72.地下の牢獄
100/10/13(木)??:?? 王宮 地下牢
俺は、うんこ。
今は王宮の地下牢に閉じ込められ、うんこをしている。
地下牢にトイレはない。
つまり、床に垂れ流しである。
しかも、2畳ほどの狭い空間。
閉じ込められてから3日が経過する間、垂れ流した床で寝泊りする俺は、すっかり身も心もうんこ塗れになっていた。
「うんこおおおおお!」
俺の叫び声に、独房を見張る男たちのため息が聞こえてきた。
「またかよ。あの牢に入れられた男」
「ああ。来る日も来る日も、うんこうんこ叫んでやがる」
「見ろよ。うんこ塗れでも、顔色一つ変えやがらない」
「もう頭いってるな。ありゃ」
現在、地下牢に閉じ込められているのは俺1人ではない。
他のプレイヤーもまた、別の牢屋に捕らわれていた。
「うう……ゲイムさん。すっかり廃人に」
「無理もない。ランキングナンバー1の男が今や汚い囚人だ」
「ああ。ショックが大きかったんだろうな」
今の俺はうんこ。
うんこがうんこに塗れるのは当然。
何を不思議に思うのか? こちらが不思議なくらいだ。
「どうかな? 囚人の様子は」
閉じ込められて以降、訪れる者のいない地下牢。
初めての来客はタローシュであった。
「うんこ! うんこおおおおお!」
檻をつかんで叫び回る俺を見たタローシュが、呆れたようにつぶやいた。
「……あれは、いったい何なの?」
「はあ。いえ、牢に入れてから毎日ああなんですよ」
「あれ……閉じ込める意味、あるんすかねえ?」
背後に衛兵を引き連れ、俺の独房前にタローシュが歩み寄る。
「ゲイムさん。調子はどう?」
「うんこ!」
「いや、うんこじゃなくて……」
「うんこ!」
「はあ……まあ良いか。君のスマホ。凄いお金を持ってたね。どうやって、あれだけ稼いだの?」
「うんこ!」
「正直に言ったほうが良いよ。僕も拷問は好きじゃないんだよね」
「うんこ!」
「……仕方ないな。連れていって」
独房の鍵が開かれ、両手を縛られた俺が連れていかれた先は、拷問部屋。
今さら、うんこをほじくり返してどうするのか。
うんこに口はない。
うんこに意志はない。
うんこはうんこらしく、黙って地面にこびり付くだけである。
「う……ん……こ……」
当初は固かったはずのうんこが、独房に戻る頃には、すっかり柔らかく潰れてしまっていた。
「!? ゲイムさん……これは酷い……」
「元は同じプレイヤーだってのに!」
「あいつが、これほどの悪党だとはな……」
「ゲイムがタローシュを殺そうとしたのも当然だぜ」
「ああ……奴の本性を見抜けなかったのは俺たちの方だった」
「くっそ! せめて何か力になれれば……」
100/10/21(金)??:?? 王宮 地下牢
あれから数日が経過した。
口を開かないうんこをほじくり返すのに飽きたのか、タローシュはすっかり顔を見せなくなっていた。
他のプレイヤーはというと、順次、地下牢を出て元の土地へ。
神の御使いとして、異世界に降り立った出身地へと帰っていく。
だが、その実態はスマホも力も持たないお飾り。
人心を誘導するため、国の意のままに操られる人形でしかない。
それでも、身体も命も無事だったのだ。
操り人形として大人しくしていれば、お給料も貰えて、生きていくのに支障はないだろう。
対して、俺はどうなるのか。
俺もファーの街で認定された神の御使い。
ファーの街での信望は厚い。はずだ。
国に召集された御使いが戻らないとなれば、街の者が不審に思うだろう。
だが、俺は次期国王であるタローシュに、公然と喧嘩を売っている。
おそらく生きて解放されることは無いだろう。
多数いる御使いの1人が行方不明となっても、国の力があれば、揉み消すことは容易いことだ。
いずれ拷問の末に殺されるのか。
いや、傷口から入ったうんこによる破傷風で死ぬのが先だろう。
うんこが原因で死ぬとは、実にうんこらしくて良い話だ。
100/11/1(火)??:?? 王宮 地下牢
最後のプレイヤーがいなくなると同時に、地下牢に残されたのは俺1人。
来る日も来る日も、うんことしか喋らない俺に見張りは必要なくなったようだ。
そして、見張りが居なくなると同時に、食料の配給も停止した。
このままでは、地下牢でひっそりと餓死するのが先になりそうである。
だが、まだ死ぬわけにはいかない。
何故なら、地下牢に残るのは、正確には俺とファンちゃんの1人と1匹。
俺と同じ独房に入れられたファンちゃん。
最高級傷薬の効果もあって、雷の傷はすっかり癒えていた。
うんこには、うんこの意地がある。
俺の都合で巻き込んでしまったファンちゃんを残して、俺1人が地球に帰るわけにはいかない。
それにしても、ファンちゃんが拷問されなくて本当に良かった。
俺のうんこの中に隠した甲斐があったというもの。
ファンちゃんを人質にとられては、うんこといえど口を開くしかない。
俺は見えない目を開いて、手探りで食糧にむさぼりつく。
俺はまだ戦える。まだ死なない。
積もりに積もった排泄物。うんことうんこの共食いだ。
しかし、これをファンちゃんに食べさせるわけにはいかない。
病気の恐れがあるからだ。
俺は短くなった下半身を屹立させ、たんぱく質を放出。
ファンちゃんに食べさせてやる。
蜜を舐めるように白濁液を舐め取ったファンちゃん。
その身体をぽんと叩いて、俺は起き上がる。
すっかりうんこと化した俺を侮ったのか、見張りも立てずに放置するなど。
うんこを舐めれば、黴菌により死ぬこともあるということを教えてやる。
とはいったものの、どうやって地下牢を脱したものか。
独房に据えられた鉄の檻。
運よく腐食しないものかと、連日排泄物をなすりつけているのだが。
ガン!
