地下室の魔法使い
「うぇぇん……ぐすん……」
まずは状況を整理しよう。俺の目の前で幼い女の子が泣いている。それだけなら別にいい。華麗に回れ右をして見なかったふりをするだけだ。
問題なのはその女の子だ。
一目で俺の全財産より高いと分かるドレス、小さな頭の上にちょこんとのったティアラ。
彼女がこの国の王が可愛がってやまない第一王女のクレール姫だという事だ。
場所は薄暗い地下室、冴えない男と泣きやまない姫君。もしこの光景を誰かが見たら間違いなく俺が姫様に何かよからぬ事をしたと思うだろう。そのまま通報コースで俺の首が飛びかねない。比喩ではなく、現実で。
頭の中で十八年の人生の想い出が蘇る。すでに俺の意識はこの現実から逃げようとしはじめたようだ。
思えば俺は親不孝な子供だったのかもしれない。
この俺、ヴァレール・カスタニエが生まれたのは代々王家に仕える優秀な魔道士の家系だ。血筋だけ見れば筋金入りのサラブレッドだが、そんな俺には悲しくなるほどに魔法の才能が全くなかった。
幼いころから魔法を使おうとすれば爆発を起こし、周りの物を破壊してばかりだった。
当然入学した魔法学校ではまわりの奴らに馬鹿にされた。何とか奴らを見返そうと魔法を使えばまた爆発、前以上に馬鹿にされるという思い出したくもない負の連鎖だ。
そんな地獄の学生生活を見て、さすがに両親も俺を哀れんだのか無理に大学に進学しなくてもいいと言ってくれ、王宮に勤め先を用意してくれた。端的に言えばコネだ。
そんな訳で心機一転王宮勤めを頑張ろうと思った俺を待っていたのがこの地下室だ。
優秀な魔道士である両親の子である俺は、やはり魔道士として働くことになった。
これはチャンスだ。ここで成果を上げれば今まで俺を馬鹿にしていた奴を逆に見下すことができる、そんな風に思っていたのだ。その時の俺は完全に爆発の事を忘れていた。
そして、初日から気合を入れ過ぎた俺はうっかり王宮内の一室を半壊させてしまったのだ。実に申し訳ない。
これに困った上司は両親の手前俺を追い出すこともできず、この滅多に人の訪れる事のない地下室で自由に魔法の研究をしろと言ってきた。体のいい厄介払いだ。
そして、落ち込みながら地下室にやって来た俺を待っていたのがこの姫様だ。彼女は俺が扉を開けたらすでにそこにいた。完全に不可抗力だ。俺は何も悪くない。
そこまで思い出したところで俺の意識は現実に戻ってきた。そうだ、俺は何も悪くない。
頭の中に両親の顔がよぎる。こんな俺を見捨てずにいてくれる両親のためにも俺は犯罪者になるわけにはいかないのだ。
幸いにもこの地下室には俺と姫様しかいないようだった。今ならまだ間に合う。なんとか何事もなく済む可能性は残されている。クレール姫が無事に地上に帰ってくれさえすれば。
俺はおそるおそる泣き続ける王女にそっと声を掛けた。
「あの……姫様?」
「うぇぇ…………え!?」
俺が声を掛けると、姫様はまるで俺に気が付いていなかったとでもいうように大きな目を見張った。
「姫様、いったいこんな所でどうしたんですか?何か怖いものでもありましたか?」
俺は精一杯笑顔を作りながら姫様に事情を尋ねようとした。どうか泣いている原因が俺と関係ありませんように。
俺の笑顔が功を奏したのか、姫様は泣き止んでこっちを見た。俺が内心安堵していると、姫様は戸惑ったように俺に問いかけた。
「あの……あなたは……?」
「自分はこの地下室の管理を任されました、魔道士のヴァレール・カスタニエと申します。
何か所用がございましたらいつでもお申し付け下さい」
俺は気取って礼をした。我ながら完璧だ。だが、姫様は不思議そうに俺を見ている。まずい、何かしくじったか。
「ここは……空き部屋じゃなかったの?」
何だ、姫様が気にしていたのはそんな事だったらしい。というか何でそんな事を知っているんだ。
