学園戦争「おあいにく。私、誰かのものになる気はないの」
透子は蹴り破る勢いで扉を開けた。
奥にいた人物はなんとも言い難い表情をしている。
――――だが不思議なことに「なぜここに」とは考えていないようだった。
「……誰だい?」
分かりきった質問をわざとらしく形式的に聞いてきた。まるでRPGのNPCだ。
腹の奥の感情はひとまず置いて、透子も一応、それに乗っかってやることにした。
「あなたに用があってきたの、三枝桐枝さん?」
さえぐさきりえ。
名指しをされ――――男が、奥から現れた。
「なんだ、男?」――――無論透子は知ってて訪ねた訳だが、ここは敢えて挑発することにした。
「キリエが男の名前じゃあ悪いか? ……古臭い挑発だなぁ、君はいったいここまで何しにきたのかなぁ?」
「返しにきたの」
そう言って、透子は桐枝に茶封筒を手渡した。
中にあるのは――――写真だ。
「……おやおや、これは前に掲示板に貼り出された君の写真じゃないか。ここまでこれを持ってきて、どうしたんだい、桧原透子?」
「返しにきたの。わかる?」
「……なぜ、これが僕の写真だと思うのかなぁ?」
「地道に足で稼いだ結果……とだけ言わせてもらうわ」
魔法でアレコレしたことをはぐらかし、透子は答えた。
――――それを『地道に足で稼ぐ』と言えるのかどうかはさておいて。
「いいから観念して。今ならそんなに痛い目にあわないで済むから」
「…………フフッ」
桐枝はキザっぽく笑った。ぶん殴りたくなる表情だった。
「いや……すまない。僕はね、君の事を高く評価しているんだ」
「はぁ」――――なに言ってんだこいつ。
「いいや、冗談なんかじゃあないんだ。君の知性や器量、容姿…………この学校はおろか、世界中探したとしても、ここまで輝いた資質の女性を見つけ出すなんて無理だろうね」
「そう」
「僕のものになれ」
王女の時でさえ言われなかったファンタジックなセリフを吐き、桐枝は透子の顔に触れた。
桐枝は九朗ほどではないが背が高い。指が触れるほどの距離はそれを否応なく感じさせた。
透子は見上げなければならない。桐枝は見下ろしてくる。
桐枝は透子が顔を背けないよう透子の顎を、ワイングラスでも摘むように支えた。
支配感。それが桐枝を満たしている。それが透子にはよくわかった。
その目に溺れた人間を、透子は王女のときに何人も見てきた。
透子は嫌悪感をあらわにして桐枝の手を払いのけた。
「おあいにく。私、誰かのものになる気はないの」
「僕ならば、君の抱えている問題を解決できる。あらゆる風評を綺麗になくせるし、内申だっていくらでも上げられるんだ。この僕は、君くらい軽く自由にできるんだよ」
「そうでしょうね。教師と逢い引きなんてしていれば」
ひくり。桐枝の顔が引きつった。
その横っ面に、ビンタ代わりに写真を叩きつけた。
「次のあなたのセリフは『なぜこれを?』よ」
桐枝は床に落ちた写真を見て絶句していた。
掻い摘んで概要を説明すると、女と桐枝。
もう少し詳しく言うと、色んな女と桐枝。
色んな女をというのは――――下は小学生から上はキャリアウーマンまで。年齢、職業、人種に区別はなかった。
真矢を輪にかけたような人物、ということか。
真矢よりタチが悪いのは女性をモノのように、自分の力の一片のように捉えているところか。つまりはゲスい。
「凄いな、こんなに……なぜ、これを……?」
桐枝の表情が無様に硬直した――――のは、一瞬だった。
すぐにもとの余裕に満ちた微笑を顔にペーストする。
「いや……さすがは僕の……認めた、知性だ。どうやら僕が想定したよりもはやく僕までたどり着いた上、僕のことを調べ上げていたみたいだね。それとも、もしかして君も元から僕に興味が――――」
「一週間、私があなたのケツを追うだけで精一杯だったと思われるのは心外だわ」
「……言葉が汚いぞ」
「そうね。私のお父様は昔『上に立つ者は誰よりも清く正しく潔白であるべきだ』と教えてくれたわ。毒を制するのは薬だってね。――――でも私、より強い毒で制することも必要だと思う」
「……なるほど。だが、僕のカードがこんなものだけだと思わないことだ」
写真を適当に机の上に放り、ニヤリといやらしく桐枝の顔が歪んだ。
ゆっくりと何か――――携帯電話を掴んだ桐枝の腕が上がる。
それを確認して、透子は呟いた。
「火の精霊。焦がせ。水の精霊。徹底的に」
頭上で赤々とLEDが点灯した。熱探知機がけたたましくベルを鳴らす。スプリンクラーが起動した。
周囲の電化製品に水が思い切り降りかかる。
桐枝はだらしなく目をひんむいた。
「……なにをした?」
「……ぐーぜんじゃない?」――――白々しさしかない棒読みで透子が返した。
「…………こ、これには防水加工が……」
自分に言い聞かせるように桐枝は呟く。その隣でパソコンの筐体がスパークした。
当然だ。透子は水の精霊に『徹底的に』と命じている。ならば徹底的に攻め立てる。たかが防水加工を乗り越えられない訳がない。
例え基盤を樹脂でコーティングしていたとしても、基盤と樹脂の隙間に水を生成するだろう。水の精霊にはそれができる。
まして頭上からシャワーをぶっかけて水が大降りしているこの状態ならばなおさらだ。
こんなにパソコン筐体で埋め尽くされた部屋を作るくらいだ。
クラウドを使わず、手持ちの外付けHDDに所有リソースは全て管理するタイプだろう。危ない盗撮データなら尚更だ。
ここにあるリソースが全てならば、もう桐枝にカードはない。
……全てでないのなら、ここから先はドロ沼の戦争になる。
「…………なにをした……」
桐枝はうわ言のように呟いた。その場に突っ伏す桐枝を、透子は冷ややかに無言で見下ろした。
答えはない。否、彼が納得できる答えはない。
魔法。そんな超常を信じる男が、こんなことをするはずないのだから。
因果応報。データも全て潰したことだし、これで仕返しにはなっただろう。
透子は身を翻して――。
「…………透けブラひとつしないんだな」
――前言撤回。
桐枝を蹴り飛ばして部屋を出た。




