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ブラック・マリア  作者: 夢見 絵空
第四章【悪の教典:悪の凶展】
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Sweet Devil


 あれは高校二年の冬のことだった。


『挽歌、また喧嘩したの?』


 ある日、絆創膏を頰に貼って登校した私に真理愛が珍しく「おはよう」も言わず、そう訊いてきた。


『喧嘩じゃない。相手が絡んできたから払っただけだ』


『挽歌がそう言うならそれでいいけど……』


 真理愛は私をまじまじと見つめてきて、照れくさくなったので顔をそらした。


 何人かの生徒がこちらを見てきたから、真理愛にもうやめてくれと言ったのに、彼女は退かずに、なぜか少し不機嫌になったようで、頰を膨らませた。


『……来て』


 まだ鞄を置いてもいなかった私の手を引いて、彼女は教室から出てしまう。


『お、おい』


 引っ張られながら廊下を歩いていると、真理愛のせいでかなり眼をひいた。多くの生徒が彼女に挨拶をするが、彼女はいつもと違って、一切それに返事をしなかった。


 私もどれだけ声をかけても返答をくれないので、黙るしかなかった。


 そしてそのままの調子で保健室に連れてこられた。なぜかそのときに限って、保険医はいなくて無人だった。


 真理愛は私をベッドに座らせると、自分も隣に座って、急に両手で私の頰をはさんで、私の顔をのぞき込んできた。


 キスでもできそうなほど近づいた彼女の顔にドキッとしてしまっている間抜けな私が、その瞳の中に映っていた。


 あまりに唐突なことに、心臓が止まりそうになる。


『お、おい』


『――やっぱり、瞼が腫れてる。それにちょっと切れてる』


 彼女は私の右目の方をじっと見ながら、そう言い切った。


『ちゃんとお医者さんにみてもらった? 知り合いにいるんでしょう?』


『あれは知り合いじゃない。ただの近所付き合いだ。だいたい、これくらいの怪我ならほっといても治る』


 確かにあの世話好きの医者に診察してもらえば、ちゃんとした治療はしただろうが、そんなことを全く望んでいなかった。


 ただ真理愛はそのことに納得できないようで、また頰を膨らませた。


『挽歌、ちょっとは自分を大事にして』


『……無茶言うな』


 何度か、いや何度も、色んな人から言われてきた言葉だ。


 ただ、そんな考えを全くできない。そういう概念がない。それをするにはどうしたらいいか、検討もつかない。


 真理愛は立ち上がって、保険医の机の上から消毒液とティッシュ箱を取ると、また私の横に座った。


 頼んでもいないのに、消毒液で濡らしたティッシュを怪我にあててくる。消毒液が染みて、思わずぎゅっと眼を瞑った。


『ごめんね』


 そう言いながら、真理愛は優しく傷口を何度かティッシュで優しく叩く。


『……世話好きだな、お前は』


『お世話じゃなくて、挽歌が好きなんだよ』


 もう何度も聞いた言葉だが、顔と顔の距離が近いせいでいつもみたいに適当な返事をすることもできなかった。


 治療を終えると今度は自分のポケットから絆創膏を取り出し、それを傷口に貼り付けた。ピンク色で趣味じゃなかったが、そんなことを言える雰囲気じゃなかった。


 しかもそれを目の上に貼られたので違和感もあったが、やはり文句を言うのはやめた。


 真理愛はそれを終えると、突然、私に抱きついてきた。


 いきなりのことで頭がついていかず、ただただビックリして声も出せない。彼女に押し倒される形でベッドに倒れ込んでしまった。


『挽歌……もう、駄目だよ。自分を大事にして』


 真理愛は私の胸に顔をうずめているので、表情は見えないが、その声は悲痛だった。


『ま、真理愛』


『挽歌、お願い……』


 今までにもこういうことを言われたことはあった。私が喧嘩で怪我すると真理愛は必ず言ってくる。


 でも、今日は何か様子がおかしい。


