女の戦い「強いて言うなら、本気を出しただけかな」
来たのは喫茶店「ネコシマ」だ。
学校から近く、明るい雰囲気。しかも紅茶がおいしい。だがいつ来ても小さな店構えに対して人が少ない。
…………残念なことに、強面の店主が暑苦しい笑顔で出迎えることが最大の原因だろう。
しかしそれで透子達は恩恵を受けていると思えば悪くない店だった。
「ご注文は?」
「アールグレイをひとつ。……碧さんは?」
「ダージリンをお願いします」
「かしこまりました」
店主は丸太のような両腕をエプロンから露出させていた。筋骨隆々の引き締まった肉体でB6のノートに注文のメモを取る。ぺこりと一度頭を下げ、カウンターにひっこんでいく。
透子は素直に感心した。
あれだけの筋肉が目の前にぬっと現れたのだ。並の女子なら――六花でなくても、ということだが――泣き出すなりビビるなりするのが普通だった。
しかし碧はまったく動じた様子がない。よほど肝が据わっているということだ。強敵である。
「それにしても、透子さんはすごいね」
「なにが?」
「わたしを見つけた。……お仕事の時とは全然違うでしょ?」
「そうね……」
「クラスのみんなにもバレてなかったんだから。それなのに見つけるなんて、透子さんはすごいよ」
碧は――透子が見る限りだが――素直に感心していた。
確かに、七咲碧の雰囲気はアイドルの奈々瀬葵とはまるで違う。
煌びやかな奈々瀬葵に対して地味な七咲碧。
大胆でスタイルのいい躰を強調する奈々瀬葵と、内向的な雰囲気で露出を好まない七咲碧。
一希の家で聴いたCDの奈々瀬葵の声は高かったが、今目の前で聞く七咲碧の声は少し低め。
クラスのみんなが気付かないのも当然だろう。本人が名乗り出したところで信じないかもしれない。
「ねぇ、どうやって私を見つけたの?」
「強いて言うなら、本気を出しただけかな」
「なにそれ」
「私のお手玉を一番熱い視線で見てくれたのがあなただったからよ」
まさか魔法で見つけたとも言えなかったので、透子は適当にはぐらかした。
……しかしお手玉で確信を得たのは本当だった。
当初は魔法を駆使して絞り込んだ候補数人の中で碧は違うと想像していた。
しかしお手玉を見た七咲碧の表情が、ジャグリングを見た奈々瀬葵の顔に似ていたことが決め手だった。
監視した精霊と、ジャグリングを見る奈々瀬葵を収めたアイドルDVD『アイドルお宝企画箱(通称ドル箱)』を見せてきた真矢のお手柄である。
そっかーこれからは気を付けようー、と碧は楽しそうに笑った。
そうだと思ってみれば、その笑顔には奈々瀬葵のもののピースが見え隠れしていた。
「……それで、用件があるんでしょ? なぁに?」
「アイドルに興味があるの。そこで、本職にインタビューしたいと思ったわけ」
「へぇ……まぁ、わたしはそこまで売れてるってわけじゃないからあんまり言えないけれどね。でも大変だよ」
「そりゃそーでしょ」
「なにせ高校生はババァって言われる業界だし」
「…………まじで?」
「まじだよ」
「まじか……じゃあ、シンガーとかアクターの方にしとこうかなぁ」
「なにを目指しているのかはよくわからないけれど、それだって若い子はアイドル的な売り方をしているからね。ちゃんと力をつけなきゃ、後々困るよ」
「力……実力ねぇ……」
「それだけじゃないかな。結局みんなで作るものだからさ。協調性とかもだいじなの。コミュ力ってやつ。そこんとこはどう?」
「………………大変だ」
「そうなのです」
「ごめん、業界舐めてたかも」
「わかればいいのです。ふふん」
「ふふふふふ」
――――こんな感じの(少なくとも表面的には)取り留めのない会話を続けるふたりを、彼女達は離れた場所から伺っていた。
「なんだよ。てっきりキャットファイトにでもなるのかと思ったら……」
「くろはそういうの期待してたの?」
「期待はしちゃいねーよ。ただ、相手は透子だ。骨が折れそうだ」
六花の問いかけに肩をすくめる九朗。それを横目に、隣の桐枝は鼻で笑った。
「ふん……所詮は脳筋だなトリ頭め。貴様などコーヒー風呂で行水してカフェイン中毒がお似合いだ」
「あぁん?」
「見えんのか貴様には。あのふたりの間の火花――――いや、側に立つ戦いのヴィジョンが!」
桐枝は大真面目に断言した。
九朗と六花はちらりと目配せし、とりあえずリアクションは取らないことを了解し合った。
透子のテーブルに目を戻す。
内容までは聞き取れないが、声色も雰囲気も至って和やかだ。普段でも見れないほどのやわらかさ。それが逆に怖い。
たとえるなら、赤ずきんをぱくっといく寸前の、おばあちゃんのふりをしているオオカミにみえる。
戦いのヴィジョン――――そんなもの見えなくても熾烈な権謀術が剣戟を鳴らしていることくらい、どんな人間にも理解できていた。
「……桐枝さん、真矢君は?」
「気安く話しかけるなメスブタ」
「めっ……ぶた?」
「あのエロ猿なら、どうせ今頃女教師にセクハラしてしばかれている」
「…………過程は描写してないはずなのに、なぜか想像できるな……」
「今回は大目に見るよう言い含めているが、その場限りのペナルティなら好きにしろとも言ってある。まぁ、ここには来れないだろうな」
「……やべーな」女教師に命令できる立場を九朗はヤバいと言ったことに、桐枝が気づいた様子はない。「しかし、手が少ないのは痛いな。乱闘になって無傷で済ませられるかどうか」
九朗が珍しく狼狽した。その様子を見て、桐枝が不敵に笑いかけた。
「安心しろ、安心しろよトリ頭。透子様は必ず僕に任せろ。あとはいくら壊そうが殺そうが構わん」
「あ、どさくさに紛れてイケナイことする気だー」
「事故だ。気安いぞメスブタごときが」
「……やれやれだ」
また辟易としたのか、九朗はため息まじりに悪態をついた。
――――そんな感じの舞台裏の一幕、透子はきっちり聞いていた。
有能な風の精霊に音を届けてもらったのだ。このあいだのような盗撮・盗聴を警戒していたら、偶然耳に入ってきた。
――――勝手なことばっか言いやがってあのバカども。
内心でイライラを募らせていく透子だが、席を立って殴りに行く余裕はない。
奈々瀬葵。改め、七咲碧。一筋縄ではいかない相手だった。
アイドルだけあるのか。特にこういった対人の言葉の選び方は絶妙のバランス感覚だった。
距離を壊さず、会話を壊さず、関係も壊さない。透子が少し揺さぶっても、少しの動揺も見られない。
このまますっと、平行線を引くように穏やかに会話を終えれば、透子も碧も気分よく帰ることができるのだろう。
数日後にまた会って、親しい友人として、取り留めのない話をする。穏やかに、心地よいおしゃべりをする。相手の触れて欲しくない場所には決して踏み込まない安寧を満喫できる。
――――バカバカしい。
透子はひとつ、深呼吸した。
――――私はアイドルとお友達になるためにここにいるのか?
ちがう。
私の目的は……。




