大草原の大きな家 1
町のはずれにある丘の上から見下ろせば、一面に広がる草原のところどころに小さな森や一軒ずつ離れて散らばる家々が広がる。
アーシャの中でも家が小さい日本育ちの夏樹や、私的な場所はちいさく最低限に作る集落で育ったフリューシャやダージュ、店舗スペースの合間のぎりぎり体が入るだけのスペースで長く寝泊まりしていたタリファ、寝床になる広さがあればよしな猫人ワシェナであるテトグ、残っている数少ない記憶のほとんどが戦場であり自宅の記憶などないシュピーツェ。
広い家には縁がない一行には、近隣の国の中では大きいほうだという以上に、どれもこれも、大きな家に見えるのである。
家々は、まるで夏樹からみて外国の、つまりは欧米の映画やドラマにあるお金もちの館である。家はほぼ直方体というか、長方形の壁に規則的な模様のように窓が開いていて、その上にレンガや陶器のパーツを組み合わせた屋根が乗っている。
その一軒に、六人はひと月ほど住まなくてはならない。目的地である、北西の古代遺跡群に向かう途中のとある国ガルデ・ツァーレンを通る許可をもらうのに時間がかかるのだ。
アルネアミンツがあるアルネイシャ国や、発明発見の都エメファイスなどシェーリーヤの主要国が集まる北西部。その中でもツァーレンは最も北西にある。
遺跡群や長耳族の北方集落、北のはずれの岬のような観光地など、最北西の地域を目指すには、大陸の中央を北方まで抜けてから西へ抜ける街道を辿る道と、西部や山にはさまれた中西部平原を通ってこのツァーレンを通過する二つの道の、大きく三つのルートがある。
ツァーレンという国は、まだ一部の王国をのぞいて都市国家が点在しているばかりの時代から、ある程度の国土を有していた。早くから、近隣の都市国家を吸収したり戦争したりして、自分たちの国の領土にしたのだ。
そして、ある程度大きくなると、国境線として、最低でも二~三メートルは高さのある壁を建造した。
世襲しないで選挙や軍の偉い人から大統領(初期は大総統)を選んで国の長としているのだが、初代大総統とほかに数人が国土の拡大を最優先し、国境付近では紛争が絶えない時代があった。
紛争を起こさない条約を結んだあとでも、軍が国のすべてであり、他国のものは商人と商品しか入れないと言われる排他的な文化が出来上がっている。
観光地なんてないから、好奇心や興味で行こうと考える人はいても、たいてい実際には行かない。実際に行く人はよそへ行くために通る人しかいないに等しい。ちなみに、ツァーレン国内の人が外に出るのはもっと厳しい。
十年ほど前から、鎖国はもうしていないということにはなっている。しかし、入国のためには届けを出して許可をもらい、印として大統領の許可証を受け取って身につけなくてはいけない。
さらに通れるのは国のはずれのほうで、しかも、乗鳥や馬状の獣の引く車ではなく、ツァーレン内で生産した独特な自動車に押し込まれ、外が見えない状態で連れていかれ、国内の目的地や国の外でほいと下ろされるのだ。観光地があっても行きたくないだろう。
貸し家の持ち主はフリューシャに鍵を渡しながら、
「少し前に中西部平原へ向かう調査団が通ったばかりだからね、時間、わざと余分にかけて審査するだろうね。運が悪かったねえ。」
親しげに肩をたたくと町の地図を置いて去っていった。フリューシャが鍵を開けると、残りの五人も、庭先の専用の棒にこれから世話になる乗鳥たちをつなぐと、それぞれ荷物を持って後を追っていった。
次回はあす15日(土曜日)に投下します。