ、で」


 掴んだナイフの柄から大量の血液がつたってきて、手が真っ赤になっていくのを見ながら、声を絞り出した。


「お前の……負け、だ……」


 真理愛の計画が私を支配することなら、そうできないようにすればいい。単純な話だ。


 私が死ねば、全て解決するんだから。


 真理愛は私の言葉も聞こえないほど取り乱していて、どうしていいかもわからないようで、「どうしてっ!」と何度も叫んでいた。


「こんなことしたって一緒だからねっ!」


 真理愛はハンカチを取り出すと、私の右胸にそれを無意味に押しつけた。


「絶対、ぜっったいっ! 私は挽歌を助けるからねっ! こんなことで逃がさないんだからぁっ!」


 真っ赤に染まったハンカチをぐしゃぐしゃにして、涙ながらそう叫ぶ彼女を見ながら、私は小さく笑った。


 彼女にもこういうところがあるんだと、おかしな安心感を覚えてしまった。


「待っててっ! 挽歌っ! お医者さんの知り合いがいるのは、挽歌だけじゃないんだからねっ!」


 彼女は血で染まった手でポケットから携帯を取り出して、操作しはじめる。


 ただ、焦っていたし、指が血で濡れていることもあって、うまく操作できないようで「あああっ!」なんて、似合わない怒声をあげていた。


 真理愛は本気で私を助けようとしていた。それはきっと、ここまでしたことが無駄になるから、という理由よりも、単純に私のためだろう。


 だから、次に私がとる行動に一切の予想を働かすことができなかった。


「――え」


 そんな素っ頓狂な声をあげたのは、真理愛だった。


 携帯が彼女の手を滑り落ち、地面とぶつかって画面が割れた。


 ただ彼女はそんな光景には一切目もくれず、自分の右胸を見つめていた。


 私がナイフを突き刺した自分の右胸を見つめた後、ゆっくりと顔を上げて私と眼をあわせた。


「――死ね」


 冷たくそう言って、ナイフを力一杯引き抜いた。彼女の胸から血が吹き出して、周囲や私のコートを真っ赤に染めていく。


 真理愛はそんな状態でもしばらくは膝立ちをしていたが、ゆっくりと倒れていき、私の肩に身をのせた。

 ずしりとした彼女の重みがのしかかる。


「……そう……か」


 掠れた弱々しい声が耳元でする。


「挽歌に……まねされちゃったんだね……死んだふり」


「――ああ」


 そう答えると真理愛がいつもより弱く「うふ」と笑った。


「やら……れ、ちゃっ――た」


 真理愛を殺すというのは、ずっと前から決めていたことだ。公僕にも飯塚にもそう言ってきた。


 問題は本当に実行できるかどうかだった。三ヶ月前に真理愛が私に言った。私は真理愛を傷つけられない、と。


 あのときは実際にそうだった。なぜなら、どんなことをされても、私にとって真理愛は『特別』だったからだ。


 今でもそれは変わらない。だから、ここまで来た。でもだからこそ、この決断をすることができた。


「お前は……やりすぎた」


 真理愛はただ自分の目的のためだけに、自身の身代わりを、かつてのクラスメイトを、知り合いをあっさりと殺した。


「私と同じ人間になった……それだけは、やめてほしかった……」


 両親を殺した私と同じ罪を犯した。そのことだけは、受け入れられない。今後もそうしてしまうだろう彼女なんて見たくなかった。


 だから私は、私のためのに、彼女を殺す。


「……そう、だね」


「私のせいでこうなった。せめて……私が終わらせる」


 私が彼女と出会わなければ、高校一年生のあの日、一緒にアイスなんて食べに行かなければ、こうならなかったかもしれない。


 だから、私の責任だ。血を吐いてでも、私が殺してやる必要がある。


 たとえ、どれだけ彼女が『特別』でも。


「……血、どこ、で?」


 真理愛がカタコトでそんな質問をしてくる。


「美月の……医者のところから盗んだ」


 私は自分の右胸に広がった血の跡を指でつつきながら、そう白状した。


