女の戦い「ハロー」
息を吐く。意を決して、透子は口を開いた。
「……実はというとね、碧さん。きょう、あなたをお誘いしたのには理由があるの」
「うん。なぁに? 透子さん」
屈託のないほほえみを作る碧。透子の決心を鈍らせる、蠱惑的な仕草だった。
それでも。透子は反芻する。それでも、と。
「……ええ、聞くわ。ちょっと相談」
「うん。なぁに?」
訝しげに目を細め、碧がじっと透子を見た。
アールグレイをすする。暖かな温度が喉を抜け、胸をたたく。
「前に聞かれたことがあるの。私のまわり、男の子が何人かウロチョロしてるんだけどね」
「へー。モテるんだ」
「……うわー。その質問も絶妙よ。はいともいいえとも答えたくないわ……」
「それで?」碧は続きを急かす。微笑み、頬杖をついた。「何を聞かれたの?」
「『誰が好き?』ってどストレートに」
「だいたーん。で? 答えは?」
「簡単にね。わからないって答えた」
「どうして?」
「私は誰のものでもないからよ」
「……それこそ、よくわからないな。それで、なんで誰も好きじゃないって答えになるの? 順位はつけられたんじゃない? たとえ僅差でも。その時の気分で好きな人を言わなかったのはなぜ?」
「誰かに急かされた気持ちは自由じゃない。無理矢理出した『好き』なんてホントの『好き』とは違うでしょう?」
「うわー、透子さんって結構ピュア」
「……そう? でも、大事なことだと思う。隙を突くみたいに魅了されて、それで本当を捻じ曲げることは正しいことじゃない」
「…………ごめん。よくわからないのだけれど」
「じゃ、単刀直入に。…………あなたが少しお茶したくらいでボロを出すロクデナシだったら、今すぐボコボコにしてアイドルを辞めさせてやるつもりだったわ」
「えっ」
「でもやめた。こんな小突き合いじゃ、あなたがどういう人なのかなんてよくわからない」
「そ、そう……ありがとう?」
「けれど、どこかでボロを出したら容赦なくボコボコにしてやるつもり」
「……わたしがロクデナシじゃないっていう可能性、ゼロ?」
「ゼロね。見る限り。……でも、私の勘じゃあ違う」
「透子さん、怖いね」
「ふふふふ」
「ふふふふふふ」
またふたりは機械的な微笑みを見合わせた。
お紅茶がなくなり、碧が腰を上げた。お会計を済ませ、喫茶店を後にする。
これから仕事なのかと聞いてみると、今日はマネージャーと打ち合わせだけだったから、と返す碧。身内の都合だけだから、日程にはそこそこ融通が効くらしい。
ふたりは学生寮に足を向けた。
背後で慌ただしい一団が喫茶店「ネコシマ」を出てくるのを風の精霊が教えてくれた。あえて振り返るようなことはしない。
「……あ、そうだ。ちょっと電話に出てもらってもいい?」
「いいけど……なぁに?」
「なんでもないわよ。ライブのMCの練習とでも思って」
「いや、電話で練習にはならないと思うけど……?」
電話をかける透子。碧は肩をすくめ、ずり下がった眼鏡を直した。
電話が繋がり、透子から碧に手渡された。
「はい、もしもし。……ええと、私、七咲碧と言います。……う、うん? ――――今日は楽しんでる?」
会話の糸口がつかめないのか、本当にライブのMCのようなトークを始める碧。
本来の性格は奈々瀬葵のような明るく大胆なものではなく、地味な七咲碧に寄ったものなのかもしれない。
しかしその地味な見た目からは少し想像できないほどのトーンで電話に話しかけている。
物凄いギャップだった。 どちらの姿も知っている透子でさえ、どきりとしてしまうほど。
――――なんとなく理解した。彼女がアイドルをできている理由だ。
彼女はきっと、ヒトの心を掴むことに長けているのだ。
相手のことを考え、言葉をかけ、応援し、励まし、笑いかけ、背中を押す。その振る舞いはどんな人間にも元気をあげることができる。
八方美人、なんて穿った見方ももちろんできる。しかしそれでは薄い。安い。意味がない。