動く方の腕で檻を叩く。
鉄で組まれた檻は、いまだ腐食するそぶりすら見せないでいた。
しかし……連日にわたる拷問。
そして、傷の手当もないまま放置され、食事すら与えられない状況。
くわえて衛生管理も何もない独房。
にもかかわらず、俺は生きている。
当然だ。うんこはしぶとい。うんこ汚れは簡単には落ちないもの。
ではなくて。スマホを失ったことで、俺は全ての力を失ったと思っていた。
だが、そうではなかった。
あくまで失うのは、スマホを使って得た力。スキルだけ。
スマホと関係のない力は、いまだ俺に残されている。
それは俺自身の力。
俺が異世界に来て、自分で手に入れた力。
身体に感じるこの力……今も俺のレベルは35のまま。
勇者スキルを失いはしたが、ステータスだけは勇者の時と変わらない。
だから耐えられた。そうでなければ、あの拷問には耐えられない。
そして、俺が自力で習得したスキル。骨術。
「ファンちゃん。俺の腕を切り落としてくれ」
ハチ獣のファンちゃんには、顎がある。
ハチとアリは似たような仲間らしくて、その顎もまた肉を噛みきるほどだという。
ブブ?
羽を振るわせて頭を傾けるファンちゃん。
「生きるためだ。今さら俺の身体を気にする必要はない。腕は脱出した後で治療すれば治る」
人体の欠損。
通常であれば治療不可能な怪我ですら、この異世界では治療することができる。
もちろんそのような治療魔法を使える者は極一部
それこそ光の巫女と呼ばれる者くらいだろう。
そして、治療できる薬もまた超の付く貴重品で、スマホのショップからでもないと入手することはできない。
それでも、治療が可能であるのと不可能であるのでは、大きな違いがある。
拷問において最も恐怖を感じるのは、喪失感。
一度失った部位は、決して元には戻らない。
取り返しのつかない恐怖。その絶望を思えば口を開かざるをえない。
だが、片腕を失おうが、片目を失おうが、後で治療できるなら。
希望があるなら、人は耐えられる。
俺が拷問に耐えられたのも、その希望があったおかげだ。
なにより、今の俺の身体にまともな箇所など存在しない。
地下牢を脱して治療しない限り、いくらレベル35といえど、いずれ死ぬ。
今、生きるために無茶をするのか。
希望もないまま、このまま死ぬのを待つのか。
身体を漏れ出たうんこは、決して元には戻らない。
うんこは流れ去るその時まで、ただ前に進むのみ。
俺の左腕をファンちゃんの大顎が挟み込む。
その大顎に力が込められた。
ズバッ
「うんこおおおおおおおっっっぁぁあああ!」
うんこは痛みを感じないっ。
俺は残った右腕を動かして、手探りで左腕を拾い上げる。
骨術。最初に使ったのはいつだったか。
そう。あれはサル獣を撃退するのに、サマヨちゃんの骨を使った時だ。
「うんこおおおお!」
ガーン
雄たけび一閃。
振り下ろす骨が、鉄の檻を激しく打ち付ける。
骨で殴るなど、どこの蛮族かと当初は馬鹿にしたものだが。
「うんこおおおお!」
ガーン
全ての武器を失った今。
俺が頼れるのは、自分の骨だけ。
「うんこおおおお!」
ガーン
うんこに塗れて、骨を打ち付ける。
とても勇者の姿とは呼べない、みっともない姿。
だが──
「うんこぉぉぉ! アタックウウウウウ!!!」
ドカーン
盛大な音と共に、鉄の檻が折れ曲がる音が響きわたる。
そうだ。うんこには、今の俺にはこの姿こそが相応しい。
手を伸ばせば、前方に人が通れる隙間が開いているのが分かる。
俺は這いずるように独房を抜け出した。
記憶によれば、この先、廊下の突き当りに出入り口の扉があるはずだ。
だが、その先はどうなっている?
地下牢に連れ込まれたのは、ずいぶん前の話。
途中の道など覚えていない。
それでも、前に進むしか道はない。
スマホを、勇者を失った俺は、確かにうんこでしかない。
だが、勇者には勇者の。
うんこにはうんこの戦い方がある。
俺が勇者で無いというなら、うんことして戦うだけ。
せめて、ファンちゃんが逃げられる場所まで。
ファンちゃんだけでも逃がさなければ、うんこの名折れである。