 自分の右胸を刺していない。そう見せかけて、右胸に忍ばせていた血の入った袋を破裂させただけだ。


 血は今朝、美月のところから拝借した。結末は近いと感じていたので、何かに使えるかもしれないと考えた。


 まさか本当に活かされるとは思わなかったが。


「……そう、でも」


 真理愛がまた「うふ」と笑って、残った力で弱々しく私を抱きしめた。


 首に彼女の両手が巻き付いていていく。


「挽歌が……無事なら――それで、いい」


 その言葉に一切の嘘は感じなかった。いや、最初からそうだ。真理愛は嘘を吐いていない。隠し事をしていただけだ。


 こいつは最期まで、私に対しては真っ直ぐだった。


「……恨め」


 真理愛にはさんざんひどい目に遭わされてきた。ただ、最後にこういう結末を迎える彼女を、私は憎むことができなかった。


 だから、せめてそう言った。呪い殺されてもいいと思った。


 だが、真理愛は違ったようで、私の肩に乗せた首を左右に振った。


「も、う……言った、でしょ?」


 そこで彼女は血を吐き出し咽せたが、それでも続けた。


「挽歌に、なら……殺されて、も、いい……って」


 そういえばそうだった。三ヶ月前のあの日、真理愛はナイフを突きつけた私を前にしてこう言った。


『殺されるなら、挽歌がいい』


 本当に、嘘じゃなかった。信じられないほどに。


 真理愛の腰に手を回して、彼女を引き寄せる。血で濡れた彼女と、体を密着させるとコートがより真っ赤になった。


「……愛歌、には、ね」


 真理愛の声が段々と小さくなっていく。


「連絡が、なかったら……後始末はお願いって……頼んで、るから」


「そう、か」


 どういう後始末かはわからない。 


 ただ、真理愛はこういう展開も予想していて、その手を打っていたんだ。おそらくは自分の死を隠匿し、大池の事件も私が犯人じゃないと収束させる方法だ。


 どんな犠牲を払いそうするのかはわからないが、 抜かりはないだろう。


「…………」


 そこからは二人とも、何も喋らなかった。星空の下、ただただ少しずつ呼吸が小さくなる彼女と抱き合っていた。


 あのことを、言わないといけなかった。ただ、最後の勇気がどうして踏み出せず、歯がゆい時間が続いた。


 真理愛が再び咽せて、血を吐き出した。顔を見ると、もう真っ白で、あと数分ももたないことは明白だった。


 真理愛も私を見て、そして目を細めて微笑んだ。


「……真理愛」


 さっきよりも強く、彼女を引き寄せる。


「な、に?」


 目の奥が、喉が、胸が、熱くなる。


 それでも、今のままさよならをしたくなくて、決死の思いでその言葉を続けた。


「月が、綺麗だ」


 ……ああ、やっと言えた。


 真理愛と友達のまま終わるのは嫌だった。だからせめて、これだけは言っておきたかった。


 少しの沈黙の後、真理愛が「うふ」と笑った。


「……死んでも、いい」


 本当に、それが最期の言葉だった。


 次の瞬間、彼女は自立できなくなって、全体重を私に預けてきた。


 弱々しい息の音もしない。ぎゅっと強く抱きしめても、何の返事もしない。


 とても軽く思える彼女を、冷たくなっていく彼女を、放すことができなくて私はずっとそのままでいた。

 三ヶ月前のあの日、真理愛はこう言っていた。


『ねえ挽歌、また友達になろう。ううん、違う。それ以上。ねえ』


 私たちは友達には戻れなかったが、その言葉通りになったのかもしれない。


 私はあの五文字のパスワードを思い出し、また彼女を強く抱きしめた。



“LOVER”

これにて解決編はおしまいです。真理愛と挽歌も、ようやく決着をつけることができました。


次回で最終話。広げた風呂敷を畳ませていただきます。


最後の1話、どうぞお付き合いください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