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女の戦い「……ありがとう、物知りシンヤ君」

 金田一希の住んでいるマンションの一角は、透子達が集まった場所からそこそこ遠かった。


 団地の中央部近く、かつ、階層も高い。どの位置から入ろうとしても遠さを感じる位置にあった。非常に迷惑である。


 ともあれ、たどり着いた。

 インターホンを鳴らし。


「やだー! もーっ」


 女性の声が中から響く。

 どたどた、がしゃーん、ぱりーん、どとん、ぎー、どてーん、ばきゅーん、どどどどど……とよくわからないうるさい音を延々鳴らして、ようやく…………なんか出てきた。


 女装した一希。ではなかった。幸いなことに。

 出てきたのは、見たところ普通の大人の女性だった。


 しかし、と透子は思う。一希の家族にこんな女性がいただろうか。


 母親にしては若すぎる。兄弟というにはいささか歳が離れているように見える。

 女性は若々しく、妖美的というか蠱惑的というか、とにかく学生なんかよりもずっと熟成していた。つまりはエロい。


 着ているTシャツ(しかも裏返し)とジーパンはサイズが合ってない。おそらくその辺りに放ってあったモノを適当に掴んで急いで着たのだろう。


 ずぼらな着崩し方で裾から肌色がよく見える。胸元のでかいものが無駄に強調されている。ジーパンは小さいらしく、やたらムチムチとしている。


「…………あら、どなた?」


「それは私が聞きたい――――」


「これはこれはセニョリータ。オレ様は城崎真矢と言います。これから一緒にお食事でもいかがですくぉはぁっ!??」


 唐突にでしゃばってきた真矢の脳天に思い切りハリセンを叩き込む。

 じろりと桐枝の方を見ると、忌々しげに顔をゆがめていた。


 純粋に突破されたというわけだ。透子は内心で悪態をついた。それを察したのか、桐枝は透子の足元で膝をついた。


「申し訳ありません透子様! 是非……いや、この無能に処罰をお与えください! さぁこのムチで! 乗馬用の! できればこのボンテージと仮面もつけて! さぁさぁ!!」


 すぱんっ!


 桐枝の頬をハリセンでぶっ飛ばし、透子は再び女性になおった。


 女性はにこにこして――表面的には笑顔で――いる。


 透子の直感が警戒レベルを引き上げた。

 この変態どもの所業を見ても一切動じていない。――――只者ではない。


「……粗相をしてしまい、申し訳ありません。ハジメマシテ。私、桧原透子といいます。こちらは金田一希君のご実家……ですよね?」


「ええ。はじめまして。わたしは彼の保護者をしています。幸村ちひろです」


「ええっと……?」――――保護者? っていうか『彼』?


