Best Friend
住宅街の中にある小さな公園。入り口に大きく『ボール遊び禁止』という看板があったので、公園と呼ぶかは微妙だ。
遊具も小さなブランコと、滑り台のみ。そのくせ、無駄に広い砂場。怪我をする危険性が少ないことだけが取り柄の場所。
私は丸太をモチーフにデザインされたベンチに腰掛け、公僕は滑り台の上で立っていた。いい歳をした男が遊具の上にいるのは、滑稽という他ない。
要求通りに奢らせた缶コーヒーのプルタブを開けると、心地よい音と共に白い湯気が出てきた。
「何が聞きたいんだ」
コーヒーを一口飲んだ後、うんざりしながらもそう切り出した。
「まずは怪我の具合とか。何があったかとか」
「怪我はたいしたことない。何がって……どこまで掴んでるんだ、お前」
公僕も缶コーヒーを飲みながら、薄ら笑いを浮かべて、首を左右に振った。
「正直、何も。ただ、あなたの家の周りの方から、爆発音みたいなのが聞こえたと情報を得ただけなんです」
「……真理愛のことだけじゃなく、私のことまで嗅ぎ回っているのか」
「容疑者ですから」
それもそうかと納得してしまった。どこからどこまでを話すか考え、当たり前だが、素直にはならないという結論に至った。
「店に妙な爆発物が仕掛けられていた。ただそれだけだ」
「聖さんの事件とは無関係ですか」
「どうして死人が関係してくる。恨みなら他にもかってる、そいつらの嫌がらせだろう」
そうやって平然と誤魔化すと、公僕は「それもそうですね」と拍子抜けするくらいにすんなりと信じた。
こいつには公務員としての才能はあっても、刑事としてのそれはないようだ。
「どうして警察に言わないんですか」
「面倒だからな。それにあらぬ疑いをかけられるだけだ。怪我もたいしたことなかったしな」
私は頰のガーゼを指先でとんとんと叩きながら説明した。
実際、今だって真理愛の件は誤魔化せたものの、もし通報なんてしていたら警察が容疑者である私の周囲を徹底的に調べあげる口実を与えるだけだ。
情報を掴んだのが、この才能のない刑事で助かった。
「そりゃそうですが……まあ、いいです。この件は保留にしましょう」
爆発事件を保留する権限があるとは、最近の公務員はとんでもない。
「それで、その件にかこつけて、真理愛の何が聞きたい」
「聖さんのことじゃなく、あなたと聖さんについてお伺いしたいわけですよ」
公僕は身を屈めながら、滑り台をなめらかに滑走し、無駄にきれいに着地した。
「どの人に聞いてもわからない。学校中の誰もが、あなたと聖さんは特別に仲が良かったと証言した。でも、あなたが退学した理由を聞くと、みんな黙ってしまう。せいぜい聞き出せたのは、ある日突然、聖さんからあなたを攻撃しろと命じられたとだけ」
「なら、それが正解だろう」
私も真理愛が具体的にどのように周囲の人間を動かしたのか知らない。どれくらいの人間を動かしたかは知っている。いや、思い知っている。
全ての起因となった、あの水族館のことを思い出す——。
『挽歌、お願い』
上目遣いでそう懇願してくる真理愛飲まれそうになっていた。
いつもつけている甘い香水の香りで、酔いそうになる。
迷いがあった。どうでもいいじゃないか、ほっとけばいいだろうという思いもあった。
なのに、私はしがみついてくる彼女を突き放した。
『手を引け。それ以外、認めない』
頑としてそう言い放つと、真理愛は呆然とした。そして両目からゆっくりと涙を流して、それを拭きもしないで、信じられないという顔で私を見ていた。
『ど……どーして』
自分でもわからない質問に、答えが詰まった。
『挽歌は、私のこと好きじゃないの?』
『……そんな話じゃない』
『そんな話だもんっ!』