「今まではそうでしたが、今日からは自分が研究室として使わせていただく事となっております」
「そう、そうだったのね……ごめんなさい、あなたの邪魔をしてしまったわね」
姫様はそう言うと目をこすって立ち上がった。良かった、何とか無事にこの場を切り抜けられそうだ。それにしても、何故やんごとなき姫君がこんな薄汚い地下室にいたのだろうか。
そこまで考えて俺はぴんときた。むしろ落ちこぼれの俺だったから分かったと言ってもいいだろう。
姫様はここを空き部屋だと思っていた。誰かに連れてこられたという訳ではなさそうだから自分の足で来たのだろう。そして誰もいないという事をわかったうえで泣いていた。理由は簡単、泣いている所を他人に見られたくないからだ。
そんな行動は俺にも覚えがあった。馬鹿にされて、悔しくて、俺も学生時代は誰もいない場所を探しては人知れず涙を流したものだ。
何一つ不自由なさそうなお姫様でも泣くことがあるんだな、とそのまま部屋を出て行こうとする姫様を見守っていると、何故か姫様は部屋を出る直前になって俺の所へ戻ってきた。
「ねえ、あなた魔道士だって言ったわよね」
「え、ええ……その通りです」
俺は冷や汗をかいた。魔道士だったら何なんだ。早く地上へ戻ってくれ。
「あの……お作法がうまくできる魔法をかけてもらえないかしら……」
姫様は恥ずかしそうにそんな事を言い出した。
お作法、俺にはよくわからないがお姫様にとっては必要なことなのだろう。きっと彼女はそのお作法とやらがうまくいかないから泣いていたのだろう。だがそんな事はどうでもいい。
お作法がうまくできる魔法、そんなものあるわけがない。百歩譲ってもし存在したとしても俺に使いこなせるわけがない。
だが、すがるような目をした姫様を見ると、そんな事は口に出せなかった。もし俺が断って姫様がまた泣き出して誰かに見つかったら今度こそ終わりだ。言い逃れる余地もなく俺が姫様を泣かせたことになる。
まずい、非常にまずい。焦った俺は思わず後ずさった。その時、体が机にぶつかり俺の服のポケットが音を立てた。
その瞬間俺はポケットに入っている物の存在を思い出すと同時に、この場を切り抜ける方法を思いついた。
成功率は高いとは言えない。だが、一か八かだ。やってみるしかない。
「わかりました……ではこちらを召し上がりください」
「これは……お菓子?」
俺はポケットから金平糖の詰まった袋を取り出すと、一粒姫様に手渡した。
「ただのお菓子ではありません!魔法の薬です!!」
「そ……そうなの?」
姫様は俺の剣幕に押されたように半信半疑で金平糖を見ている。
「その薬を口に含んでください。そうしたらあなたに魔法をかけてみせましょう」
「わかったわ……」
姫様は金平糖を口に含んだ。俺はそれを確認すると大げさに手を振り上げ呪文を唱えた。
「エクセリス・プラシーボ!!」
もちろん呪文は適当だ。こういうのは雰囲気が大事なんだ。
「さあ、もういいですよ、姫様。これで姫様は普段以上の力が発揮できるようになりました」
あえてお作法ができるようになったとは言わない。いざという時の責任逃れのためだ。要は姫様に自信を持たせればいいのだ。意外とこういう思い込みには侮れない効果がある。
「ありがとう!なんだか、うまくいきそうな気がするわ!」
姫様は嬉しそうにそう言った。いくら王女とはいえまだ十歳の子供だ。うまく騙されてくれたようだ。
「それは良かった。では魔法の効果が切れないうちにいってらっしゃい」
早く行けーという俺の願いが通じたのか、今度こそ姫様は小走りで部屋を出て行った。なんとか俺の首は繋がった、作戦成功。これにて一件落着だ。
俺はため息をついて地下室の掃除を始めた。姫様もここが空き部屋ではないと分かったからにはもう来ることはないだろう。というか来ないでくれ。
そんな俺の願いもむなしく、果たして翌日も王女様はこの地下室にやって来たのだった。