「ああ、わたしは別に彼を産んだわけじゃないわよ」


「そら……そうでしょうね」


 見ればわかる。


「まぁ、彼、最近…………ちょっと変なのよね。もしかしてそれでわざわざ?」


「そういうことです。お邪魔してもよろしいですか?」


「ええ。おあがりください」


 ちひろがドアを開ける。

 その招きに従い、透子は人生で初めて、金田家に足を踏み入れた。











 * * * * *













 ひどい。

 とてもひどい。


 部屋じゅう――――汚い、というより、むごい。


 リビング(と思われる空間)もキッチン(と目される領域)もダイニング(らしき場所)も、等しくゴミ溜めだった。

 なんかもう、汚物と汚物が合体してキング汚物が生まれそうだった。


 その中をちひろは平然と歩いている。


 なるほど、と妙に透子は感心した。玄関先の変態たちの汚物のような痴態を見ても動じない理由はこれだったのだ。

 彼女自身が汚物になっている。だから汚物にリアクションを返さないのだ。


 目からウロコが落ちたが、さりとてこんな空間は社会生活を営む人間が生活していい水準ではなかった。透子は今にも嘔吐しそうだった。


 即刻処罰をねだる桐枝に部屋の片付けを10分で済ませろと無茶難題を言いつけた。ほぼ被せ気味に了解した彼は真矢と九朗を引っ張って現場監督を務め出す。


 これでそのうち環境はよくなるだろう。


「彼の部屋はそこ」


 奥の部屋を指して、ちひろは透子に呼びかけた。ドアまで3メートルといったところからちひろは動こうとしない。

 汚れがひどくて近づけない――――と、いうわけではなかった。

 一希の部屋の周囲だけは綺麗にフローリングが見えている。


「部屋には近づかないって約束しているの。この部屋を決めた時からね」


「……何があったのかは聞かないでおくわ」


「ええ。とても言えない話だから助かるわ」


 透子は肩をすくめ、一希の部屋をノックした。数秒待つ。返事なし。

 二度、三度と続けるが、一向に反応はない。


 まさか既にヤバいことになっているんじゃあるまいか、と透子の下腹部がひやりと凍った。

 意を決して、ドアノブに手をかけ――――。


「うっせーぞクソババァ!! メシならさっき食っ……ぁ」


 …………ドアから勢いよく出てきた一希は、そのまま透子と目を合わせ。数秒。

 すぐにドアを閉める。


 だが、ドアを閉めだすまでの硬直時間を見逃す透子ではなかった。


 素早くドアの間に足を突っ込む。ドアは閉じない。

 面食らった一希を押し切って、そのまま部屋の中になだれ込んだ。












 ――――思えば。

 「男性の私室」というのには初めて入るわけだが。

 なんだかとても汚れた気分になった。汚された、でもあるし、汚した、という意味もある。


 一希の部屋は清潔だった。甘いアロマの香りさえ漂ってくる。よく整えられた環境だった。


 その代わり、と言ってはなんだが。

 女。女女女。

 女が部屋を満たしていた。


 残念ながら/当然ながら、その女はナマモノではない。

 ポスターであったり、タペストリーであったり、あるいはCDジャケットであったりする。


 その女性は全て同じヒトだった。

 意外なことに/予想できたことだが、それは透子ではない。

 きらびやかな衣装を/清楚な服を/健康的な水着を着て、明るく笑いかけている。


 さすがに一希が撮ったものではないだろう。

 まさか、そこまで――――変態ではあるまい。


「………………」


「………………」


「………………あ。奈々瀬葵ななせあおい


 沈黙を破ったのはドアから顔を覗かせた真矢だった。部屋をぐるりと見渡して、ふむふむと頷いている。


「へー。なかなか良い目をしてるな、ゴールデン。今度話そう」


「知っているのか真矢?」――――ドアの向こうから九朗が尋ねた。


「おう。アイドルだぞ」


「アイドル?」


「っていっても全国区じゃないっていうかな……いわゆる『売れてる』っていうのとは違うが、ドルヲタの方々からは結構認知度は高い。メジャーマイナーってやつ?」


「……ありがとう、物知りシンヤ君」


 透子は適当にお礼を返した。ほどなく桐枝の檄が飛び、真矢はドアの向こうに引きずられていった。涙声のようなものが空気を震わせ、やがて大人しくなった。


 ドアの向こうで何が起こっているのか、透子にはわからないが――――そこまで気にならなかった。


 それよりも。

 透子は翻って一希と向き合った。


「ぶっちゃけ、どるおたでもなんでもいいけどね。一希君、なんで学校に来ないわけ?」


「…………」


 一希は押し黙っている。おもむろに布団にくるまり、ヘッドホンを頭に付けてそっぽを向いた。透子を無視して。


 …………正気とは思えないレベルのハマりようだった。


 不登校直前の一希からは想像もできない。

 あの早朝、透子が見ていないところで何かがあったのだろうか?

 あの時、一希はなにかにぶつかっていたが。


 ……その時に巻き込まれた事故で一希が死んでドルヲタの霊が乗り移ったと言われたら、透子はおそらく信じるだろう。


 なんかもう、そのレベルだった。


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