なぜならば、笑いかける彼女には輝きがある。その光はいかなる理屈よりも雄弁だ。
そして、一希はその光に魅了された。
最初に喧嘩腰で向かい合った透子には、決して見せない/見る目を失くした輝きがある。
透子も美少女だ。
天才が天才を知るように、美少女もまた美少女を知るものなのだ。
七咲碧。彼女は――――美しい。
「はい」
碧が透子に電話を返した。透子はそれを受け取って、通話状態が続いていることを確認した。
電話を耳にあてようとして、ふと思い立った。
マイクを手で押さえ、透子は碧に笑いかけた。今度こそ、屈託なく。
「今日はごめんなさい。ありがとう、碧さん」
「どういたしまして。……気にしないで。たまにはこういうのも悪くないし。……それに、あなたははじめてわたしを見つけた人だもの。満足してもらえたなら、わたしも嬉しいわ」
「なら、また今度。会ってもらえる?」
「ええ。その時は、もう少し肩の力を抜いておしゃべりしましょう?」
「そうね。次はおいしいコーヒーをごちそうするわ」
「楽しみにしてる。今日のところもすごく良かったからね。……わたしからも、ありがとう」
笑顔を見せる碧。透子もそれに答えてピースサインを出した。
そうしてようやく、電話を耳に当てた。
「ハロー。おまたせ。……一希君?」
「……………………うん? ……あれ? 桧原? 本物? だよね?」
「ああ、うんうん。本物」
「そうか。そうか。…………そうか。夢だな」
ものすごく残念そうな声色が電話から聞こえてきた。魂レベルで一希が希薄になっているのを電話越しでさえ感じ取れる。
「そうだよな……ねーって。電話っておまっ……ねーって。うんうん。常識的に」
「ああ……まぁ、そういうこともあるわよ」
一瞬透子は「学校に行けばその奈々瀬葵に会えるわよ」と言おうとして、やめた。
なんだかひどく負けた気がする。
「……一希君。調子はどう?」
「徹夜続きで眠い。音楽の聴きすぎで耳が痛い。映像の見過ぎで目が痛い。グッズの買いすぎで財布もイタい」
「そ。なら一回休んだほうがいいわね。彼女は魅力的だとは思うけれどね。あんまりのめり込むのは本人も感心しないようだから、社会復帰しなさい」
「うん…………えっ?」
「学校に行こうよ、って話。……私、待ってるから。明日は必ず来なさいよね」
「…………はい」
短く答える一希。よろしい、と透子は電話を切った。
勝手に話に出したのは謝るべきかな。透子が顔色を伺うと、碧は笑顔でピースを返した。
* * * * *
「で、久々の学校はどう?」
「よくわからねーっす。や、授業じゃなくて……なんていうのかな。この一ヶ月の間の記憶が曖昧で……」
「嫌な事件だったね。忘れよう」
「う、うん? そういうもん?」
頭を掻く一希が教室の自席に腰を落とした。透子はちらりと九朗を見た。
九朗はかなり疲弊していた。彼の体格には椅子も机も小さいようで、だらしない姿勢を取ると椅子がかわいそうな悲鳴をあげた。
「どうよ、九朗君。これが私の実力よ」
「不登校ひとりを復学させたんだ。すげーってことは認める。が……てめーがもう少し気づくの早かったら面倒にならずに済んだんだがな、お姫様」
「周りばかりを見続けてはいられないのよ。なにせ今の私は、箱入りじゃあなくて自由だからね」
「やれやれ、えっらそーに。……主の死角を潰すのは従者の役目、とでも言いたそうだな」
「人間、助け合うものでしょう? いつまでもお姫様とかバカなこと言ってないでくれる? 私たち、手を取り合っていけないのかな?」
「そうだトリ頭。働け」
「そーだぞボスー。はたらけー。……オレ様はいやでござる。はたらきたくないでござる。絶対にいやでござるぅー」
桐枝がカニのように横からすり寄ってくる。真矢が下からぬるっと会話に参加する。
その内にがやがやとやかましくなってきて。
透子は。
「……まったく」
――――もう、これが日常なってしまった。
なんて考えが脳裏にちらついた。
……どうやら疲れているらしい。




