そして夜は甦る
「公僕、私にかかっている容疑は大池のだけか」
「……もちろん、聖さんの件も怪しいですが、あちらは色々と証拠がたりていませんからね。できれば、そちらのお話も聞かせて欲しいです」
彼がまた一歩進む。こちらを警戒してか、腰に備えている拳銃に手をかけた姿勢で。
迷っている時間はないようだ。
「真理愛の首はまだ見つからないのか」
「それを知ってそうな人があなたなんですよね」
「そうだな」
私の答えに公僕が足を止めて、驚いた表情で私を見つめた。
「……自白ですか」
「まさか。言っただろう、私が殺すならあんなものじゃすまない」
ポケットに手を入れて、いつものバタフライナイフを掴んだ。
――賭けだ。負ければ、おしまい。
今のところ、真理愛の件で公僕の気をひけた。私が何かを語り出すのを向こうは待っていて、警戒心をむき出しにしたまま私を見ている。
真理愛の首の在処は知らない。なにせ、そんなものないから。だから、彼らが的外れな捜査をしていることは知っていて、変な余裕はあった。
「お前らは勘違いしているんだ。だから、こんな馬鹿みたいなことになる」
ポケットの中でぎゅぅっとバタフライナイフを力強く握って、頭の中で次にとる行動のイメージをする。
うまくいく可能性は少ないが、これしかない。
「そうですか。ではそれを、ゆっくりお聞かせください」
「――断る。自分たちで考えろ」
精一杯の力で握ったバタフライナイフを、振り子のようにしてポケットから出して、柄の部分を後方の窓に思いっきりぶつけた。
窓がひび割れる音が想像していたよりも大きくてビックリしたが、蜘蛛の巣状のひびが目に入った瞬間、私はその中心を肘で突き破った。
バリンッとさっきよりも大きな音が鳴り、盛大に割れた窓ガラスが地上へと落ちていった。
状況を理解した公僕が一気に駆けだすのを横目に、私は頭をかばいながら割れた窓ガラスに身をつっこんだ。
公僕が私の服を掴もうとするが、あと少しのところで届かず、手が空を掴んだ。
私はほんの一瞬の浮遊感に酔いそうになりながらも、なんとか上手くいったことにほくそ笑み、そのままバス停の屋根に着地した。
バンッという屋根が割れそうなほどの音がしたが、耐えてくれたみたいだ。足に凄まじい衝撃が走って、痛みのせいで変な呻き声をあげてしまうが、安い代償だろう。
こんな怪我さえしてなければもっとうまくできた。だから、今はこれが精一杯。
屋根の上で立ち上がり、窓から身を乗り出して「信じられられない」という目をしている公僕を見上げる。
「公僕っ! 私じゃないっ! もっとちゃんと捜査しろっ!」
そう叫んでから屋根から飛び降り、ちょうど信号で停まっていた車たちの隙間を縫いながら車道を駆けていく。
「傷魅さんっ! おいっ! 止まれよっ! くそがっ!」
いつもの口調を忘れた公僕の怒声を浴びながら私は走った。
なんとか状況は脱したが、この先どうすればいいかわからないのは、変わらなかった。
2
冬の夜は体の芯から冷やしてきた。
あの逃亡劇から数時間経ち、私は池袋から離れて今はどこかもわからない住宅地の中を歩いていた。
途中、コンビニに寄り、なんとか水分と食料は補給したが、それで持ち金が尽きた。
この状況じゃ捕まるのは時間の問題だった。そもそもこの夜さえ、どうやって過ごせばいいのか。眠ってしまえば、見つかった瞬間に抵抗もできない。
警察が私と大池の写真を本物と考えている以上、私の危機は変わらない。
「あの……無能ども」
あの写真が何かはわからない。ただ、私じゃない。そんなはずがない。
どうして警察はそれをわからない。そんなことだから、真理愛の事件だってずっと解決していなかった。
あいつらがちゃんと捜査しておけば、あの死体が真理愛本人じゃないことだってわかりそうなものじゃないか。
そんな文句を心の中で吐き出しながら、寝静まった住宅街の中を歩いて行く。警戒心は解いてなくて、時折振り向いたり、耳をすませたりして周囲に警官がいないか確認しながら。
神経がすり減っていて、喧嘩屋たちにやられた後みたいに、時々景色がぼやけたが、自分で頰を叩くことで耐えた。
パスワードだ。あのメールのパスワードだけが、今、この状況を打破できそうな手がかりなのに、ちっとも浮かばない。
前髪をかきむしって、イライラをぶつける。くそっ、どうしたらいいっ!
