空白(シュピーツェの場合)
木々や葉を透過した早朝の光が、顔に当たるのを感じる。俺は珍しく、素早く起きだせずに喉から抵抗するような声を上げた。寝返りを打つと何かにぶつかった。ん”、と苦しそうな声がした。男女なのだからと間を開け、簡単な間仕切りまで置いてあったはずなのに。
俺は仕方なく体を起こし、這って彼女らから遠ざかり、そこで寝袋から抜け出した。
俺はシュピーツェという。さっき声を上げた猫獣人の少女はテトグ。間仕切りの向こうで寝ているドワーフの女性はタリファという。ここは、共に旅をするリーダー・長耳族のフリューシャの出身集落だ。彼の家の近くにある喫茶店の一室を使わせてもらっている。
記憶が大量にすっとんでいるのを別としても、俺は毎回、目が覚めるたびに知らない天井を見上げていることが多い。ここも、旅の目的の一つを終えて報告に戻っただけだ。早ければ明日か明後日にも出発することになる。
長耳族は茶を楽しむことが好きだ。喫茶店も朝早くから開いている。俺は身支度をして店のほうへ行き、皆の朝食を作るつもりだ。オーナー夫婦が自室から出てきたところだったので、自分が申し出て、厚切りのパンから二枚取り出すと、夫婦は楽しみにしていると言って開店準備を始めた。
夫婦の肩に乗って可愛らしくにゅーにゅー鼻歌を歌っている波動生物もパーティの一員・ハユハユだ。普段の教官めいた言動はやはり無理をしているのだろうか。
一通り準備を終え、テトグはともかくいつもならさっさと起きてくるタリファもたたき起こし、朝食をとる。バターを塗った厚切りのパンを軽く焼き、野菜やチーズ、肉などの具をのせて好みの加減まで焼く。森の奥にある長耳族の集落では乳製品はやや敬遠されがちだが、夫婦は顔色一つ変えなかった。開けた町リャワから近いからか、この集落では一定の年齢以下はほぼ食べなれているようだ。
食事の片付けをして開店すると、客に交じってパーティの仲間であるフリューシャ、ダージュ、夏樹も入ってきた。ダージュはフリューシャの幼馴染で東方人の血が入っている。髪や瞳が黒くて目立つ。アーシェ人の夏樹はダージュの新しい家族だ。越してくるアーシェ人の家族はたいてい大都会を選ぶから、一人で森の集落に入ることを選ぶ夏樹は変わり者だなと思う。
せっかくまた一年ほど会えなくなるのだから家でゆっくりすればいいのにと思ったのだが、三人の後ろにフリューシャたちの家族もいた。顔はそっくりだが、両親ともにかちっとした印象を受ける。ダージュの両親も硬めの印象を受ける。
長耳族は夏でも肌を出さない服装が多いので、朝から気温が高めなのに重ね着のような東方の服を一式纏っているダージュの母親はとくに厳しく見える。東方の正装はさぞかし暑いだろう。いくら北のほうでも、仰ぐ専門の係の位が高いのも意味がある事なのだろう、とふと思った。
お茶と朝食用の果物とパンが全員にいきわたり、食べ始めるのを俺は見ていた。今日の茶葉は地元名物というか、産地周辺で消費してあまり売りに出さないものらしい。品質が満たないのか、変わった品種なのか、確かに普段香茶として飲んでいるものとずいぶんと印象が異なる口当たりだ。後味もやや強い。
「すごく癖のあるお茶だね」
夏樹が言った。飲みなれない味だからかテトグは一口舐めてみて即残りをタリファと俺に押し付けてきた。
今日はどうするんです?とフリューシャの父親が俺に尋ねた。昨日遅かったからか俺もあの二人も疲れが取れないようだし、話を聞く限りフリューシャも盛大に寝坊したらしい。先にゆっくりした方が、妙な名残惜しさもないだろうというのもある。
今日のうちに休んでおくように提案し、五人と一体も聞き入れた。
「それじゃあ、今日は自由行動にして、明日リャワで荷物をそろえて、明後日の朝に出発にしよう」
両親たちが先に席を立ち、フリューシャが確認すると、俺たちは解散した。俺はテーブルを片付けると、部屋に戻って二度寝の誘惑に負けた。次に目が覚めたのは、昼が過ぎて午後のお茶の時間になるまえの空いた時間に、夫婦が呼びにきたときだった。
次回は明日投下する予定です。