『……真理愛、何かあったのか』


『……私ね、友達いっぱいいるよ』


 それは知っていた。彼女の顔の広さは私が把握できるものじゃなかった。


『ごめんね……ご両親のこと、知っちゃった』


『なっ』


 衝撃のあまり起き上がろうとするが、真理愛が私を押さえ込んでいて、そんなこともできない。


 一気に冷や汗が吹き出てきた。ずっと過去のことは伏せて暮らしていた。変な勘ぐりをする奴が多いから。


 でも、真理愛にだけは、そういう理由じゃなく、ただ単純に知られたくなかった。


 どこの誰だか知らないが、余計なことをしてくれたと殺したくなる。


『……軽蔑したか?』


 率直にそう訊いた。両親を死に追いやった自分を、どう思うかを。


 真理愛が勢いよくうずめていた顔を上げた。眼が真っ赤になっていて、瞼に涙があふれている。


『そんなわけないっ』


 全くらしくない大声で全力で否定してきた。


『挽歌がどんな人でも、私はそんなことしないよっ』


『……それはそれでどうかと思うけどな』


 おどけて言ってみせたが、彼女は本気だったようで首を左右にぶんぶんと振る。黒い髪が、その光沢とともにカーテンみたいになびいた。


『……挽歌はまだにそのことを気にしてるんでしょ』


『違う。あんなことはもう忘れるようにしている』


 嘘じゃなかった。両親のことは忘れようとしている。自分にはそんなもの最初からいなかったんだと。


 ただ、ずっと、もう十年くらい、それができていないだけだ。


 真理愛がもぞもぞと動きだし、私の首に手を巻き付けて、頰に頰を擦り当ててきた。


 彼女の体温が直に伝わってきて、心臓が跳ね上がりそうになる。


『大丈夫――無理、しないで』


 真理愛が甘い声で耳元で囁く。彼女の香りが体の中に入ってきて、ぼんやりとしてしまう。


『挽歌はさ、強いようで弱いんだよ。ずっとご両親のことを気にして、自分がどんなひどい目にあっても、それを天罰だって思ってる』


『そんなことは』


『でもね、挽歌……それで許されようとしてない?』


 思わぬ言葉に、だけどどこか見覚えのあることに、今度は心臓が止まりそうになる。


『傷つくことで、不幸になることで、裁かれた気になってない?』


 否定しようと口を開けるが、何も出てこない。間抜けに口を半開きにさせて終わってしまう。


 そんな私を無視して、真理愛は甘い声で続ける。


『自分を大切にできないのは、傷つくことが目的だからじゃない? 他の誰にも自分を責められないようにしてるんじゃない?』 


『……違う』


『自分はこんなに傷ついてるんだから、こんなに不幸なんだから、責めるなよって威嚇してるんじゃない?』


『違うっ』


 そうだ、違う。そんなわけじゃない。私はあの二人のことなんて、もう気にしていない。


 ましてやそれを責められたところで、なんとも思わない。


 狂ったように「違う、違う」と必死で繰り返して否定した。


 それなのに真理愛は「うふ」と笑った。


『挽歌……可愛い』


 彼女が頰をさらさらと擦り当ててくる。彼女の肌はとても柔らかくて、温かくて、怒りが一気に静まって、頭の中が彼女に染まっていく。


 一気に昇天しそうな気分に陥った。


『大丈夫、大丈夫だよ』


 真理愛の甘い声が、その生暖かい息が、耳に吹き付けられる。


『怖がらないで……。私は挽歌の味方だから』


 彼女がさっきよりも強く私を抱きしめる。そしてまた「うふ」と笑った。


『例え挽歌が人殺しで、世界中が挽歌の敵になっても……』


 彼女は頰を擦り当てるのををやめて、顔をあげて、私を見下ろしてきた。


 黒い髪が天蓋みたいになって、私の視界を遮り、真理愛しか見えなくする。


 そして彼女はとびきりの笑顔で言った。


『私が挽歌を肯定してあげる』

全体的に見てもかなり気合を入れて書いたパートです。

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