I'm sorry, mama.
本当に死んだかどうかわからない人間の仏壇に手を合わせると、ひどく背徳的な気分になった。
それでも真理愛の友人として招かれた身としては、まずはこれをしないわけにはないかない。
合掌を終えて、眼を開けると供え物の花と果物に囲まれた真理愛の遺影が正面にあった。彼女はそこで本当に幸せそうに笑っていた。
「その写真は、去年の修学旅行で撮った集合写真のよ。覚えてない?」
「ああ、そういえば」
なんとなく見覚えがあったのはそのせいか。
修学旅行の行き先は北海道。ばかみたいに寒かったことを覚えている。そういえば、その四日間はほとんど真理愛と過ごした。
感傷的になりそうになるのをやめて体の向きをかえ、正座したままの理恵さんと向き合う。
理恵さん。真理愛の「理」は彼女の名前からとったもの。父親が真さん。そして二人の間に生まれた子供に、二人の愛情を注ぐという意味で「真理愛」と名付けた。
そんな話を真理愛から聞かされたことがある。
名前だけの話を聞くなら、羨ましい限りだ。私は両親がなぜ私に「挽歌」と名付けたのか知らないし、もう、知ることもできない。
「急に邪魔をして悪かった」
「いえ、別にそれは大丈夫だけど……あなたに来てもらえるなんて、思ってなかったから。驚いたわ……」
理恵さんはおどおどとしていた。
「真理愛、あなたにも何かしたって聞いてるから……。あの、私、どうしたらいいか……」
「ああ……」
なるほど、警察から真理愛が私に対して何かしていたことは聞いてるらしい。
「気休めは言えないが、別に理恵さんが気にすることじゃない」
真理愛がああいう行動にでたことについて、理恵さんになんの責任もない。あれはどこまでいっても、私と真理愛の問題だ。
それなのに、理恵さんは首を左右に振った。
「そういうわけにはいかないわ……。私、あの子の母親だから」
「あのな、理恵さんに責任を感じてもらったところで、私は何も思わない。悪いが、そういうのはよしてくれ」
別に彼女を気遣ったわけではなく、本心からそう言った。罪悪感なんて抱かれても、こっちには何もない。ましてや本人ではない人間なら余計だ。
理恵さんは首をがくっと落として、か細い声で「ごめんなさい……」と謝ってきた。そういうのも、いらないのに。
「それに聞いてるだろ。私は警察から疑われてる。もしかしたら私が犯人かもしれないのに、そんなことをしなくていい」
「傷魅さんじゃないわ。警察はあなたと真理愛の関係を調べていたけど、的外れだって言ったのよ……」
意外な言葉だった。まさかそんなことを、被害者の母親から進言されているとは思ってもなかった。
「どうして」
「わかるわよ……あなたたち二人は、なんて言ったらいいのかしら、仲が良かったというよりも、繋がっていたから」
「繋がっていた?」
「真理愛は昔からね、友達は多かったの。家に招き入れた子だって、数え切れない……でもね、あなたに対する態度だけは、本当に特別だったわ」
「…………」
「あのね、こんなことを言うと気持ち悪いと思うかもしれないけど、真理愛はあなたが好きだったわよ。人としてとか、友達としてとかじゃない。本当に」
それは当人から何度も言われているから知っている。もう耳にたこができるくらい、あいつの告白は受けている。真剣に受け取ったことなんてないが。
「あいつが私を好きでも、私があいつを殺さない理由にはならないだろ」
理恵さんは少し言いづらそうにした後、まっすぐと私を見つめ、どこか哀れむような視線を向けてきた。
「あなたは、それを拒んでいなかったでしょ」
――否定をしたかった。全力で、力尽くで。死に物狂いで。
膝の上の拳をぎゅっと握りしめると、あまりにも力が入りすぎて掌の爪が食い込んで血が出てきた。
違う。そう言えれば、どれだけ良かっただろう。でも、どうしても、それを口に出すことができなかった。
この場所じゃなければ、正面に理恵さんがいなければ、そして何より後ろに真理愛の遺影がなければ、嘘をつけたはずだ。ただ、今はそれすらできなかった。
黙って立ち上がり、ぶっきらぼうにここに来た目的を伝えた。
「真理愛の部屋を見せて欲しい」
理恵さんはそんな不遜な態度に何も言わず、どうぞとだけ答えてくれた。
部屋の場所は知っていたので、逃げるようにリビングから出ていった。
真理愛の部屋に入るのは数ヶ月ぶりだったが、不思議とまだ彼女の香りが残っていた。あの酔いそうになるほどの甘い香り。それが少しだけする。
女子高生の娘に与えるには、どう考えても広すぎる部屋。婆さんが入院している個室が三つは入るだろう広さは、部屋の主がいないとただただ空しい。
ダブルサイズのベッドの端に座って部屋を見渡す。勉強机には三つほど写真立てがあり、うち一つは家族で撮ったもの、もう一つがさっきの集合写真。そして最後の一つが私と写ったもの。
立ちあがって、その写真を手に取った。修学旅行で撮ったものだ。無愛想な私と、その腕に抱きつきながらピースをしている真理愛。クラスメイトに撮ってもらったのを覚えている。
写真を元の場所に戻し、ため息をついた。あのままの関係でいるのが良かったんだろうか。
いや、やめよう。この問いは答えが出せない。ただただ、頭を抱えるだけだ。
部屋の壁には大きなポスターが貼られていた。星空のポスターだ。以前からずっとあるもので、彼女が好きだと言っていた冬の星空の写真だ。
この部屋は女子らしくピンク色の装飾が目立ち、正直あまり好きじゃない。それでも、とても真理愛らしい部屋で、彼女が確かにここにいたんだと感じさせる。
最初にここに招かれたのは一年生の夏だった。そう、確か期末試験の前。真理愛が「一緒に勉強しよう」としつこく誘ってきて、半ば強引に連れてこられた。
そういえばそのときに初めて理恵さんにも会った。私と髪と眼の色を見て驚いていたが、すぐに「綺麗な色ね」と言ってくれたので、親子だなと思ったものだ。
……ああ、そのときに真理愛に泣かれたのを思い出した。
確か、一緒に数学の問題を解いているときだった。会話の流れで高校を卒業したらどうするのかという話になって、私は大学には行かないと言い切った。
すると、真理愛がぼろぼろと泣き出した。あまりに突然のことで、私は持っていたシャーペンを落として、動揺を隠せなかった。
『やだ……私、挽歌と一緒にいたいよ』
鼻をすすりながらそう泣く真理愛を必死に慰めた。彼女曰く、一緒の大学に行きたかったらしい。勉強会もそのためのものだったらしい。
ただ、彼女には悪かったが、私は結局意思を変えなかった。爺さんも婆さんも私が大学に行きたいと言えば、喜んで学費を出してくれただろうが、とにかく早く社会に出たかったんだ。
その後、真理愛は拗ねて、話しかけても「つーん」と口で言って、取り合ってくれなかった。
それを見て、私は困りながらも笑った。そんな私を見て、真理愛も吹き出した。
……ああ、そうだ。きっと、そうだ。
理恵さんの言うとおりなんだ。
犯罪加害者の身内とは、悲惨なもんですからね。




