番外 とある転移者の話
街道沿いに連なる町の一つ、メルファン。歴史はそれほど古くなく、街道警備の詰め所の周りにできた宿や軍隊の陣地用の場所から発展した、よくある発展を遂げた町のひとつである。
その町を囲む城壁の一部に森が隣接している。魔物もおらず、ウサギやリスのような小動物が数種と、うっすらと草色になった波動生物が数体が暮らすだけの静かで小さな森だ。狩りをするにしても、住人には十分に楽しめるが、冒険者や兵士の休暇にはつまらない場所だ。
その森の奥、何かの果物の木の下に、何かが落ちた。人だった。
「う、ん……。」
枯野夏希は目を覚ました。着古したパジャマは枝に破かれ、何か所か赤くシミになっている。手足が重い。
動くのを諦め、横たわったまま視線を上空に向ける。上空。いつもの時間にベッドに入り、たまたま夜中にトイレに起きただけなのに。なんでだろう。そして、痛い。寒い。
「何、これ……」
目を動かすことで見えるのは、枝を広げた何かの木と、その葉っぱと、その合間からいくつか見える果実。そして、葉っぱの隙間に、少し青空。
夏希はしばらく眠って、目が覚めても景色が自室に戻らないことを確認し、ゆっくり体を起こした。そして、果物狩りに来ていた家族連れによって発見され、城壁の中の病院へと運ばれた。
★ ★ ★
「とりあえず、住民票だけ作っておきます。帰るにせよ、それまでの生活とか不便がないほうがいいですもんねえ」
夏希はベッドの上で、医者から説明を受けていた。ここは地球ではない、よその惑星<せかい>にある国の中にある、日本人が集まっている自治区である、と。
実感はほぼゼロである。今いる病室の雰囲気も、かかりつけの総合病院と変わらない。外から見える家々も、近所にありそうな感じで。防災無線から流れる、自分のことらしき迷子案内とか、田舎にありがちな感じである。
「でも、やっぱりそうなんだろうなー」
夏希はそびえる城壁を目で辿った。距離は結構近そうだ。
「まあ、すぐ慣れますよ。この町は、あえて日本的にしてあるから逆にあれかもしれないですけどねえ」
医者が笑う。暇つぶしと、この世界の情報が欲しいでしょう、とそういう理由で渡された雑誌。ぱらぱらめくると、日本人の名前が沢山出てくる。だが、地名のなかに、聞き覚えのあるものはなかった。アルネアメリア、ダーシュオ、エメファイセス、アリヤエルーシャ、リャワ、タニーア、ミジャル、ヌヌス。
一つ、見知った名前があった。正確には、見知った人かもしれない名前、だ。安藤夏樹。記事を読むと安藤リン・ハウヴェンゲンシャ夏樹、という妙にめんどくさい名前で、見出しや本文中では安藤夏樹さんと書かれていた。自らの意思で渡航して、仲間と共に旅をし、そこで家族を作って定住し、街を大きくした名士。
夏希は、同じ名前だという以外にも引っかかる点があった。渡航した日が、夏希が憶えている最後の日付よりも十年近く後なのだ。夏希が知っている安藤夏樹は、彼女が通っていた小学校のそばに住んでいる、周りよりちょっとお金持ちで厳しい夫婦のところにいる小学一年生の男の子だ。ちなみに通っているのは彼女と違う小学校のはずだ。制服から見て、県庁所在地にある私立の有名なところだと夏希は記憶している。
記事にある安藤夏樹という人は、そこの夫婦に似ていた。顔は全体的に母親似で、一部のパーツが父親にそっくりだ。略歴として書かれている日本の市町村もつじつまが合う。
どういうことだろう。夏希は気になった。
彼女が一度日本に帰った数年後に、日本政府は公に、異世界とのつながりを公表した。さらに数年後、高校生となった夏樹が渡航したのと同じころ、夏希は渡航を申請し、そしてはじかれた。夏希がどうなったのかは、別のお話であり、ここでは記さない。