きみにしか聞こえない
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その小屋の天井には、何もなかった。
灯をともすための電球や蛍光灯も、虫除けの防虫剤もない。天井だけじゃない、そもそもここには何もない。
山中の山小屋。元々は地元の建設業者が物置にしようしていたプレハブ。業者が倒産し、価値を無くした建物。
そんな小屋の中、私はコートに手をいれたまま、寝転がっていた。
「お前には似合わない場所だ」
そんな言葉が思わず口に出てしまう。
真理愛が三ヶ月前にここで見つかった。バラバラとなって。テレビに出ていた専門家曰く「極めて残忍で人間的ではない」殺害方法。
体を何十個という肉塊にされていたという。しかも、調べてみると、バラバラにされる前には何度も刺されていたという。
それを想像して、私は鼻で笑った。
「自業自得だな、真理愛」
そこまでされるなんてただごとじゃない。もはや「怨み」という言葉では優しい。
それでもきっと……犯人にはそれだけしても、したりないものがあったに違いなく、私はなんとなく、それを理解してやれた。
眼をつむり、神経を集中させる。ここに放置されたバカな女のことを考える。
『助けてくれてもいいよ』
あの突然の来訪後、彼女は誰かに殺された。ある意味で有言実行。
誰が。なんで。そんなことどうでもいい。誰が、なんてことを調べるのは私のやることじゃない。
なんで、なんて考える必要も無い。あの女が生前にどれだけの人間に恨まれていたかなんて、もはや想像を絶するものだ。
こつこつという足音が聞こえた。ゆっくりとこの小屋に近づいてきている。眼を開けて、ドアの方に首を向けた。
ぎぃぃという歪な音でドアが開くと、白いトレンチコードにスーツ姿の若い男が含み笑いで立っていた。
「またいらしたんですか、傷魅さん」
まだ若い。そうはいっても年上だが、三〇代というのが嘘に思えるほどの若さを感じる男。
綺麗に七三分けされた黒髪に、むだに綺麗に肌。少し高い鼻に、狐みたいな細い眼で弧を描いている。名前は確か……安永。
「ここは立ち入り禁止ですよ」
彼は灰色のスーツについた汚れをはたいた後、律儀に黒い革靴を脱いで小屋に入ってきた。
「立て札、見えませんでしたか?」
「見えなかったな。何かあったが、目障りだから蹴飛ばした」
彼はその言葉に首を左右に振って、やだやだと嘆いた。
「暴力的で、職業柄見てられません」
「お前たちの職業は、そういうものを見続けるものだぞ、公僕」
「その呼ばれ方、あまり好きではないのですよ」
「私はお前たちの存在そのものが、嫌いだがな」
ゆっくりと立ち上がり、その男と向き合い、最初に会ったときから変わらない含み笑いを見つめる。
「今日は何の用だ」
「用もなにも、現場に女の子が入っていったって通報があったんで、駆けつけたんですよ」
「そうか。なら、その女の子とやら探しに行け。私はもう帰る」
男の横を通り過ぎて、出て行こうとしたときに腕を掴まれて止められた。
「どうした、欲情でもしたか。悪いが別の女で済ませろ」
「まさか。十七歳は守備範囲外です。聞いておきたいことがありましてね」
「ここ三ヶ月、ずっと質問ばかりしているが、真理愛を殺してくれた奴はいつ見つけるんだ?」
その言葉に、あまり表情を変えない男が眉をぴくりと動かしたのを見て、思わず小さく笑ってしまう。
「公僕、悔しかったら犯人を捕まえろ。私はそいつに礼をする必要がある」
「言っておきますが、あなただってまだ容疑者ですよ、傷魅挽歌さん」
当たり前のようなことを言ってくるので、本心から答えておいた。
「私が真理愛を殺すなら、もっと残忍にしてやる」
バラバラ? そんなものじゃ生ぬるい。もっとひどい方法で殺してやるだろう。そうしたって、きっと足りない。
そう言い切ると、彼は手を放して呆れた顔になった。
