女の戦い「いいえ、そんな人はいないわ」
正直、透子としては語り聞かせるような話ではなかった。
面白くもなんともない。オチもヤマもない、ただ記録を語り聞かせることになってしまうから。
ある日「クラスの友だちの金田君がお引越しをすることになりました」と聞かされた。
ばいばいさようならお手紙ちょうだいね。そんな言葉を交わして、金田一希は転校した。
その後のことは何も知らない。
――――この学校に入学するまでは。
「んだよぅ、なんか幼馴染って押されてるからなんか特別なエピソードあんのか思っちゃったじゃねーかよぅ。お風呂に一緒に入ったとかー初恋とかー初キスとかー許嫁とかー」
語り終えた透子の背中を真矢は無遠慮にばんばんと叩いた。
透子は鬱陶しく思ったが、自分で振り払うよりも早く桐枝が真矢引き剥がした。
「てめっ……なんだお前ッ?」
「お前こそなんだ透子様にまとわりつくカトンボが。誰の許可で透子様に触れている」
「はぁ? 許しがいるのか?」
「いやいるでしょ普通」
透子がピシャリと切り捨てた。
真矢はぐはぁと大仰にのけぞって胸を押さえた。口からなんか赤い液体を垂らしていたりする。唇でも噛んだのだろう。
「なん……だと……? と、透子ちゃん。オレ様たち好き合う間柄じゃあないのかい?」
「ねーわよ、んな事実」――――つーか今までのどこにそんな場面があったのかを教えろマジで。
「激しく勘違いッ!?」
「鍵がない人間はドアを開けられないのと同じなんだよサル君。跪け」
「はいはい、あんたも側近ヅラしてんじゃねーわよ」
「なん……だと……?」
ついさっきサル君とバカにしたヤツとほぼ同じリアクションを取って、桐枝はその場に崩れ落ちた。
結構このふたりは性格のベクトルが似ているのかもしれない。なんて透子は考える。
放心した桐枝が握るメモを、九朗はさっとかすめ取った。そのまま中身も見ず、透子に渡す。
「で? どこだ? 一希の実家は」
「……あなた、一希のことには随分積極的ね。いつもは『やれやれだぜー』とかいってダルがってるのに」
「そうか?」
「好きなの? 一希君が」
「えっ!?」
九朗よりも早く取り巻きの方が反応した。
意気消沈していた真矢と桐枝は跳ね起きて、話の輪の外では教室にいた多くの女子生徒と一握りの男子生徒がばっと振り向いた。
「………………そういうてめーは、あいつは好きじゃなさそうだな」
おい九朗の奴否定しなかったぜ。マジかよノンケじゃなかったのか。見るからに攻めっぽいもんねぐへへ。――――そんな感じの雑音が遠くで聞こえた。
…………聞こえたが、九朗はそれにまったく意を返さない。
ただひとり、透子を注視している。
「てめーがなぜ一希を手元に置いておこうとしたのかは俺は知らねーし興味もねー。だがな、お前の勝手に一希を巻き込もうとするんじゃあねーぜ、お姫様」
「覚えておくわ」
メモ似合った金田一希の住所は、そう遠くない場所だった。電車で一時間もかからない。
透子はカバンを引っ掛け、何も言わずに教室を出て行った。
その足で駅まで行き――――そして一時間後。
透子は金田一希の実家の前にいた。
実家、というと一戸建てをイメージしてしまうかもしれない。この表現は適切ではなかった。
金田一希の家族が住んでいる――――集合住宅エリアに来ていた。
透子は面食らってしまった。
なにせ透子はメモを見て「一戸建て」だと思っていたのだ。そう思い込んでいた。
それは仕方ない。
メモには住所が書いてあるが、どのマンションの何階の何号室かなどは一切合切書いていなかったのだから。
「…………」
どうしよう。一棟一棟探していたら、おそらく日が沈んでまた昇ってくる頃になる。
寮の門限をぶっちぎりで無視することになる。それは避けたい。
魔法を使おう。透子は決心した。
しかしこの場面ではどういう魔法がいいのだろう。
一希の足音や声を探してみようか。しかしこれだけヒトが寄り集まっている団地なのだ。たったひとりの音を正確に探し出すことなどできるのだろうか?
透子は、そこまで――――金田一希を知らない。知り尽くしてはいない。
「ふっふっふ……お困りのようだな」
「誰……」
反射的に疑問を口にしかけて、はたりと思った。
覚えがある。知っている。あんまり触れたくない。あーあ失敗した。
「そうですオレ様です! あなたが愛した城崎真矢です!」
「いいえ、そんな人はいないわ」
「うぞだぞんだーごど!」
「……ごめん。謝るからそんな本気で泣かないで」
「いいえ透子様、こんなサルに優しくする必要はありません。厳しく、ムチでビシバシ叩きましょう。仮面をつけてボンテージも着ましょう」
「……やれやれだ……」
泣き崩れる真矢を遮り桐枝が割って入った。
その様子を少し離れたところで九朗がまたため息をついた。距離感で無関係の人を装っているように見える。ずるい。
「ここに……どうして?」
『どうやって来たのか』は疑問ではない。この場所の情報源は桐枝だ。この場所を知らぬはずはない。
『どうして来たのか』――――透子は彼らがここに来た理由が知りたかった。
「まぁ……ゴールデンは知らん仲じゃないしな。休戦中だけど。手軽に来れる位置だし、ライバルが勝手に自滅されちゃ、張り合いがないのだぜ」
「真矢の野郎の言っている意味はいまいちわかんねーが……知らん仲じゃねーのは確かだ。ダチだからな。心配するのが当然だろ」
「僕は透子様の三歩後を歩くだけです」
三者の答えを一通り聞いて、透子は訝しげに目を細めた。
少し、気に入らないのだ。
「…………九朗君。それと真矢君。ひとつだけ聞いていい?」
「なんだ?」「え? オレ様のこと好きだって?」
「……桐枝君。真矢君をしばらく黙らせて」
「御意。我が命に賭けて」
「えっ……ぎにゃああああああああ」
もみ合う桐枝と真矢を無視して、透子は九朗に目を向けた。
九朗は手をポケットに突っ込んでいる。憮然とした態度で透子を見下ろしてくる。
不快な態度だった。
しかしそれでも、透子は九朗に質問を投げた。
「なぜ一希君を心配していたのに私を待って3週間近く待っていたの?」
「…………答えるような質問じゃねーな」
「彼が来なくなった理由を知っているのね?」
「会いに行けばいい。すぐそこだ。それで答えが出る」
「そうするわ。そうさせてもらう。だから、邪魔をしないで」
「……やれやれだ」
九朗はいつものように悪態をついた。その顔はいつもよりも苦々しげだ。
その意味を透子が理解したのは――――案外、早かった。




