天体観測
6
肌に刺さるような寒さに参ってしまい、今すぐにでも帰りたい気分になる。
「挽歌、早く早くっ」
私の少し先を歩く真理愛が、嬉しそうに手招きをしてくる。
「……真理愛、また今度にしよう」
私が心からそう提案すると、彼女は頰をリスみたいに膨らませた。
「何言ってるの、こんなに澄んで素敵な夜なのに」
私と真理愛は、郊外の山中にいた。あまり補整されていない凹凸のある道は足場が悪く、転びそうになる。
もう少し登ったところに天体観測にうってつけのスポットがあるらしいが、寒さでそんなことはどうでもよくなっていた。
そもそもその場所自体、市の観光ガイドには一応載っているものの、ほとんど誰も訪れないところで、期待すらできなくなっていた。
そんなやる気のない私に対して、真理愛は遠足の時の小学生のようなはしゃぎ方をしていた。
ユニクロで買ったという薄めのダウンジャケットに、私が選んでやったチェックの赤いマフラーを首に巻いたぐらいで、そこまで厚着でもないのにちっとも寒がっていない。
私に駆け寄ってきて、手袋もしていない手で、私の腕を掴んだ。
「ほら、あと少しだから」
「……さっきもそう言っていただろ」
「挽歌がさっきからそんなことしか言わないからでしょ」
真理愛は呆れながら、私を引っ張っていく。この細い体のどこにそんな力があるのかわからないほど強い力だった。
今日の放課後のことだ。真理愛と私はファーストフード店で無駄話をしていた。その時にふと、彼女が店の窓から外を見上げたことが始まりだ。
真理愛は突然立ち上がりこう言った。
『今夜、星を見に行こう!』
私はこういう寒さが苦手だったから、嫌だと即答した。
しかし、その後にそれこそ嫌と言うほど、色んな言葉で攻められ、最終的に頷いてしまった。
私を引っ張りながら真理愛が最近あった学校での話をするのを、軽く聞き流しながら前へと進んでいく。
彼女の手は手袋越しにもわかるくらいに暖かく、思わず強く握ってしまった。
「挽歌、ちょっと痛い」
「ああ、悪い」
「ううん、挽歌ならいいよ」
彼女は振り向いて、照れくさそうにそう笑った。さっきまでなかった頰の紅潮に目がいってしまい、足を止めてしまった。
すると、私を引っ張っていた真理愛はバランスを崩して「はわっ」と声をあげて転びそうになった。
まずいと思い、とっさに彼女に抱きつくように支えた。瞬間、心臓がバクンッと高鳴った。
「だ……大丈夫か」
私の胸に顔をうずめる真理愛にぎこちなく確認すると、ちょっと間をおいてから返事があった。
「……う、うん」
真理愛の返事もカタコトで、どうしていいかわからなくなる。お互いそんな感じで、しばらく抱き合った状態が続いた。
真理愛の体が温かくて、放したくないと思ったのは、この寒さのせいだろう。
真理愛がゆっくりと体制を立て直し、また私の腕を掴んで、前へと進む。言葉はないし、顔を見せない。
ただ、耳当てもしてないから、今度はその真っ赤になった耳が気になる。
私も何も言えず、ただ黙って彼女の後についていった。
冬の寒空の下、私たちは確かに二人きりだった。
五分ほど歩いたところで、ずっと無言だった真理愛が「わああ」と声を漏らした。
気づけば、丘の上に来ていた。そこは緑の茂みが広がっていて、私たちの街が一望できるほど高い場所で、ずいぶんと登ったんだなと、的外れな感想が最初に浮かんだ。
真理愛が私の腕を放して、きゃっきゃっと嬉しそうな声を上げながら、意味もなくその場で体を回転させた。
「今度は転ぶなよ」
「さっきのは挽歌のせいでしょー」
まさにその通りだったから「悪かった」と素直に謝ると、彼女は「うん、よろしい」と偉そうに許してくれた。
「それより挽歌、見て見て」
真理愛は人差し指をたてた右手を空へ向けて挙げた。言われたとおり空を見上げると、言葉を無くした。
何一つ視界を遮ることなく続く冬の澄んだ空に、何百という星が、ダイヤモンドのように輝いていた。地上はこんなにも暗いのに、この星空はある意味では昼間よりずっと明るかった。
星を綺麗だと思ったことなんてない。夜空なんてちゃんと見上げたことも、見上げようと思ったこともない。
ただ、今は、今夜は、そうしたい。
この無数の星たちを、目に焼き付けたい。
「……すごい」
小さな声で素直にそう言った。本当に、これ以上綺麗なものなんて、見たことがない。
ドサッという音が聞こえたので視線を地上に戻すと、真理愛が嬉しそうな表情のまま、仰向けに寝転がっていた。
「何をしてるんだ」
「星を見るには、こうするのが一番なんだよ。ほら、挽歌も」
真理愛が隣に来るようにと手招きをしてくるので、彼女の隣に寝転がった。
確かに彼女の言うとおりだった。視界の全てが星空に埋め尽くされて、まるでプラネタリウムにいるような感覚になる。
「綺麗で、宝石みたいでしょ? たまーにね、ここに来るの。私のお気に入り」
「……ああ、これはすごいな」
私がこういうことを素直に褒めるのは自覚できるほど珍しく、真理愛は「めずらしー」とからかってきた。
しかし、そんなのが気にならないくらい、私は星空に夢中になっていた。
「挽歌、私ね、奇跡だと思うんだ」
「……何がだ」
「この星空が。だって、星の輝きはもうずっと前のもので、何百年前のだってあるのに、それがさ、今こうして何百個も、この場所に届いてるんだよ?」
理科の授業で聞いたことのある内容だ。ただ、真理愛が言うと、確かにとんでもなく奇跡に思えてくる。
「それでいて」
真理愛は言葉の途中で、自然に私の手袋をはずした。手が突然外気に触れてビックリしてしまうが、すぐにその手を彼女が握ってきた。
さっきよりもずっと、彼女の体温を感じてしまう。
「私と挽歌の目の前に広がってるの。大好きな人と、この星空を見られるなんて、奇跡だよ」
「……ロマンチストだな」
「こんなこと、挽歌にしか言わないよ」
彼女はもう一方の手で、一際強く輝く星たちを指さしはじめた。
「あれがシリウス、プロキオン、ベテルギウス」
冬の大三角はこの星空の中でも特に輝きが強く、一目でそれだとわかるほどだった。
「夏の大三角のデネブ、アルタイル、ベガが有名だけど、私はこの冬の大三角も好き。好きって言っても、挽歌ほどじゃないけど」
真理愛はその後も私の手を握ったまま、星座の話をし続けた。時折星を指さしながら、彼女は本当に楽しそうにしていた。
私はそんな彼女の話を聞きながら、ぎゅぅっと彼女の手を握った。小さくて、柔らかくて、すごく温かい。
彼女も今度は「痛い」とは言わず、それどこか握り返してきた。
あまたの星を見ながら、罰当たりだが、一つだけでいいからそれが落ちてくれないかと思った。
流れ星に「今夜が終わらないように」と願いたかった。
すごく好きな曲のパロディを随所にいれました。
そしてサブタイトルは別のすごく好きな曲からいただきました。
そんな感じで第二章はおしまいです。