子供が駄々をこねるみたいに大声を出して、赤くなった目を鋭くさせた彼女は、今にも噛みついてきそうな、そんな雰囲気になった。
『挽歌は今、私に、嫌いだって言ってるだよっ!』
『違う。そうじゃない。真理愛、落ち着け』
他に客はいないが、それでも公衆の場でこんな大声を出されるのは困る。
真理愛は顔を両手で覆って、子供みたいに泣き始めた。
『真理愛……』
なんて言葉をかけるべきかわからない。ただ、どうしても、あの願いを聞き入れることはできなくて、黙るしかなかった。
『ねえ……挽歌』
涙声で顔を覆いながら、真理愛がまた声をかけてきた。
『なんだ』
『私……無理だよ。もう……引き返せないもん』
私は出会ってから初めて、真理愛のことを「ガキだな」と思った。同い年で、変なあどけなさがあったが、それでも彼女はしっかりしていた。
だからこそ、校内であれだけ頼られ、立ち振る舞うことができた。
でも今の真理愛には、そんなものは欠片もなかった。幼児みたいに、無理だ、できないと言い訳をしてくる姿に、私は鼻で笑った。
『できないなら、させてやる。真理愛……私はお前が嫌いじゃない。だから、お前がやめられないって言うんなら、力尽くでもやめさせてやる』
自分らしさなんて考えたことはない。ただ、あの言葉は、自分らしくないものだった。
だから、なんだと思う。
そんな不相応なことを言ったから、らしくもないことを口にしたから、後悔することになったんだ。いつだって、どこだってそう——。
口は災いの元。
真理愛が動きを止めた。急に、ピタッと。まるで機械みたいに。
でも、それもすぐ終わった。彼女はゆっくりと肩を揺らし、小さな声を出し始めた。
笑い声。いつもの「うふ」という、独特の笑い方を繰り返す。
突然のことに私は言葉を失ったが、真理愛は手をどけて、顔を見せた。
涙のせいで目は真っ赤だったのに、不思議とメイクは一切落ちていなかった。なにより彼女はやはり笑っていた。
本当に、嬉しそうに。
『……喧嘩?』
『は?』
『それって……喧嘩だよね?』
みるみるうちに、彼女の表情が晴れていく。さっきまでの号泣が嘘のように、今にも跳ね回って喜びそうな顔になった。
もし私が「嫌だ」という彼女の趣味に無理矢理手をやめさせようとすれば、確かにそれは喧嘩なのかもしれない。
『挽歌、あのね、私ね、喧嘩ってね、したことないの』
『……私はいくらでもある』
この髪と性格のせいで、目をつけられることが多い。学校の中でも外でも。だから、今まで殴り合いなんてもう何百回としていた。
『うん! でね、すっごく憧れてたの! だって、それ、すっごく友達っぽいもの!』
『……お前、何を言ってる?』
対応しきれない態度の豹変に、理解できない歓喜の言葉に、寒気を憶えた。
『挽歌——いいよ、喧嘩しよ』
真理愛は「うふ」といつも調子で笑った。
『挽歌、私を止めてみて』
呆れて言葉が出なかった。真理愛は喧嘩をしたことがないと公言したところで、私がそれに慣れているのを知っているのに、嬉しそうにそんな宣戦布告をしてくるなんて、どうかしている。
ただ、結論から言うと、この喧嘩は真理愛の勝ちで終わった。
私は彼女に反撃さえできず、高校生活を、日常を失った。
計り間違えていた。真理愛がどれだけ「趣味」を大切にしていたかを。
喧嘩というものは、経験を積んだ方が有利だと思っていた。だから、彼女が「初めて」と言った喧嘩に負けるはずがない。そう思っていたが、そうじゃなかった。
初めてだから、弱い。そんな常識で考えていい女じゃなかった。
初めてだから、手加減ができない。そう捉えるべきだった。
「タイマンはったらダチ」なんて言葉もあるくらいですしね。