親を選んでうまれてくる
私は激怒した。
昼食に食べようとしていたお弁当は、その3分の1は内容が減っていたからだ。おおよそ見当がつく。また、あいつだ。
たとえば昼下がりの午後、電車でうたた寝をして乗り過ごしそうになった時にふと目的の駅で目が覚めることがあるが、それも、あいつの仕業だ。
だからいつだって悪さをするわけではないのだけれど、私は今日はとてもお腹が空いていたから、だから激怒した。
あいつとは、こびとだ。私たちと共生しいつも身近にいる存在。だけど普通は目に見えない存在。私には小さい頃からそれが見えていた。花にまとう妖精、フェアリーという言葉が似合う出で立ちで、この地球には無数にいる。町を歩けば乳幼児に出会うのと同じくらいの頻度で出会う。
今日は鶏そぼろ弁当だったのに。そぼろ、たまご、鮭フレークで分けた三色の昼食。そうだ、とふと思った。そういえばお弁当を狙われるとき、決まってこの三色弁当の日だったような気がする。フェアリーは鶏肉を好むのだろうか。
それからというもの私は毎日同じものをお弁当につめるようになった。必ず、そぼろを。変わらずたんたんと過ぎる一人の日常。ただひとつ違うのは、今までひとつだった弁当箱が2つになったことくらいだ。倍の量を作りはじめてから、昼にふたを開ける頃には丸々ひとつが空になるようになった。
以前はあんなに怒りの感情を持っていたのに、どうして私は彼ら(彼女ら?)のために作り続けるのだろう。
もしかしたら。
私は嬉しかったのかもしれない。誰かに自分で作ったお弁当を食べてもらうことを、幸せだと感じられたのかもしれない。
私は、きょうも、不思議な隣人のために、菜箸を4本もちクルクルとそれを回しながら鍋をふるう。
33歳になったわたしは、週に2度ほど夕食にはそぼろ丼を作るようになった。正社員だった会社をやめパートになった私には、あれから結婚して二人の男の子が産まれた。子供が生まれてから、私は二度とフェアリーを見ることはなくなった。それは少し寂しかったが、子育てに追われてすっかりあの子達の存在を忘れてしまった。
しかし。ふと昔を思い出したのは、子供たちをみていて、彼らはそれはそれは鶏そぼろが好きだったからだ。




