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ブラック・マリア  作者: 夢見 絵空
第三章【悪意:悪異】
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白い巨塔

第三章【悪意:悪異】



 翌日は千香からの電話に起こされた。


『喧嘩屋の二人、やっぱりあの男については何も知らないそうよ。嘘をつける余裕はなくして訊いたから、間違いないわ』 


 期待していなかったとはいえ、やはり少しは落胆した。彼らの処分については『自警団』に任せていたので、とりあえず不機嫌に「わかった」とだけ答えて通話をきった。


 飯塚曰く「治療費を他より高く取るだけ」ということだから、大したことにはならないだろう。


 昨日はあの後、私は『自警団』とある取引を交わして、あのマンションから去った。


 私が要求したのは、あの男の捜索だった。飯塚は探すと言っていたが、どこまで本気かわからなかったので、正式な依頼としてそう願い出た。


 『自警団』の力を総動員して探してくれ、と言った。


 飯塚は迷っていたが、最終的には「わかった」と引き受けた。


 もちろん無条件じゃない。彼らが提示してきた条件は二つ。


 一つは情報の共有。真理愛の事件で何か手がかりを見つけたら、隠さずに共有すること。


 これは別に構わなかった。どのみち、裏社会のことは彼らの方が知っていて、困ったら頼らざるをえない。それに、最悪の場合は嘘をつけばいいだけだ。


 問題は二つ目にあった。


 私は通話を終えたばかりの携帯電話をまじまじと見つめる。飯塚曰く、最新機種らしい。背面にリンゴのロゴがある、ごく一般的なスマートフォン。


 二つ目の条件がこれを常備することだった。


『携帯、持ってないらしいね』


『首輪をつける趣味はない』


『なら、申し訳ないけど、その首輪をしてもらおうか』


 こんなやりとりがあった。拒否するわけにもいかなかったので、受け取ったのがこの携帯。


 彼らからすれば常に私の居場所を把握できるし、連絡ができて楽だという。監視されやすくなっているのだが仕方ないと割り切ることにした。


 しかし、今みたいに最新の情報が簡単に手に入れられるなら、そこまで悪いものでもないかもしれない。

 悪いものではないが、気持ち悪いものであることに変わりはないが。


 その携帯で確認すると、もう昼の二時だった。昨日の疲れのせいで、ずいぶんと眠ってしまっていたみたいだ。


 居間のソファから立ち上がると、服装が昨日と変わっていないことに気づいた。とんでもなく、疲れていたようだ。


 立ち上がってコードを脱ぎ、それをソファにかけてから、風呂場に向かった。


 脱衣所で全裸になり、ふと鏡で自分を見つめる。以前より痩せていた、昨日の火事のせいで、腕に火傷をしていた。顔のクマも目立っていた。


 全身が疲労を表していたのに、生まれたときからずっと赤いこの忌まわしい髪だけはいつもどおり、大したケアもしていないのに艶を保っていた。


 なんだかそれが呪いに思えて、ため息がでた。逃げる幸せでもあればいいのだが、生憎とそんな貯蓄もなかった。




 風呂からあがり、適当な服を着てからまたコートを羽織った。台所に行き、常備しているカロリーメイトを一箱だけ持って家を出た。


 食事に時間をとられるのが嫌で、大抵はカロリーメイトで済ませることが多い。


「……また買い込んでおかないとな」


 少し前に結構買い込んだのに、いつの間にかストックが少なくなっていた。食べた記憶ははっきりとないが、そもそも覚える気がないので当然だった。


 今日は真理愛のことを調べる気にもなれないし、本当に他にやることもないから、婆さんの見舞いに行こうと思った。別に飯塚に言われたからじゃない。


 道中に自販機で買ったコーヒーとカロリーメイトで食事を済まして、携帯で昨日の火事のことを調べた。


 警察は不審火があったこと、放火の可能性が高いことは掴んでいるようだった。また、ここによく誰かわからない連中が出入りしていたことも。


 しかし、進展があるのかないのか、それ以上のことはわからなかった。


 そんなことをしていれば、病院に着いた。


 昔から病院が嫌いだ。薬品の臭いに、いたるところが白いところ。そして何より、大抵の人間が暗い顔をしているのが理由だ。


 あの町医者くらいの小さな病院なら耐えられるが、婆さんが入院しているこの大学病院は無駄に大きく、一層そういうものを感じて、あまり来たくない。


 何度来ても憶えられない婆さんの部屋の場所を受付で教えてもらい、売店で好物のヤクルトを買ってから病室へ向かった。


 個室の部屋をノックして「婆さん、入るぞ」と声をかけて、ドアをあけた。


 ドアを開けた途端に、冷たい風が体に当たった。この冬だというのに、部屋の窓が半分ほど開けられている。


「婆さん」


 呆れながら窓を閉めて、ベッドの横に立った。


 ベッドでは半身を起こした今年で七十になる老女が、しみの目立つ両手で編み物をしていた。マフラーのようで、もう半分ほどできている。


「風邪をひきたいのか」


「挽歌ちゃんが全然お見舞いに来てくれないからねえ。風邪でもひけば来てくれるかと思っていたところだよ」


「その歳で風邪は死ぬぞ。爺さんのところに逝くにはまだ早い。それと、ちゃん付けをやめてくれ。何歳だと思っている」


 近くにあった丸いすに腰掛けて、買ってきたヤクルトを差し出すと、婆さんはにっこりと笑った。


「ありがとうね」


「体の調子はどうだ?」


「いつも通りさ。あ、いつもって挽歌ちゃんに言ってもわからないねえ。いつも来てくれないから」


 さっきからしつこい。唇を尖らせて拗ねるなんて、自分の年齢を自覚して欲しいものだ。


「悪かった。ただ、見舞客はいっぱいいただろ」


 この婆さんは馬鹿がつくほどのお人好しだ。そういう性格のおかげで、慕っている奴は山ほどいて、入院当時はそいつらが病院に押し寄せて、身内だからという理由で私が病院に怒られた。


「いいかい、挽歌ちゃん」


 婆さんは編み物をやめて、私の目を見た。


 出会った頃から少しも変わらない、眩しい瞳。瞬時に、何の話をされるのかわかって、頭が痛くなった。


「いっぱい来ればいいってものじゃない。ううん、多いか少ないかなんて関係ないの」


「……その話を聞くのは、もう何度目だ」


「挽歌ちゃんが何度も言わせるのよ」


「だから、ちゃん付けをやめてくれ」


「あのね、会いたい人に来て欲しいのよ。誰でもいいわけじゃないわ。孫娘に会いたいのよ」


 この人でなければ、こんな話をちゃんと聞かない。相手がこの婆さんでなければ、罵詈雑言を交えて否定している。


 ただ、この恩人にはそれができない。


 拾ってもらった恩を感じているからじゃない。それはもう返しきれるものじゃないと開き直っている。


 この人の人となりがそうさせる。反論をさせてくれない。本当にずるい。


「……わかった。来る頻度を増やす」


「前もそう言っていたけどねえ」


 婆さんはヤクルトをおいしそうに飲み干した後、また私の目を見て「で」と切り出した。


「何か、悩みがあるんじゃないかい?」


 何も話していないのに、どうしてそんなことがわかるのかは考えない。この人はこういう人だ。


 なぜかわからないが、私の心情を簡単に読んでくる。だから苦手だ。隠し事がしにくい。

本日から第三章となります。

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