王女様はご機嫌ななめ
「それでね、レイン国の王子様がわたくしをダンスに誘ったのよ!」
「そうですか、それは良かったですね。王子様と姫様ならきっとお似合いでしょう」
俺が思ったままにそう口にすると、クレール姫はむう、と頬を膨らませてしまった。あ、何かまずいこと言ったか。姫様がこういう顔をするときはだいたい俺が何か姫様の気に障る事を言ってしまった時なのだ。
「もう、お似合いって何よ!もう少し何か言えないの!?」
やはり怒っていらっしゃる。いまだに彼女のできる気配すらない俺にとって十二歳の女の子の心情など未知の世界だ。
そう、俺とクレール姫が初めて出会ってからもう二年が過ぎている。
あれ以降も姫様は何が楽しいのか暇を見つけては俺の仕事場に通って来ているのだ。俺は相変わらず魔法は使えなかったが、城の魔術師の下働きとしての仕事ならお手の物になっていた。……自慢にはならないが。
しかしこれだけ懐かれるとさすがの俺も悪い気はしない。図々しくも妹ができたような気分になっていた。……ということをこの間ニコラさんに言ったら何故か彼女は遠い目をしいたが。
おっと、話を戻そう。今の俺は何とかしてクレール姫の機嫌を直さなくてはならない。
俺はいったい何が姫様にとって気に入らなかったのか今までの会話を反芻した。
レインの王子様がクレール姫をダンスに誘った。だから何だ、微笑ましい光景じゃないか。
はっ、そうか、もしかしたら姫様はあまりレインの王子の事が好きではないのかもしれない。それならば納得だ、きっとダンスに誘われてうっとおしかったのだろう。
「そういうことでしたか、きっと姫様には他にもっとお似合いの方がいらっしゃいますよ」
「ヴァレール、わかってるじゃない!で……そのお似合いの相手なんだけど……」
「あっ、すみません姫様。そろそろ仕事の時間ですので、ここで失礼させていただきます」
「……わかったわ」
いかんいかん。いくら姫様との話の最中でも仕事をおろそかにするわけにはいかない。俺はこの城に雇われてる魔道士なのだ。……魔法が使えなくてもな。
姫様もさすがはこの国の王女というだけあって十二歳にしてそのあたりの事も理解されているのだ。
俺は急ぎ足で他の魔道士のいる研究所に向かった。
「ニコラ、今のをどう思う?」
「クレール様、残念ながら長期戦を覚悟した方がよろしいかと」
今日も今日とてクレール姫は俺の所へ来ている。
「これはどんな薬に使うの?」
「人の気分を落ち着かせる薬です。香りにも少しだけそういった効能があるんですよ」
俺がそう言うと、姫様は持っていたハーブの香りをそっと嗅いだ。
「たしかに、そんな気がするわ」
現在俺と姫様は薬草園でハーブの採取にいそしんでいる。今日は用事があるという事でニコラさんは不在だ。そういえば最初はニコラさんの同伴が俺の所に来ても良いという条件だったのに姫様はこうして時々一人でも俺の所へ来てしまうのだ。俺ももう慣れたものだが大丈夫なのだろうか。しかし、通りがかる人たちは誰も注意しないのだから問題はないのか。
俺がそんな事を考えていると、姫様がじっと俺の事を見つめているのに気が付いた。
「どうしました、姫様?」
「ねえ、前から思っていたのだけど」
「その姫様って呼ぶの、やめてくれないかしら」
その瞬間俺の体に衝撃が走った。何が妹だ、やっぱり彼女は高貴な王女様なのだ。
きっと将来の為に魔法の見学がしたかったが、表の魔道士たちは常に忙しそうにしている。それで仕方なく俺なんかの所に来ていたのだろう。それを俺は勘違いしてこんなに馴れ馴れしくしてしまっていたのだ。何てことだ、なぜ今まで気が付かなかったのだろう。
「も……」
「も?」
「申し訳ありませんでしたぁ!数々の非礼をお許しください、王女殿下!!」
俺はその場に跪いて勢いよく拝礼の姿勢をとった。
王女殿下はそんな俺をぽかんと見つめていたが、しばらくしてから顔を真っ赤にしてわなわなと震えだした。
「ちっがーう!!そういうことじゃないのよ!!」
「え……違う……?」
「もう!その……だから……」
姫様は俺が戸惑っているのを見ると、何故かもじもじと恥ずかしそうに下を向いてしまった。時折、ちらちらと俺の方を窺っている
どういうことだろう。俺はまた何か間違えてしまったのだろうか。
「あの……王女殿下……」
「違うの!その王女殿下って呼ぶんじゃなくて!!」
「ですが……姫様とお呼びするのは……」
「もう、それでもなくて……」
王女殿下は顔を真っ赤にして下を向いていたが、やがては決心したように顔を上げて俺に向かって叫んだ。
「だから!!クレール、って名前で呼んで!!」
「……え……?」
姫様は真っ赤な顔のままでこちらを睨み付けている。
名前で呼ぶ?どういう事なんだ?
「ええと……クレール王女殿下……?」
「王女殿下はいらないわ!」
「クレール姫様?」
「姫様もいらない!」
「それじゃあ、クレール様?」
「……もうそれでいいわ!」
姫様は真っ赤な顔のままぽかぽかと俺の胸をたたき始めた。
「ヴァレールのわからずや!鈍感!」
「は、はあ……」
俺にとっては姫様の力でたたかれたところで痛くもかゆくもなかった。いや、少しは痛かったが。
それにしても呼び方か。何故王女殿下と姫様は駄目でクレール様なら良かったのだろうか。そういえばニコラさんもクレール様と呼んでいたっけ。……待てよ。
そうか!クレール様にとってはそれが親しい相手に許した呼び方なのかもしれない。
なあんだ、クレール様も俺の事を無礼だと思っていたわけじゃないのか、安心した。一時はどうなる事かと思ったぜ。
「クレール様……俺もクレール様の事を……」
「っ……」
俺はクレール様の手を取ると、屈んで目線を彼女に合わせた。
クレール様ははっと息をのんで、元から赤かった顔をますます赤くさせた。まさか風邪だろうか、今日は早めに帰ってもらった方がいいかもしれない。だが、これだけは言っておかなくては。
「自分のような存在が身分不相応だと分かってはいますが、俺もクレール様の事は大切なご友人だと思っております」
「…………」
姫様は冷たい目で俺を見ている。あれ、何か間違ったか。
「……いいわ、今はそれでも。でも、覚悟しておきなさい!」
「は、はい?」
クレール様はぴしっと俺を指差すと、たたたっと走り去っていった。
いったい何だったのだろう。ただ一つわかるのは、俺がクレール様に親しく振る舞うのが許されているという事ぐらいか。
まあ、それならそれでよかった。俺は安堵しながらハーブの採取を再開させたのであった。