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ブラック・マリア  作者: 夢見 絵空
第一章【善悪の彼岸:全悪の悲願】
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赤と黒

第一章【善悪の彼岸:全悪の悲願】




「助けてくれてもいいよ」


 数ヶ月ぶりに聞く甘い声は、相変わらず傲慢なものだった。


 店に入ってきた彼女は、外の豪雨にうたれて、全身びしょ濡れの状態。ご自慢の黒い長髪が、頬に貼りついていた。


 制服を着ているので下着が透ける心配がないのが救いかもしれない。


 私はすぐに返事をしなかった。返す言葉は決まっていたが、まずは体を動かすことを優先したかった。


 カウンターの近くにあった手短な未開封のワインの瓶を掴み、それを全力で彼女に投げつけた。


「うふ」


 そんな甘い笑い声を漏らした彼女は、ひらりとそれをかわした。店の扉に瓶がぶち当たり、派手な音とともに破片と真紅の中身が周囲に飛び散る。


 まるで神のご加護でもあるように、彼女には破片はあたらず、ただ少しだけワインが制服についた。


「私、まだ未成年だからワインは飲めないよ、挽歌ばんか

「いいか、次はあてる。すぐ失せろ」


 その声で名前を呼ばれることにさえ、虫酸がはしる。


 彼女は私の返答にまた「うふ」と笑う。


「無理だよ。挽歌は私を傷つけられない」

真理愛まりあ、いいことを教えてやる。私は人を殺したことがある」

「うん、挽歌、知ってるよ。私は挽歌のそこが好きなの」


 そしてもう一度「うふ」と笑う。


「それを引きずっているところが、本当に愛しいの」


 聞いていられない。気づけば、カウンターを飛び越えて、彼女に迫っていた。


 彼女は逃げることも、焦ることも、怯えることもなかった。胸ぐらを掴まれても、まだ笑顔で、挙げ句の果て嬉しそう。


 相変わらずこの世のものとは思えない甘い香りを漂わせている。


「出て行け。すぐ出て行けば、見逃してやる」


 私はポケットからバタフライナイフを取り出して、それを彼女の首元につきつけた。


 刃先が少しだけ彼女の皮膚を破り、赤い血が細い線となって流れる。


「挽歌、とっても綺麗な髪……そして、素敵な眼」


 そんな状態だというのに、彼女は痛いとも言わず、私の髪の毛に指を絡めてくる。


 殺人的に甘い香りが鼻孔に突き刺さる。背筋にぞっとするほどの悪寒が走った。


「綺麗な赤。私、欲しいと思うものは大抵手に入るけど、挽歌のその赤い眼と髪だけは無理」


 だから、と彼女は続ける。


「支配したかったんだよ」


 思わず一歩、後ろに下がってしまう。その私を彼女は、微笑みながら見ている。


 ああ、まただと嘆きたくなる。私はまた、彼女に負けてしまう。


「ねえ挽歌、また友達になろう。ううん、違う。それ以上。ねえ」

「……私の居場所を奪った、お前とか」

「あれは挽歌が、私の居場所を奪おうとしたから」


 彼女がまた「うふ」と笑う。聞くたびに、まるで呪いのようにそれにエコーがかかり、頭に何度も響く。


「だから、お互い様」

「ふざけるなっ!」


 思わずそう怒鳴ると、彼女が眼を見開く。そして「あは」と声を漏らした。


 彼女の瞳が、まるで少女漫画の主人公のように、キラキラと光っている。


「いい、そう、そうだよね。挽歌、私の挽歌。クールで、孤独が好きな挽歌。誰も信用しない人。愛されないことに、傷つけられることに、裏切られることに慣れた女の子。でも、私にだけは感情的になっちゃう挽歌。ああ、ああ、なんて、なんて、可愛い。好き、ええ、好き。欲しい、支配したい」

「気持ちが悪いから、黙れ」

「ねえ、挽歌。私の特別。私、挽歌になら助けられてもいい」


 まただ。なんだ、その傲慢な言い方。どうして「助けて」という言葉を、こうも上から言えるのか。


 意味もわからない。わかりたくないし、わかる必要もない。


 なのに。


「何を言っている」


 どうしてか、そんな言葉が口から出てしまい、自分を締め殺したくなる。


 すると真理愛がまた「うふ」と笑った。


「心配してくれるの?」

「さっさと喋れ」


 またナイフに力をこめると、止まりかけていた血がまた少し流れた。


「狙われてるみたいなの。このままいけば、殺されると思う」


 とんでもないことなのに、彼女は表情を崩さずに説明した。いや、むしろどこか嬉しそう。


「お前みたいな女は殺された方がいい」


「そうね。そうだよね。ねえ、挽歌。そのナイフで、いっそ私を殺して?」


 彼女が私の髪に絡めていた細長い指を、今度は私の手に乗せてくる。生暖かくて、手つきが生々しく、蛇を連想させる。


「殺されるなら、挽歌がいいもん」


 息が止まりそうになった。甘い香りが、その声が、脳を揺さぶる。


 彼女が私の手を動かそうとするので、思わずナイフを放してしまうと、あっけなくそれが床に落ちて、木目の狭間に突き刺さる。


 そこで初めて、自分の呼吸が乱れていることに気づいた。全力疾走でもしたみたいに、荒いものになっていたし、汗もかいていた。


 目の前の彼女はナイフなど見向きもせず、自分と私の指を絡めてくる。恋人たちがするみたいに。


「ほらね、挽歌は私を傷つけられない。言った通りでしょ」


 また笑う。とても愉快そうに。さらに指を絡めて、キスでもできそうな距離に顔を近づけてくる。


「挽歌、私の特別。でもね、私も——挽歌の特別」

「ち、違う」

「ねえ、挽歌。私を助けてくれる気になった?」

「お前が恨まれる理由は、きっと星の数より多い。構っていられるか」


 真理愛はその返答にまた「うふ」と笑った。もう何度目かもわからない。


 でも、なんとなく、それが最後だと思った。


「わかった。久しぶりに会えて、嬉しかったよ」


 甘い吐息をして、彼女は絡めていた指を放していく。自分が手に汗をかいていることに気づき、嫌気が増した。


 彼女が扉を開けると、一気に外の音が店内に入ってくる。アスファルトを打ち付ける、酸性雨の悲鳴。不快だったが、ようやく彼女に開放された気がした。


「ねえ挽歌」

「いいから早く失せろ」

「愛している、私の特別」


 彼女はとびきりの笑顔をこちらに向けた。生まれたての赤ん坊でも勝てない、強烈な純粋さを含んだ笑み。


「きっと挽歌は、今日のことを引きずって生きていくんだよ」


 もう声はかけないと決めた。そもそも彼女には会話をかみ合わせる気なんてないのだから。


 嬉しそうに、口角をつり上げて彼女は雨の中へ消えていった。傘もささず、豪雨の中をスキップするかのような軽い足取りで。


 私が精一杯に力を込めて扉を閉めると、歪な音が店内に響いた。


 舌打ちをしながら、床に刺さったままのナイフを拾い上げる。


「……黙れ」




 真理愛がバラバラ死体となって見つかったのは、その三日後だ。


今日から新連載を始めさせていただきます。


ミステリ小説ですが、結構百合色が強めです。


もう書き終わっている作品ですので、平日の毎朝八時に更新します。(土日祝はしません)


もしよろしければ、お付き合いください。

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