休まらないひと休み 3
アーシェなら日付が変わるころだろうか、真夜中に近い時間で、店のあちこちで盛り上がっている声や食器の音がする。カウンター席の隅のほうでシュピーツェとアクヴァはしばらく静かに飲んでいた。
二人とも、互いを見るわけでもなく、ただ少しずつグラスを傾けては、ため息をつくように肩を落として、テーブルを見つめていた。ほかに座っていた客の一人が気をよくしてカウンターの人数分の酒を頼み、透き通った黄金色の液体が注がれても、二人はその客に礼を言う以外何も言わず、飲んでは一息つくを空になるまで繰り返していた。
「何か、知っていることはないか? あいつらに話せないような、俺の昔の話を。」
例の客が何倍目かの酒を頼み終えたとき、シュピーツェがアクヴァに顔を向けた。アクヴァは注がれたばかりの酒を半分ほどあおってから、シュピーツェに体を向けた。
「自信は、ありませんが」
アクヴァは二人分の清算を済ませて、席を立った。子どもが友達と連れだって遊びに行くような軽い雰囲気で、場所を買えましょうといい、シュピーツェの手を引いた。
店員に声をかけて個室に移動した。リンドでなくても、酒場には昔の名残やその町の事情で、秘密の話をするための個室がある。そういう個室では酒は飲めない。シュピーツェは、よほど重い話をされても大丈夫だなと他人事のように思った。
「わたしの村では、何人も行方不明が出ています。独立したあとはかなり減りましたが、偏見のためにはけ口として傷つけられたリ殺されたりしましたし、非人道的な実験の被験者にされてきた記録が、隠されてはいるものの、確かにあります。
あなたは、もしかしたら、何らかの被験体だったのかもしれません。
体が覚えている経験から、軍隊か何かに属していたのではないかとは、あなた自身も考えていると思います。私の村から、複数の国の軍の実験の犠牲になった人がいるのですが、彼らの中に、あなたがした話と似たような経験を持つ人がいるんです。」
冒険者の村と言われる通り、あちこちでこれまでの冒険譚や思い出話をする姿が見られる。六人と一体も、パーティを組んだ人や、同席した人と話をすることは少なくなかった。
シュピーツェは何かの折に、かつて自分は、森の中で獲物を狙い続ける訓練か実践をしていたことがあるようだという話をしていた。
ここ五十年ほど、そのような事例は記録がない。戦争もないし、紛争がたまに発生する地域には長く見つからずに隠れて生活できそうな広い森はない。
「わたしがその話をどこかで聞いたとき、村にいた一人のことを思い出しました。
その人は薬物の注射を受け、無理やり、一週間とか一ケ月とか、姿勢を保ち続けるように強制され、人を何人も撃ち殺させられたのです。
子どものうちにさらわれて、そうした薬物の注射と実験をいくつもやらされ、国際機関の告発で軍が捜査を受けて救出され、逃げてきたそうです。
その人は、自分のほかに、大人も子供も、何人も連れてこられて、実験をしていたと話しました。そして、捜査の前に証拠隠滅のために何人かを殺したり、薬物で記憶や感情を抑えたりなくさせたりして放り出したという軍の証言があります。」
シュピーツェは、本当に何か知ってそうだな、と言って
「じゃあ、俺も覚えている限りのことを、教えられそうだな」
悪人がたくらむときのような下卑た笑いを見せた。アクヴァは寂しそうな表情で彼を見返し、彼の正面の席から隣へ移動した。
次回は月曜日までに投下します。