3バカだけの日「でも、やり切ったんでしょ?」
――――そんなハートフルな展開が同じ屋根の下で行われているとは露知らず。
桧原透子は困っていた。
理由は目の前の初老の男性なのだが、そこに至るまでがまた面倒な話だった。
昨夜、また改めて六花と喫茶店ネコシマに行こうと約束した。
――――そこまではいい。何も問題はなかった。
今日の昼になって、六花が中止を言い出したのだ。急に大事な用事ができたとかいう。
ドタキャンされるのは気分がいいものではなかったが、まぁ大事な急用と言われてしまうとどうしようもない。それ以上のことは聞かなかった。
――――それがいけなかった。
放課後に下駄箱を見てみると妙なモノが入っていた。
ラブレター……ではなかった。(少しだけ期待したのだが)
白い和紙。毛筆体で「招待状」の三文字がでかでかと書かれていた。
……ものすごく、嫌な予感がした。
ぶっちゃけ行きたくなかったが――――なにせヒマだった。
いざとなれば魔法をぶっ放して骨も残さず焼却することもできる。そうでなくても美少女の嗜みとして護身術くらいはちゃんと習得していた。
まぁ明日からの雑談のネタにでもしてやろう。そんな軽い気持ちでホイホイと行ってみたそういう次第である。
一応万が一に備えて、行き先と「ヘンなお誘いを受けた」とかいう理由は適当に拡散させておく。(真矢がキャッチしたのはこれが伝言ゲームで妙に捻じ曲げられたモノだったらしい)
で。
来て待ってみたら、この男性が現れた――――という経緯だった。
「私は水瀬甚六」
「はぁ…………ん? みなせ?」
「六花のパパだ」
「…………ぱぱ……!? そ、そう、パパ、ね。パパですかー。うんうん。ま、いるよねーパパくらい。うんうん」
「ちょうどきょう、海外から戻ってきた」
「へ、へぇー」
六花の急用ってこれかー、と心の中で叫んだ透子だった。
ドタキャンの時点で理由を聞いていれば、六花パパがこうして透子に会いに来る可能性を想像できたかもしれない。(無理だと思うが)
六花パパだと想像していれば、ここまで緊張せずに、相手が名乗った「パパ」でそのまま呼ぶこともなかっただろう。
おかげで裏では一希が発狂しているが、透子にそれを気にする余裕はまったくない。
「家族水入らず……の、前に、娘の今の暮らしを知りたくてね」
「そ、そぉなんですかー。パパって、娘思いなんですね」――――っていうか会うなら本人に直接聞け!
「君は娘と仲がいいそうだね。よく娘は話に君の名前を出していたよ」
「え……ええ。そうですよー」
「『いい友人』としての目で見た君に、率直に娘の意見を聞きたいんだ……」
六花パパがずいと身を乗り出した。透子は引きつった笑いを返す。
次に六花パパが口を開くまでの数秒足らずで『いい友人』の例を50パターンあげてこの場で最良の定義を考える。
――――なんだ? 私は一体何を期待されているんだ……ッ!?