またパスワードを打ち込んでみようと携帯を取り出したところで、急にそれが震えだし、みっともなく「わっ」と小声で驚いてしまった。
表示されているのは知らない番号。この電話には千香と飯塚からしか連絡がきたことがなかった。
まさか真理愛かと思いながら、応答のボタンをプッシュした。
「……もしもし」
『ああ、挽歌ちゃん、元気にしてるかい?』
聞こえてきた優しい声が、予想外すぎて目を丸くしてしまう。
「……ば、婆さん?」
『携帯の番号、聞いててよかったよ。やっぱり、いつでも話せるっていいねえ』
そんな脳天気な感想に頭が追いつかない。なんで婆さんから連絡がはいる? 確かに番号は教えたが。
『警察の人の監視が厳しくてね、病院で知り合った人に携帯をこっそり借りて、やっとかけられたんだよ。待たせてごめんねぇ、心細かっただろう?』
状況についていけない私に婆さんが丁寧に説明してくれた。ただ、それでも混乱は収まらない。
「け、警察は……」
『うん? ずっと病室の前にいたけど、今はちょっと外してるみたいだね』
「そうじゃないっ。警察は、わ、私を……」
自分でも何を言いたいのかわからなくなった。警察は私が殺人犯だと言ったのかと確認したところで、そうだから婆さんに監視がついているに決まっている。
『挽歌ちゃんが同級生の子を殺したって聞いたよ』
恐ろしいことをあっさりと、しかもいつもと変わらない調子で言うので、言葉に詰まった。
ああ、なんて詫びたらいいだろう……。わかっていた。この人に迷惑をかけていることを。考えないようにしていた。逃げていた。
でも、こうして声を聞くと、嫌でも向き合うしかない。
ただでさえ迷惑ばかりかけてきたのに、殺人容疑なんてかけられて、今は逃亡中なんて、こんな私を育ててくれようとしてくれたこの人になんて詫びたらいい。
「……すまない」
そんなのじゃ足りないとわかっていても、それしか言えなかった。
『何を謝ってるんだい? 挽歌ちゃんじゃないんだろう、あれは』
「……え」
『お婆ちゃんを舐めちゃ駄目だよ、挽歌ちゃん。可愛い孫の顔を、見間違うもんですか』
誇らしげに「ふふん」と鼻を鳴らすのを聞くと、自然と腕組みをしている婆さんが想像できた。
『あれは挽歌ちゃんじゃない。なにより挽歌ちゃんは、罪から逃げるような子じゃない。お婆ちゃん、よく知ってるよ』
想定していない言葉の数々に、喉の奥が熱くなる。だが、そんな場合じゃなかった。
「信じて、くれるのか」
『孫を信じないお婆ちゃんなんていないよ? きっと、あの人だった挽歌ちゃんを信じてるさ』
爺さんの顔が勝手に脳裏に浮かび上がる。変に頑固なところがあったが、柔軟性もあった老人。
私にバタフライナイフをくれたのは、爺さんだった。
――いざという時、これで身を守れ。老いぼれの俺には無理だから。
爺さんは本当に申し訳なそうにそう言って、あれを渡してきた。そして今日、あれがなかれば捕まっていただろう。
「……ありがと」
珍しく、素直にそう言えた。すると婆さんは、こっちの気も知らないで「似合わないねー」なんて笑った。
『挽歌ちゃん、でも逃げてるだけじゃ駄目だよ? お婆ちゃんは何もできないんだ。だから、乗り越えて……帰ってきておくれ』
「……わかった」
さっきまでどうすればいいかわからないと頭を抱えていたくせに、無責任にそう返事をした。
『前に言ってた捜し物の話、覚えてるかい?』
「ああ」
『きっと、そのことでこんなことになってるんだろう?』
