すれ違った同僚を全員覚えている人はたぶんいない 2
男はそのあと実験場に近づくことはなかった。安堵したと同時に、両性族らしい特徴を持つ同僚を見かけると、親戚か兄弟かもしれないと気にしてしまうようになった。
「そういう中で、えっと今はシュピーツェだったな、お前に似た奴と出会った。青臭いガキのひょろい身体で、目だけ鋭くて、長耳族の狩人が使うような大小の弓と、長い銃を背負っていた。
連れてきたお偉いさんは、実験台だから薬で感情や精神的な反応が不安定だと言っていた。それで、大人数と一緒に行動させずに、狙撃兵として離れて行動させるのだという話だった。作戦を立てる参考のために腕前を見せてもらったが、世界記録を狙える腕前だった。
……隠れていて思うよ。お前本人じゃないにしても、意外と、お前みたいになってるやつは多いんじゃないか、って。部分的に記憶をなくしてるとか、感情を失くした奴なら珍しくない。従軍時代の記憶をなくして自分はまだ子供だと信じてるやつもいる。もちろん、追われて身分を偽っているとか、名前が五つもある奴だっている。
ここやほかの里で、軍に居たっていう者に話を聞いていくといい。お前がわずかに覚えているのと同じ話を知っている奴がいるかもしれん。」
そのあと、男はシュピーツェから軍や追っ手に関することを聞き取った。二人が共通して知っているような思い出やエピソードはなかったが、他の者から話を聞くときの参考になりそうだった。
話が済み、部屋の外で待っている者を呼びもどして、シュピーツェは礼を言った。男は、滞在中自分の家に泊まるように促した。シュピーツェはそれに甘えることにした。
食事など最低限以外は、話を聞いて回る日々。新しい薬だの義肢だの武器だのの「ちょっとした」実験台になった話は一日で聞き出すのをやめた。多すぎた。
何日目か、珍しい経歴の奴の住処へ案内された。元ツァーレン兵である。
ツァーレンは、負傷者なども遺さず撤収し、機械兵器などは必ずすべて持ち帰る。残すのは手りゅう弾などの投擲兵器の破片と銃弾だけと揶揄される。
同じ過程を踏ませた新兵をつくる手間と費用の重さをわかっていることと、半端な者は絶対に前線に出さないという厳しい軍紀のたまものである。どうせ攻め込むのは自分たちからだから、準備が整うまで攻め込まなきゃいいというのもある。
元ツァーレン兵は個人名がなかった。ツァーレン人は一定の階級や役割を持たないかぎり個人名をもらえない。その兵士の場合、名前を訳すなら『歩兵のドル家の五男共通暦X年生まれ』といったところか。隊の中では入隊時に与えられた個人番号で呼ばれる。仕方がないので今はドルと呼ばれている。
ドルは運がいいのか悪いのか、物陰で回収されそびれていたところを第三国の医者に助けられた。その医者が言葉を介したので治療の間留まることにしたが、突然現れたアルネアメリア軍に無理やり引き取られた。持ち物は下着や丸めた携帯食料の包み紙まで持ち去られた。こちら側の衣服を着せられ身分タグをつけられた他は、所持品を与えられることはなかった。身分証には「捕虜番号」という8ケタの数字と、引き取られた日付しか刻まれていなかった。
捕まってから、施設側の不備をついた反乱で脱走するまで、毎日聞き取りを受けた。はじめは自分が倒れる前の戦いについて聞かれ、ドルは進軍命令を受けて先輩のあとを付いていって戦ったのだと答えた。どういう命令を受けたかしつこくきかれたが、下っ端には作戦の細かい行動内容などは知らされない。知らされるのは、自分のいる班がどんな行動をとり、次にどんなことが起こったらどの行動をとるのかという簡単な指針だけである。
参加した戦いについて根掘り葉掘り答えさせられた次は、ツァーレンでの生活のことを事細かに聞かれた。起床から就寝までを分単位で、どういった行動をしたか一週間分書かされた。学校や会社のしくみなど、社会制度について大量の質問に答えさせられた。
例えば、アメリア系の初等の学校は、国語や算数・数学、気象・地理、物理など、アーシェのものに近い教科割りをしている。しかしツァーレンでは広い科目の基礎の単位を数年で集めたら、あとはその間に見いだされた得意科目を中心に習い、科目数は半減する。あらかじめ範囲が決まっている将来の職業に合わせた専門科目が増えるためでもある。
アメリアの地理の授業は自国中心に西方の主だった国の説明くらいであるが、ツァーレンの場合は国境関係なく地形的なものとそれにまつわる気象の変化から入り、少しずつ細かくなる。そして、国ごとの説明はアメリアより細かい歴史や社会情勢まで、初等教育のうちに習う。
シュピーツェは、ツァーレンでの話も聞いておいた。何日目かに、話の区切りで中断した後、ドルに質問した。出身が分からないように工夫された持ち物で、身分証も持たない、奇妙な部隊と出合わなかったかどうかというものである。つまり、五人と一体に助けられたときの自分のような者と出会わなかったかどうか、あるいはそうした者たちについて知らないかどうかである。
次回は明日投下します