「娘の人見知りについて……だ」
「は、はぁ……」
「君から見て、娘の人見知りはまだ激しいか?」
「……単純なYes/Noでの答えならYesですけど……」
正しい。六花は人見知りだ。
見た目、物腰、言葉遣い、雰囲気……言うなれば『包容力オーラ』とでも言えばいいだろうか。そのオーラが一定レベル以下の人間には例外なくビビる。
透子は美少女だ。透子としてはそんな気はなかったのだが、最初はかなり緊張を強いてしまっていたようだった。
今の関係まで緊張を緩められたのは、透子の努力によるものだった。
元々、そういった距離感を考えた立ち振る舞いならば『前の世界』でよく学んでいた。王女の嗜みである。
以来、透子がいれば――先日の3バカどもとのように――人見知りを緩めるスピードは速くなってきた。
「……そうか、やはり」
「は?」
いやまだ答えきってないけど、と口を開きかけた透子を無視し、六花パパは悲しそうに外を見つめた。
「寮に入れて同世代の子たちばかりの環境に入れれば治ると思ったんだが……無理か」
「あ、いや、そんなことは」
「強要しすぎたな……今晩、娘には謝るとしよう。家から近い女子校に転校させた方がいいだろう」
――――イラっとした。なんだこのおっさんは。
突然出てきて、人の話を都合のいいところだけ聞いて、人を振り回して。身勝手だ。
っていうかなんでこのおっさんが私の下駄箱にあんな手紙入れられんだ。いやマジで。
「よろしいですか?」
鋭く、ハッキリと、低く声でおっさんを呼んだ。
そっぽを向いていた顔を両手でぐいとこちらに向けさせる。
側から見ればあわやキスにでも発展しそうな体勢だが、残念ながら透子から醸し出された雰囲気はそんな甘ったるいものではなかった。
「な・ん・で、六花の人見知りを治したいんです?」
「社会に出る上で最も重要なのはコミュニケーションだよ。突き詰めれば、技術も知識も財力も人材も、それひとつで集められる。人望といってもいい。人見知りというのはその妨げだ」
「六花を社会に出すためを思ってのことなんですね。素晴らしいわ。……なのに、どーして今の『学校《社会》』から六花をつまみ出そうとしてるんです?」
「君が言うように、娘の人見知りはこんな方法では治らないだろう。私達家族が支えて、ゆっくりと治していく」
「六花は16歳です」
「早生まれでな」
「15歳まで人見知りだったんですよ。……いや、今もですけれど……まだたった1年しか経っていないのに、15年間でこびり付いた性格が治ると本気で思っているんですか?」
「ほう? では君は、娘の人見知りを、もっと時間さえかければ治せると?」
「いいえ。あなたが六花をコントロールしようとしている内は無理でしょうね」
「…………なんだと?」
「あなたのいう『人見知りしない』というのが社会でうまく生きていくって意味なら、そうなります。あなたが六花を決めてしまううちは、人見知りが治ったことになりません」
「では君に娘を任せろというのかな?」
「いいえ。六花に任せろと言っているんです」
幾許かの時間。六花パパと透子は鼻先が触れ合わんばかりの距離でじっと互いを睨み続けた。
やがて二人の間に手のひらが割って入る。六花パパの手だった。
「ふむ……。君の言うことにも、一理ありそうではあるかな」
六花パパは透子に自分の顔から手を離させ、ぬるくなったコーヒーをすする。
透子をまっすぐ見つめ、コーヒーの香りに鼻孔をくすぐる。先の緊迫した雰囲気を弛緩させるような間の取り方だった。
「そういえば……私も昔、父に強要されて野球をしていてね。息子を甲子園球児にさせたかったらしい。あの星のように輝くのだ……とかいってね。マンガだろう?」
「はぁ……」
「最初はチームでも一番のヘタクソだったが、熱の入った父親に厳しいチームに入れられてね。毎日毎日……泥水を啜るようだったけれど……」
コーヒーを飲み、六花パパは昔を語る。
傾いた日。茜色の空。
しかしそれでも、どこかで男がむせび泣いた涙をすぐに乾かしてくれそうなほどのパワーがある。
「死に物狂いで続けてね。高3の夏、幸運にも甲子園のグラウンドに立てた。二回戦負けだったけれど。……君との話で思ったが――――俺は、親父が怖くて続けただけだったかもな」
「でも、やり切ったんでしょ?」
「…………娘を、お願いします」
六花パパは深々と頭を下げた。伝票を手に取り、そのまま席を後にする。
残された透子はひとり、アイスティーを飲む。
背もたれに体を預けた。夕暮れの日差しが肌を照った。心地よい熱に抱かれる。
アイスティーを飲みきり、少しだけまぶたが重くなって。
「…………ってあれ。今、私、なにお願いされたの?」
――――答え得る人間は、もう店から姿を消していた。