本当に何でもお見通しだなと思いながら、また「ああ」と返答した。
『じゃあ挽歌ちゃん、お婆ちゃんが何が一番大切って言ったか、覚えてるかい?』
その助言を基に行動していたのだから、忘れているはずがなかった。
「記憶力、だろ」
『そう。挽歌ちゃん、ちゃんと思い出すんだよ。捜し物なら答えはもう持ってるはずだから』
真理愛みたいなことを言う。思い出すって、何をだ。
『あ、警察の人が戻ってきたみたいだね。じゃあ、挽歌ちゃん……約束だよ。帰っておいで』
私は一瞬押し黙ってしまったが、拳を握って声を振り絞った。
「わかった」
『じゃあね、頑張るんだよ』
「ああ……婆さん、最後に一つだけ」
嫌になるほど冷たい外気を吸い込んで、いつもと同じ文句を口にした。
「ちゃんづけはやめてくれ」
完全な強がりだった。ただ、自分を奮い立たせるものが、婆さんを少しでも安心させるものそれくらしかがなかった。
婆さんは返事をせずに笑ったあと、通話が切った。
携帯を見つめながら、溢れそうになる感情を胸の中に押し込んだ。今度会ったら、ちゃんと目を見て礼を言おう。そう決めて。
放しながら歩いていたので、知らない間に住宅地を抜け、目の前には踏切があった。深夜だから明かりはついていない。
その前で立ち止まり、目を閉じて、婆さんの言うとおりにする。
思い出せ、ちゃんと。今まで、何があったか。真理愛とどういう話をしたかを。今まで彼女とどう過ごしてきたかを。
きっと、絶対に、そこに答えはある。
…………。
――――。
「……ああ」
思いついた答えに、小さく身震いをした。ただ、もはや答えはこれしかなくて、真理愛が伝えたいことが瞬時に理解できた。いや、できてしまった。
思いついたパスワードを入力すると、ロックはあっさりと解除されて、真理愛からのメールが表示された。
写真だった。本文はなく、一枚の写真だけ添付されている。
星空の写真が液晶画面いっぱいに表示されている。
『ねえ挽歌、今日は晴れだよ。いい天気だって』
今朝、真理愛が電話で言っていた言葉の意味をようやく理解した。
時間は深夜二時。私は大きく息を吸い込んでから、走り出した。
3
山道の途中で膝に手をつき、ハァハァと息を整える。ここまで急いで来たが、元々疲れていたのもあってさっきからこういう休憩を何度かしていた。
ただ、それでも着実にあの丘へと向かっている。また足を動かし、寒くて暗い夜道を小走りで進む。急いでいるのに、思ってるよりスピードが出なくて、イライラする。
そんな感情を抱えながら、あの日と同じくらい寒くて、ただあの日と違って、誰も手を繋いでくれない山道を進んでいく。
そして、その場所に辿りついた。
相変わらず一切の邪魔が入らない空に、無数の星たちがが宝石のように輝いている。いつもなら目を奪われる絶景も、今日だけは違った。
そこに先客がいた。ここでずっと私を待っていた彼女が。
「……来たぞ」
星空を見上げて、背中を向けていた彼女にそう声をかけると、彼女は「うふ」と笑った。
「遅かったね。でも、あのパスワードを解いてくれたんだね。嬉しいな」
彼女が振り向く。三ヶ月ぶりに会うのに、ちっとも久しぶりという感じはなかった。
「会いたかったよ、挽歌」
満点の星空の下で、真理愛は本当に幸せそうに笑った。
第1話以来のラスボスの登場です。
来週からは解決編。散りばめた伏線を回収して、物語を終えます。
次回更新が月曜日が祝日のため、火曜日になります。
来週金曜日完結。あと少しお付き合いください。