「いつまでたってもそんなことを言うから、まだ容疑者なんですよ」
それが何かの諫めになると思っているあたりが、この男の駄目なところだと思う。どうでもいいが。
「帰りたいんだが」
「昨日、聖さんが生前に取引をしていた指定暴力団の組員が、別件であげられました」
意外な言葉に進めようとしていた足を止めてしまう。
真理愛が取引をしていた犯罪者など腐るほどいるはずだが、具体的にそういう情報をこの男が言うのは初めてだ。なにか、意味がある。
「……それで」
「そいつにはアリバイがあったので犯人ではありませんが、こう供述しました。……生前、聖さんに『近々、私を探しに髪の赤い子が来るはずだから、よろしく』と言われたと」
思わず言葉を失う。全身の血液が体中を駆け巡り、足下に妙な浮遊感を覚えた。
「その時はなんのことかわからなかったらしいです。それ以上聞いても答えてもらえなかったと。ただ、意味不明な言葉だったから覚えていたそうです」
彼は私の髪を指さして、とても嫌らしい笑みを浮かべた。
「傷魅さん、あなたですよね」
「……まあ、そうだろうな」
髪の赤い奴なんてそうはいない。少なくとも、自分と同じ髪の色の人間と会ったことなんてないし、きっとそれは真理愛も同じだろう。
「本当にあなたは、事件と無関係なんですか」
「しつこいぞ公僕が。あいつは確かに殺される三日前に店に来た。しかし、それ以外はなにもない」
「その時、何か言ってなかったんですか」
「何度言わせればいい。すぐに出て行かせた。それだけだ。会話などろくにしていない」
あの異様なやりとりについて話す気はない。警察が知ったところで、有益には活かせないだろう。話すだけ無駄だ。
「調べれば調べるほど、聖さんはあなたを特別扱いとわかります」
「あれが私をどう思っていたかなんて、考えたくもない」
今度こそ足を進めて、別れの挨拶もしないまま、小屋から出た。
秋風が吹き付けてくるので、モッズコートの前をしめて、ストレスから逃れるためにタバコをくわえた。
『ねえ挽歌、私が死んだら泣いてくれる?』
私がまだ高校に通っていた頃、真理愛に質問されたことを思い出した。なんと答えたか覚えていない。
しかし、今の答えははっきりいている。私は笑った。ニュースで彼女の死を知った時、心から笑ってやった。
お似合いだ。本当にそう思った。
ふうぅっと煙を吐き出す。最悪だ、ちっともうまくない。
店に戻り、いつものようにレジカウンターに座った。時間は夜の八時。あそこで長居しすぎたようだ。
この時間ならもう客が来ることはない。常連の酒飲みたちは、もう家で晩酌をしている時間だ。
閉店時間ではないが、私もそうしよう。レジカウンターの下に隠してあるカップを取り出し、近くにあった商品を適当にとった。
「シラーズか。ま、悪くないな」
オーストラリアの赤ワイン。強い渋みと辛みがあるのが特徴。
カップに適量をいれて、口に運ぼうとしたときに、店の電話が鳴った。バカにうるさいベル音が店内に響く。
舌打ちをして、電話のもとへいく。こんな時間に電話があるのは珍しい。そもそも、こんな町の小さな酒屋に問い合わせなんて、ほとんどないのだが。
九十年代半ばに買ったという電話を、苛々しながらとった。
「はいもしもし」
店の名前も名乗らず電話に出るが、しばらくは何も聞こえてこなかった。
「おい」
そう呼びかけても何もない。悪戯か間違い電話かだろうと思い、受話器を置こうとしたときだった。
電話の向こうで「うふ」という聞き慣れた笑い声が聞こえた。
体が硬直してしまう。悪寒が、嫌な予感が、全身を駆け巡る。
頭に彼女の顔がいくつも浮かんだ。
『ねえ挽歌、久しぶり』
三ヶ月ぶりに聞く真理愛の声は、電話口だというのにいつもと変わらず、甘ったいものだった。
夜に電話がかかってくると、誰であろうと怖いですよね。
携帯はまだいいんですが、家の電話が鳴るのは苦手です。